03:ボディタッチ・ベッド交換

 それからは、真子さんと一言、二言話したくらい。静寂の中で、食事が終わった。

 「……何、ニヤニヤしてるの」

 「あれっ、なんでバレたの!? 仮面かぶってんのに!」

 「別に。気配で」

 気配で人の表情が分かるって。なんの達人だよこの人。

 「すごいっすね。……いや、あの、実は俺、ちょっと嬉しかったんです。普通に、誰かと一緒に飯を食うってのが……は、あはははっ」

 「え? ……向うで、隆英さんと一緒に住んでたんじゃないの?」

 「そうなんすけど、親父は外に出てばっかで、家族と一緒にメシ食った経験ってのがあんまないんすよね。まして……女子と一緒に食えるっつーのが……なんか、こう、いいな~って。でも、た、大してっ、会話できたわけでもないっすけどね。それでも、まぁ、なんとなく……女子と同じ空間で、安心できてるってのが……それだけで、こうすごいなって……あ、何言ってんだろ俺?」

 あまり、口が回っていなかった。

 たしかに。

 「どうせ女子なんて」そう思ったことも一度や二度じゃない。

 「俺は女子と喋るのが苦手だ」とも。

 けれど、変身状態なら……ある程度は、話せるらしいな。

 なら。いままで、学校でも、ずっと女子を避け続けてきたのは、いったいなんだったんだろうか?

 ほんの少し喋っただけでも……ここまで、楽しい気分になれるって言うんなら。

 「……私が」 

 「はい?」

 「私が女子だから、嬉しかったの?」

 「は……はい……」

 「そう」

 細い瞳と、びっしり生えたまつげが、ぴくぴくっと上下に動いた。そんな目線が覗き込んできて、俺は思わず下を向いてしまう。

 自分より20センチ以上は低い女子に、正義の戦士・装甲ライダーが恥ずかしがってるって。全国の子ども達には見せたくない光景だった。

 「……あの。ライダーが言い負けて下向いてると、すごく違和感あるから止めたほうがいい」

 「あ、やっぱり真子さんもそう思います!?」

 これが女子と一緒にする食事か……。まあ、楽しかったよ。うん。

 

 真子さんはお皿を片付けようとした。

 「あ……。俺、皿洗いますよ」

 俺が皿を運び、台所に立つ。

 「君、炊事とかできるの?」

 「はい。親父は家事とかぜんぜんしなかったんで。自然に、料理とか、掃除とかも、全部押し付けられちゃって」

 「へぇ。何か……モテそう」

 「えっ!? お、俺が……ですか?」

 「うん。家事ができると。一般的には」

 真子さんと――女子と、ほんの一メートルくらいしか離れてない。

 やや怖い。

 けど、「じゃあ真子さん的には、どうなんですか?」とか――聞きたくなってしまう。

 もし、ほんの少しでも、女子から好ましく思ってもらえるのだとしたら。

 俺はっ……俺は!

 「あ! ……ちょ、ちょっと、向こう向いてもらっていいすか?!」

 「え」

 「……あの、ライダー状態だと、指が分厚すぎてとても皿とか洗えないんで……生身に戻んないとなんで! 女子が近くにいると、さっきみたいにスゲー錯乱するんで! ってかもう、居間のほうに、いっ、行ってもらっていいすか?」

 やっぱり、怖さが勝ってしまった。

 ですよね。知ってた。

 真子さんは、ちょっと呆れたように息を吐き、

 「部屋に戻ってる」

 と、二階に消えた。

 あれ? 今……俺、何かとてつもなく大きなチャンスを逃した気が……? ま、いっか。

 

 夕食後、風呂に入った。

 真子さんは、本当に入ったか入ってないか、分からないくらい風呂が短い。江戸っ子みたいだ。

 もちろん、入る順番は調整してるんだから、「お風呂場で遭遇」なんていうイベントが起こるわけもない。

 そんなことが起きてしまったら……俺がビビる。いや、2割くらいは嬉しいだろうけど。

 いやー、安心だ。まぁさすがに、風呂場くらい、安心できなきゃ困るしな。

 「そろそろ上がるか」

 風呂の扉を開ける。

 脱衣所に、真子さんがいた。

 「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 思わず、自分の体を抱いてしゃがみ込んでしまった。なんでいるんだよ!

