07:赤ちゃんを探せ
さらっと言う真子さん。別に、自慢げなところはなく、むしろ疲れているようにも聞こえた。
「君が来る前……去年までは、みんな私と一緒に、争って昼食を摂ろうとしてて。お手洗いに行くのも大変なくらい、私の近くに固まっていたから」
「すげぇ、ハーレムだ……」
「嬉しかったりするの?」
「何が!?」
あんな黒いオーラを放ってる女子達に睨みつけられて、嬉しいわけがない。
「そうじゃなくて。……私を独占して」
「あ、あぁ、そういうこと。ま、まぁ……もちろん一人で食うよりは、誰かと……食えたほうが楽しいかな。特に、女子相手なら……」
「そう」
真子さんは、ぱくっとしいたけの煮付けをほお張った。
「ま、真子さんはっ」
「なに」
「そんなに、あいつらと固まって食ってたなら……俺といっしょでつまんなくないの?」
「……うぅん。ご飯は、静かに食べたいタイプだから」
「あぁ……そんな感じする」
「でしょ」
真子さんは、小声で目くばせした。こんなナイショっぽい会話、あいつらに聞かれたらどうなることか。
その時、春彦が泣き叫んだ。離乳食パックは、普通に与えているはずだが……何が気に入らないんだろう。
「おい、どうしたんだ? うるさいぞ」
「もう少し優しく言ってあげて。夏樹」
そして真子さんは、春彦を抱えあげた。よしよし――とか、そういう分かり易い言葉は言わないものの、薄い金髪のような春彦の髪を、さっとかきあげてやっている。ゆったりとした揺すり方も、優しい手つきも、いかにも女の子らしいものだった。なかなか、これは男ではできないと思う。
「春彦、大きいほうを出しちゃったみたい」
「飯時に最悪のタイミングだな、わが弟よ」
確かに、オムツの隙間からほのかに悪臭がただよっていた。
「新しいのに変えてくるから」
「いや、ちょっと待って! 昼飯中断して大便処理っつうのもあれだし、俺が行くよ」
「君だって昼食中でしょう」
「いや……。なんか、真子さんだけに汚いことやらせるってのもなぁ~って」
この二週間というもの、真子さんがオムツ替えをしてくれていた。もとからやっていて、慣れているからって。確かに、俺はそんな経験ぜんぜんないのだが。
「君は、下手そうだからいい」
「な、なんで?」
「ライダーの時は、手先が不器用なんでしょう」
「そうだけど、変身解除すればいいじゃん」
「私と一緒に、変身解除して、あの個室に入れる?」
「うっ……」
「個室」というのは、職員室の近くにある多目的トイレのことだ。ゆいいつ、オムツ替え台が設置されている。
俺がとまどっているうちに、真子さんは春彦を抱っこし、替えのオムツも持って立ち上がっていた。キャリアウーマンのようなテキパキさだ。
「どうするの」
「が、頑張ってみます……」
というわけで、多目的トイレに入る。俺が変身したままでは、狭過ぎて二人で入れない。そのくらいの、狭い個室だった。
「う……あ、ぁ……っ! せ、狭……せまっ!」
「あ」
真子さんは俺の顔をしげしげ見た。
「な、何見てるん? ……さささっ……触らないでくれよっ……?」
「触らない。めんどくさいし」
めんどくさいって……。
まぁ、めんどくさいよな。こんな体質。俺自身だって面倒くさいのに。
「君の顔……久しぶりに見た」
「そ、そういえばっ……!」
よくよく考えたら、素顔は数えるほどしか見せたことがなかった。家族なんだけどなぁ。
「仮面家族ね」
「う、うまいような、シャレにならないような……っ!」
家族に顔見せないって、寂しすぎかもしれない。
と言いつつ、まともに真子さんのほうを見れない俺が悲しい。いっぽう彼女は俺の素顔が珍しいようだ。
「すごい汗……」
「そそそそそうっすね!?」
「君まで漏らさないでよ」
