06:ふたりの日常
「じゃあ、春彦でいいや。よろしくな、春彦」
俺も、真子さんに続いて、弟の頭を撫でた。
あれ、でも待てよ。
じゃあ、真子さんのことだって、別にさんづけする必要はないんじゃないか? 戸籍上は兄弟姉妹扱いだろ?
ためしに、「真子」とかって、呼び捨てにするところを想像してみる。
……う~ん、ちょっと違和感があるな。
だってこの人、「○○子」っていう感じじゃないんだもん。むしろ「○○斗」って感じ。
「……いま、何か失礼なこと考えなかった?」
「なんでわかんの!?」
「やっぱり」
真子さんは、離乳食パックを数個、カートの中に入れた。
「君だけのものじゃない。春彦は、私の弟でもあるから」
「ん? あぁ、そっか。春彦は俺とも真子さんとも血がつながってるんだなぁ」
「そうね。まるで、自分の子どもみたい」
「え……?」
俺は、真子さんをガン見してしまった。別に、彼女は気負うでもなく、そっけなく春彦を見ている。
こ、子どもって。
今まで、ぜんぜん自分と関係ない赤ん坊みたいに思っていたけど。「両方と血がつながってる」って、ほんとに子どもみたいじゃないか。
俺と、真子さんの間の……。
「いやいやいやっ、ないないないない! 絶対ないから!」
俺は必死で首を振った。両手も振った。
「『絶対ない』……? どういう意味、それ……」
「いやいやいやっ、ま、真子さんはっ、いいお嫁さんとか妻とかになるとは思うけどっ! そこを否定したんじゃなくって!?」
やばい、言葉が回んない。自分でも、何言ってんのかわかんなくなってきた。
「夏樹」
真子さんは、俺の二の腕の装甲をつまんだ。肌に直接触られたわけではない。が、肌があわ立つのを感じる。
「ひいいいぃぃぃ~っ!?」
もしかして殴られたりする!? そう感じるほどの怖さが、真子さんにはあった。
「……通行の邪魔だから、どいて」
「あ」
会話に熱中し過ぎて、買い物客のみなさんを邪魔してしまっていた。ぜんぜん周りが見えてなかったな、俺。
スーパーを出て、犬を回収する。
「あれ? こいつ、ちょっと落ち込んでない?」
犬は、クゥ~ン……と鳴いて、真子さんの手を舐めた。耳が垂れており、元気がなさそうだ。
「たぶん、私たちが酢臭いから」
「あ、なるほど……犬って嗅覚鋭いもんな」
ちょっと黄色くなり、酢の臭いを漂わせながら、赤ん坊と装甲ライダーと女子高生が歩いていると――
数名の笑い声が、俺たちの側から響いた。
店の前に、20代程度の男性が数名、たむろしていたのだが……どうも、俺の装甲姿を笑っているようだ。
「君、笑われてる」
「言われなくてもわかってるよ。ま、笑われるのはいつものことだし、別に気にしてないんで」
真子さんは、笑いをこらえるように、口元で軽く握りこぶしをつくった。
「むしろ、気にしたほうがいいんじゃない」
「冷たいお言葉だな……」
別に不快感というほどのものは、感じてなかったのだが。
「あの女、男みたいじゃね?」といった言葉が聞こえてきた時、俺はカチンと来た。
女というのは、セーラー服を着てる真子さんのことだろう。
真子さんは、一瞬ビクリと震えた。が、それ以上の反応はしなかった。
「行こう」
「あ」
俺は、真子さんの袖をつかんで引っぱった。
すこし、無言で歩く。
なんか……こういう時に、上手い言葉でもかけられたらいいんだが。
あいにく、俺はそんな高い会話能力は持っていない。
「え、ぁ……」
と、意味不明な声、というより音が出てしまった。なんだか不甲斐ない……。
「私も……」
「は、はい?」
真子さんは、口を開いた。
泣いてるんじゃないか? ――と、一瞬思ってしまうほど、声が低かった。でも、別に泣いてない。
建物があまり建っていない、だだっぴろい幹線道路を眺めながら、真子さんはぽつっと言う。
「何か、バチが当たったみたい。私のほうこそ……気にしたほうがいいかな」
「男みたいとか、いっ、言われたのを?」
真子さんは頷いた。
「いや……べ、別に気にしなくていいんじゃ」
どうして? という顔で真子さんは俺を見る。
まずい、なんと言えばいいんだ。だらだらと、装甲内部が汗で濡れる。
あ、そうだ。
「あ、あのあのあの魔女っ子姿は、すごい女の子っぽかったし! 変身した後があれなら、むっ……むしろ普段は、ちょっとくらい男っぽくないとバランスとれないと思う!」
無意味にジェスチャーを交えながら、俺は言った。
「だから、真子さんは今のままでいいって! ……あれっ? 何言ってんだ俺? えっと、いや、魔女っ子の話題は出さないほうがいいんだっけ? えっと、その……じゃあ……」
「……ふっ」
真子さんは噴き出した。
「え、あれ?」
「夏樹……くすっ……言いたいことは、大体分かったから。もういい……!」 笑いをこらえている。やがておさまると、犬のリードを後ろ手に持ち、俺の前に回りこんだ。
「確かに、変身しているときはああだから。変わらなくてもいいのかもしれない。夏樹、あれ……あの時の私、可愛かった?」
「え、うん、そりゃあ……幼児むけのアニメから飛び出してきたみたいで……うん。あれは、かっ……可愛かったな」