 「!? ご、ごめん……! まだ入っていると思って、タオルの替えを。ここに、置いておくから」

 真子さんは真子さんで、けっこう恥ずかしそうだった。耳を赤くして、慌てて出て行く。

 ま、そんなに恥ずかしかったなら、このことはきっと忘れてくれるだろう。

 脱衣所を出ると、

 「夏樹。君……けっこう、いい体をしてたわね」

 なぜか、まだそこにいる真子さん。

 「なんでそんな恥ずかしい話を蒸し返すんですかっ!?」

 俺は、慌てて変身する。

 「スポーツとかやっていたの?」

 「いえ、とくにはやってないすけどっ……。た、ただ重い装甲を常時まとってるんで……身体が、まぁ、あの……無駄に、鍛え上げられちゃうんすよね」

 「なるほど……」

 真子さんは考え込んだ。

 「どうしてそんなことを?」

 「私、空手部に入っていて。みんなのトレーニングの、参考になるかと」

 空手部、か……。いかにも、この人っぽい感じだ。この顔で空手って……もう、どんな強い敵が来ても守ってくれそうだ。

 「今……何か、失礼なこと考えなかった?」

 「……いえ、何も」

 「いや、考えた。私には分かる。……お詫びに、ちょっと体見せて。絶対に触らないし、変なこともしないから。見るだけ」

 「えええぇぇぇっ!? いや、ムリっ」

 「お願い」

 真子さんは、真剣に言った。かっこいい――は禁句らしいが、ともかく美形顔を俺のほうに突き出してくる。強い意思を秘めたその綺麗な瞳に、思わず心臓が高鳴った。恐怖で……。

 「……絶対! さささささっ、触らないでくださいよ。はっきり言って、マジでぎぎりぎりなんすからね、俺……っ!」

 「うん」

 寒さでなく、恐怖にガチガチと歯を鳴らしながら、裸の上半身を晒す俺。目の前に女子が見えるとパニックになりかねないので、まずアイマスクで目を封じてもらった。

 うろうろと、俺のまわりを回る真子さんの気配がする。

 何だこの構図は……?

 「三角筋、二の腕、出てる。胸筋、背筋、盛り上がってる。腹筋、割れてる――」

 「はぁっ……早く、終わっ……終わらせて……くださっ!」

 「うん、ありがとう。参考になった。はい、服」

 「あぁ、良かった……!」

 「次は、下半身もお願い」

 「もうセクハラでしょこれ!?」

 半ば強制的に、下半身も脱がされた。残っているのは下着のみ。

 が、真子さんは恥じ入るどころか、やはりこの場を離れようとしない。

 「へぇ……とても立派。たぶん、うちの男子より」

 「ど、ども……っていうか、ふだん男子の裸見たりしてるんすか……っ?」

 「! そんな変な言い方……。ただ、めんどくさいからって道場で着替えてる男子の身体が、たまに見えるだけ」

 なんだ、良かった……。ほっと、息をついている俺がいた。 

 あれ? なんで「良かった」なんだろう。

 あぁ、そっか。他の男子と比べられたりすると、なんとなくイヤだって感じかな。

 「失礼」

 ぴとっ。

 太ももに、指先が触れられる感触がした。ぐにっ、と数回押される。

 「あっ……あぁ!?」 

 「……? けっこう、筋肉が硬い。君、もう少しほぐしたほうがいい」

 「あ――!」

 触られた。女子に。

 触られた。触られた。触られた。触られた。触られた。触られた。触られた……! そのショックに、俺はひきつけを起こして倒れた。

  