「ままままままさかっ! んなことあるわけっ」
真子さんは、オムツ替え台を降ろした。
「じゃ、そこの台に春彦を置いて。オムツを剥がして、お尻を拭いて」
「は、は、は、はいっ……」
気持ちいいくらい事務的に指示を出される。
そ、そうだ。いまは、春彦の股にだけ集中しなければ……。すぐ隣に女子がいるという事実は、頭の中から追い出して。
なんだ、この状況。
「ど、どどどうっすか。先生」
俺はオムツ替えを完了した。
「……うん、上出来」
「ほっ……」
手を洗い、俺は胸をなでおろした。
「緊張し過ぎて、口が回ってないのはダメだけど」
「そこも採点されてたのか……」
ある放課後、俺が居眠りから目を覚ますと、春彦が消えていた。
「……はっ!?」
頭を上げた拍子につま先がビクンッと伸びる。マグマ・キックが発動してしまい、向かい側の机の脚が無残に歪んだ。前の席のやつ、明日登校してきたら困るだろうな……。
眠り込んでしまう前は、確かに、机の上に春彦がいた。真子さんは、今、トイレに行っているので、俺は待っていたのだ。
春彦の奴が寝ていたということもあり、つい安心して気が緩んでしまったらしい。
「やべっ、おい……どこだ!?」
飛び起きて、教室中を探す。
生徒の数もまばらになった、放課後の教室。どこにも、赤ん坊が這っているような様子はない。
ふと、すぐ近くの窓が開いていることにきづいた。
「まさかっ……下に落っこちたとか!?」
恐る恐る、窓の外に顔を出してみる。が、地面には、特になにも見つけられなかった。
「じゃ、じゃあこっち……?!」
振り返る。見れば、教室のドアも開けっ放しじゃないか。
しかし、廊下に出てみても、春彦がハイハイしていたりということもなかった。
「うおおぉぉ……やばいっ! やばい、やばいぞこれっ……!?」
もし、どこかで春彦が死んでいたら……。
そんな想像をしてしまい、俺はガニ股で頭を抱えた。
「おい、どうしたライダー。何か探し物か?」
ポン、と俺の肩を叩いてくる奴がいる。恭介というやつだった。いつか、真子さんの隣の席を俺にゆずってくれた、親切な男である。
彼は部活にでも行く途中なのか、ユニフォームにカバンといういでたちだった。
「実は……春彦が、赤ん坊がどっか行っちまって」
「マジか!? 大変じゃないかっ。よし、探すぞ」
二人で、教室中を捜索すること4、5分。
「……ダメだ。赤ん坊が入れそうなとこなんて全部見たが……教卓の裏も、本棚の中も、掃除用具入れも、どこにもいないぞ」
恭介はすまなさそうに言う。俺が全部悪いのに、こいついいやつだな。
「あと、警察に行方不明って連絡しといたから」
「ちょっと通報すんの早すぎじゃね!?」
「じゃあ、俺は部活行くから。ランニングしながら、校庭とかも探してみるよ。夏樹は校舎内を頼むな」
恭介はさわやかに手を振って去った。
ううん……いい奴なんだが、何か少し言動がズレているというか。
なんか、俺(と恭介)のせいで大事になってしまったな。警察来たらどうしよう……俺、不審者で捕まったりしないよね。
それはともかくとしても、さっさと見つけなければ。
真子さんの机の上に書置きを残し、俺は一足先に荷物をまとめた。教室を出ようとする。
その時、視線に気づいた。教室の片隅に、女子の集団がいる。あの、茜とかいうやつも。
毎日毎日、俺と真子さんが一緒にいるのを、恨めしそうににらめつけてくるのだ。今もまさに、そう。
真子さんが帰るまでは、決して帰ろうとしない。だから、まだ教室に残っていたのだろう。
ただでさえ嫌われてるのに、しかも女子だ。関わりたくもないし、普段から避けている。たまにむこうから嫌味を投げかけられる以外に、ろくに話したこともなかった。
だが……今は。
止むを得ない!