面とむかって、女子に「可愛い」と告げるなんて。
少し前の俺では考えられない、冒険だった。
「そう」
真子さんは立ち止まり、俺も止まった。
「なら、君もムリに変わることはないかも。その、ライダー姿。けっこう、頼りになるから」
「そうっすね」
真子さんは俺の腕を指差した。確かに、下手すると何十キロ分はある戦利品を、片手で抱えて持って帰れるのだ。もう、まもなく家につく。たしかに頼りになるよな。我ながら。
女の子にちょっと褒められただけで、俺はまたすぐに得意になった。
「じゃ、じゃあ真子さんも、もっと魔女っ子を前面に出してけば? そうだよ、それがいいって!」
「夏樹」
「ん?」
「もし口外したら、許さないから」
「うん……」
こうして、俺の転校初日の生活は終わりを告げた。
それから、半月ほど経ったある日のこと。
親父と優子さんは、まだこっちの家に帰って来る気配がない。いったい、いつまで頑張っているつもりなのか知れない。
真子さんは、スマホを耳から離し、ハァッとため息をついた。その表情だけで、どんな会話が繰り広げられたのか、想像に難くない。
「あいつら、やっぱり……帰って来ないって?」
「うん。もうしばらく新婚気分を味わいたいって」
「……素朴な疑問なんだけど、再婚の場合でも、『新婚』って言うんかな」
「さぁ? 一度も結婚したことないし」
「そりゃそうだ」
真子さんは、携帯をしまってから冷蔵庫を開ける。
「お茶飲む?」
「あ、飲む」
お茶を二人分注いでから、真子さんはテーブルに腰かけた。装甲ライダーと女子高生が、一緒にお茶を飲むという構図だ。
会話が途切れる。
もっとも、悪い雰囲気ではない。二週間ほど一緒にいて、だんだんと真子さんのペースがつかめてきた。この人は、口数がそう多くない。俺にとっては相性がいいと思う。最初は、仲良くしなきゃと躍起になって、会話しようと思っていたが……今は、無理しない。
ごくっ、ごくっ、と真子さんの白い喉が上下するのが、ゆいいつの音だった。
ふと目が会った。
「やっぱり」
「え?」
「何度見ても、飲みにくそう」
「いや、慣れれば大したことない。慣れれば」
「慣れるくらい、ずっと変身してきたんだ」
真子さんはくすっと笑った。
あれ? なんかいい雰囲気のような。
なにか、こう……熟年夫婦みたいな。俺たちの親どうしなんかより、ずっと落ち着いている気がする。
はっ!? 何考えてるんだ、俺は。
「夏樹」
真子さんは、ごく静かに言った。
「は、はい?」
「これからも、二人で――」
「え!?」
俺はどきりとした。
腰がちょっとだけ、椅子から浮き上がる。
「――頑張って、生き抜きましょう」
その言葉で、一気に現実へ引き戻される。
俺は尻を椅子につけ、一挙に真面目モードになった。
なにしろ、生活と、赤ちゃんの世話と、学業、ぜんぶやらなきゃいけない、そんなヤバい状態なんだ。
「あ……うん。そうだな。頑張ろう。親から放り出されてるけど」
「ええ。……親が老後になったら、同じことを復讐してあげましょう」
「それはまずいよっ!?」
翌日の朝になった。
いつも通り一緒に家を出て、一緒に授業を受ける。
そして、二人行動は、とうぜんお昼休みも継続する。
俺たちは、机を向かい合わせにしてから、弁当を開いた。
別に、仲良しだからそうしているってわけじゃない。ただ、机をピッタリあわせたほうが、離乳食を食っている春彦の行動を監視しやすいだけだ。
……いや、仲悪くもないと思うんだけど。
「いただきましょう」
「……いただきます」
学校でも、真子さんがいつも通りの音頭をとる。装甲兜の口部分をオープンし、弁当箱を開いた。
「あの、少し恥ずいんだけど」
「どうして」
「だって……みんなずっと見てくるし」
二週間ほど経ったというのに、クラスの連中はいまだに俺らを好奇の目線で見てくる。
血のつながった赤ん坊を学校に連れてきて。
男の方は真紅の装甲ライダー・マグマで。
女は学年一の超カッコイイ美形で。
昼休みは、そいつらが一緒に弁当を食っているのだ。いろいろ勘違いや嫉妬をされてもしょうがない。しょうがないんだが……。
「なんかこう、これ、ガキみたいに見られるっていうか?」
「『いただきます』を恥ずかしがるほうが、よっぽど子ども」
「それはそうだけどさ……ほら、特にあいつらとか」
俺は声をひそめた。
教室の離れたところで、女子の一団が固まりになって飯を食っている。皆がみな、こちらのほうを殺気だった目で見ていた。真子さんのことを「コンマさま」「コンマお姉さま」などとキツネの神様みたいな名前で呼び、あがめていた連中である。以前、俺につっかかってきた茜というボスみたいなやつも、もちろんそこにいた。
「いい加減諦めねぇのかな、あいつら」
「気にしなくていい」
「いや……女子に注目されてるって、俺的にはつらいんだけど。なんか漠然と怖くて……」
「君が羨ましいのよ。私と一緒に食べてるから」
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