 「……ごめんなさい」

 「い、いえ」

 気づけば、居間のソファで、俺は寝かせられていた。真子さんは、心底すまなそうにしている……俺から、ものすごく離れたところで。それでも耐えられず、俺は慌てて変身する。急に身長が伸びて、装甲に覆われた足先がソファの先からはみ出た。

 「女子が苦手と言っても、まさかここまでとは思わなくて……。これからは、本当に気をつけるから。許して。お願い」

 真子さんは、やたらいい姿勢で頭を下げてくれた。ものすごく遠くで……。

 「いや、そこまでっ……か、かしこまらなくても。真面目っすね……でも、こ、これからは、気をつけてくださいね。俺、マジ女子苦手なんで……お願いします」

 「うん……ごめん」

 「じゃあ、もういいっすよ。頭上げて下さい」

 「夏樹」

 真子さんは、うるんだ瞳で俺を見つめた。やっぱり、かっこ――じゃなくて。その姿を見て、俺ははじめて、(未変身時の)真子さんを可愛いと思った。

 心配そうに手をぎゅっと握ったまま、口を開き……

 「きみ、同性愛者?」

 俺は、ズッコケそうになった。

 「俺はノーマルです! ……ただ、女子が苦手なだけで」

 「女子が苦手なら、男子が好きってことなんじゃ?」

 「いや、普通に女子が好きなんですってば!」

 「好き」という言葉に、真子さんは少々たじろいだようだった。

 「苦手なのに、好きって……。よく分からない。どうして、そんな風に?」

 「それは……究極的には好きなんだけど、今のところは苦手みたいな……はは」

 「そうなった原因は?」

 「ちょっ……ちょっと、はは恥ずかしいんで内緒です」

 「もったいぶるのね」

 真子さんはニコッと笑った。

 あれっ?

 やっぱり……真子さんって。

 「あの……笑ってる時って、けっこう可愛いっすね。普段はかっこよすぎてしびれますけど……」

 って俺、何言ってんだ!? 普通に失礼だろ!

 真子さん怒るか? と思いきや……意外にも、黙り込んだ。目が泳いでいる。珍しい反応だった。

 「いや、あ、あのっ……す、すんませんっ。えらそうなことを……忘れて下さい」

 「……うぅん。別に」

 挙動不審に、きょろきょろ辺りを眺めだし、

 「それじゃ、私寝るから……おやすみ」

 「あ、おやすみなさいっ?」

 彼女は、二階に消えた。

 うーん、なんだったんだ? まあいいや。女子の思考なんて、俺にはよく分からない。推測するだけ無駄だ。

 俺も寝よう。

 今度は、ぜったい自分の部屋を間違えたりしない!確かに、ここが南側の角の部屋だ。電気をパチッと点け、ベッドに倒れこもうとすると――

 「うわっ!?」

 そこには、先客がいた。

 真子さんが、俺のベッドで寝ている。起きてるときは絶対見せなさそうなニヤニヤした笑顔を浮べ、幸せそうに寝息を立てて。

 「今度は、真子さんが部屋間違えてんのかよ。はぁっ、仕方ねえな」 

 真子さんは、思い切り毛布を剥いでいた。

 「4月とはいえ、毛布なしは風邪ひくだろうに……」

 それをかけなおしてやってから、電気を消す。ライダーの時は、繊細な動きは苦手なので、大きな音を立てないようにするのが難しい。

 なんだか、今日一番、正義の味方っぽい行動をした気がする。

 「……おやすみなさい」

 小声で挨拶して、ドアを閉じた。仕方がないので、その日は真子さんのベッドで寝た。やたら、シャンプーっぽい良い匂いがして、まともに寝付けなかったけど。

 さて、明日は学校だ。無事に済むといいな……。

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