金属製の足で床をガシガシ鳴らしながら、やつらの下に行き、
「なぁ……すっ……すまん。実は、赤ん坊が……い、いなくなったんだが。どこに行ったか、見てないか?」
「はぁ? 貴方……それで、教室中をひっくり返していたの?」
茜が、腕を組んで高圧的に言った。正直、この手の女が一番苦手なんだ。俺は、腰が引けていた。
「そうだ」
「コンマお姉さまの弟さんに、いったい何てことを……! きちんと見張ってさし上げなければ駄目じゃないの。図体ばかりでかくて、無能にもほどがあるわ!」
「……うっ」
反論が思いつかない。
「コンマお姉さまの側を独占している癖に……! こんな無能より、私たちのほうがよっぽど――」
「……す、すまんすまんすまん!」
話が終わりそうになく、俺はどうにか割り込んだ。
「ともかくっ! 今は一刻も早く春彦を探さないとなんだ。悪いが……あんたら人数もいるみたいだし、探すのをてつっ……て、手伝ってくれないか?」
「はぁっ!?」
「頼む、この通りだっ」
土下座――はしなかったが、俺は直角に上体を曲げてお辞儀した。
「いったいどのツラ下げて、私たちに頼みなんかするのかしら。分かってるの、貴方。貴方は邪魔者なのよ! どうして邪魔者を助けなければいけないの!」
「分かってるよ……別に邪魔者なら邪魔者でいい」
別に、こんな怖い女子となんか友達になりたくないし……とは言えなかったが。
「でも春彦は大事なんだ。おっ、おお俺の弟だし……危ない目に会わせるわけいかないんだよ。俺のことは、き、気に入らないんだろうが……頼むっ!」
「……」
茜は黙って俺をにらみつけた。
さすがに、赤ん坊のことを持ち出されると、強く出れないらしい。もう一押しだ。
「それに、あいつは真子さんの弟でもあるんだぞ? 春彦を探すのを手伝えば……それは、真子さんを手伝うのと、おっ、おんなじってことだ。違うか?」
「なっ……!?」
とたんに、彼女たちの顔色が変わった。俺に背を向けて、何事かを相談し――
「……仕方ないわね。手伝ってやってもいいわ」
「マジか! ……お、恩に着るよ」
「貴方の恩なんか要らないわよ、汚らわしい! 男の癖に、お姉さまにズカズカ近づいてっ! このケダモノ!」
えぇ……。
「……けれど、いい? その代わり……これからは、お、お姉さまと……その……お昼ご飯をご一緒させて欲しいのだけど」
あんたの恥ずかしそうな顔なんか、見せられても困るよ。――などという暴言を女に吐く度胸は、俺にはなかった。
「あのさ、ぶっちゃけ、お前ら真子さんにウザがられてるぞ。集団で押しかけて」とは、言ってやった。
彼女らはショックを受けていたようだ。が、ともかくも、赤ん坊探しに協力してくれるという。真子さんはまだトイレから帰って来ないので、俺一人、学校の廊下をライダー・ダッシュしている。
「くそっ、春彦、いったいどこにっ……!?」
教室の周囲を漏れなく探しているはずだが、ちっともいない。痕跡すらなかった。
その時、携帯電話に着信があった。発信者は真子さん。
「もしもし、真子さん?!」
『夏樹。春彦が、いなくなったって……本当?』
電話越しの彼女の声は、少し動揺しているように聞こえた。
「あぁ、本当なんだ。悪い……ちょっと居眠りした隙に、こつぜんと消えてて」
『そう……』
「すいませんでしたっ! 俺のせいで……!」
『いや。君のせいじゃない。春彦は、出たがりだから。よく、ベッドから這い出ようとしていたし』
俺を「無能」と罵った教室の女子連中を思い出す。彼女らと比べて、真子さんの優しさが胸に沁みた。
「は、はいっ……! あの、真子さんって……メチャクチャ精神イケメンっすね」
『それは嬉しくない』
とたんに、真子さんの声の調子が剣呑になる。
「ごめん……」
『まだハイハイしかできないから、たぶん、そう遠くには行ってない。私も探すから、お願い』
「オッケー、分かった」
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