第2話

 翌朝、桃太郎が目を覚まして台所に行くと、おばあさんがキッチンに立って何やら作業をしていた。桃太郎はひどく驚いた。おばあさんが料理をしているところなんて、ここ何年も見ていなかったからだ。壁にかかった時計は朝の六時半を指していた。

「おはよう、おばあさん」桃太郎は言った。おばあさんは桃太郎の方をチラリと見たが、そのまま何も言わずに作業を続けた。

「おばあさん、何を作っているの?」桃太郎は尋ねた。

「きびだんごを作っているんだ」おばあさんはぶっきらぼうに言った。

「きびだんご?」桃太郎は驚いた。簡単な料理すら作りたがらないおばあさんが、スイーツを作っているなんて、まるでバッファロー社から自動車が発売されるみたいなものだ。

「どうしてきびだんごを作っているの?」

「お前が鬼ヶ島に行くからに決まっているじゃろうが」おばあさんは呆れたように言った。「鬼退治に行くときは、きびだんごを持っていく。昔から決まっているのじゃ」


 桃太郎は寝床に戻って硬いベッドにうつ伏せになり、ひとりでしくしくと泣いた。擦り切れたそば殻の枕がぐっしょりと濡れた。いったいどうすればいいのか、桃太郎には見当もつかなかった。本当に今日、鬼退治に行かなければならないのだ。

「あんまりだ」桃太郎は誰にともなく呟いた。鬼ヶ島はたくさんの鬼が暮らす集落で、軍隊もあれば武器もある。人よりも少しだけ体が丈夫で力持ちだったとしても、桃太郎一人で敵うわけがないのだ。桃太郎は鬼に負けた自分がいったい彼らにどんな仕打ちを受けるのかを想像した。きっと鬼は桃太郎を食べてしまうだろう。まずはお腹を割かれて内蔵を取り除かれ、頭を落とされ体は三枚におろされる。そして頭蓋骨に穴を開けられてストローを差され、まるでココナッツミルクでも飲むみたいに脳味噌をちゅーちゅーと吸われてしまうのだ。

 このまま逃げ出してしまおうかとも思ったが、それを知ったおばあさんが怒り狂うことは火を見るより明らかだった。桃太郎は激怒するおばあさんの姿を想像して、ぶるぶると震えた。おばあさんは怒ると手が付けられないのだ。以前、桃太郎が夕食にパイナップルの入った酢豚を作って出した時には、おばあさんは訳の分からないこと叫びながら居間で消火器を噴射させて暴れた。居間にあったテレビも観葉植物も買ったばかりのパソコンも、すべてダメになってしまった。そして粉まみれになった部屋を元通りに掃除するのに2週間もかかった。おばあさんを怒らせてはならない。

 その時、桃太郎はふと寝室の扉が開いているのに気付いた。桃太郎は一人になることを好む性格なので、いつも部屋の出入りの後にはドアをきっちりと閉める。これは癖というよりも彼の性質とも言えるような、彼の体にプログラムされた絶対的な行動だった。鳥が産んだ卵を足の下で温めるように、桃太郎は開けたドアを閉める。たとえこれから鬼退治に行くことに悲観し打ちひしがれていたとしても、桃太郎が寝室のドアを閉め忘れるということは考えられなかった。誰かが扉を開けたのだ。

 しばらくして、桃太郎は寝室の隅の暗がりに、誰が立っているのに気付いた。その影は闇に身を潜め、ベッドに横たわる桃太郎をただじっと凝視していた。あまりにも微動だにしないため、その影からは生命から自然に発せられるエネルギーや気配のようなものは全く感じられず、ただ視線だけが桃太郎にその存在を伝えていた。桃太郎は額に脂汗をかいていた。それは人間というよりも、魂や霊と言ったほうが近いような存在のように思えた。鬼に食べられる前に、悪霊か、あるいは亡霊に呪い殺されてしまうのだろうか。桃太郎は自らの不運を呪った。悪霊であれ鬼であれクラスメートであれ、そしておばあさんであれ、みんなが自分を死の方向に追いやっているように思えた。まるで街に迷い込んだ熊を住民総出で追い回すみたいに。桃太郎は恐る恐るその影の方に視線を向け、正体を見極めようとした。自分を殺しに来た者の正体くらいは知っておこうと思ったからだ。しかし、部屋の隅にいたのは、悪霊でも亡霊でもなく、おじいさんだった。


 おじいさんは寝室の隅で、じっと桃太郎を見つめていた。おじいさんの体は、完全に静止していた。心臓の鼓動すら止めてしまっているように思えた。桃太郎の喉はからからに乾いていた。喉を潤すために唾を飲み込むと、その音が寝室にひどく大きく響いた。するとおじいさんは、その音を合図にするようにゆっくりとベッドに近づいてきた。まるで地面から数センチ浮いているかのような、滑らかで静かな歩行だった。ベッドの脇につくと、おじいさんは桃太郎の目をじっと覗きこんだ。桃太郎もおじいさんの目を見たけれど、その目はまるで線香をいっぱいに焚いた狭い部屋みたいに白く濁っており、その奥にある意図を読み取ることは出来なかった。

 桃太郎がおじいさんに話しかけようと口を開きかけると、おじいさんはすっと後ろに身を引いた。桃太郎は開きかけた口を閉じた。おじいさんはただ黙って桃太郎の目をじっと覗き込んでいた。桃太郎もおじいさんの目を見た。それから、おじいさんはゆっくりと桃太郎のズボンと下着を脱がせ、ベッドの脇に屈んで桃太郎のペニスを口に含んだ。桃太郎は恐怖と驚きで、まるで金縛りにあったみたいに全く身動きがとれなかった。おじいさんの口は、その乾いた唇や抜け殻のような体からは想像もできないくらい柔らかく、そして暖かかった。桃太郎はそっと目を閉じた。おじいさんの舌は、まるで決まった形を持たない生命体であるみたいに桃太郎の亀頭を柔らかく包み込み、ねっとりとした滑らかな動きで桃太郎のペニスを刺激した。桃太郎のペニスはみるみる固く大きくなり、まるで津波のように桃太郎の中の何かを強烈な力で押し流していった。心臓の鼓動が急激に早く強くなっていくのを感じた。そして桃太郎は射精した。まるで巣穴から無理やり引っ張り出されるような、虚しい射精だった。

 心臓の鼓動と連動するような数回に渡る射精を、おじいさんの口は辛抱強く受けとめた。やがてすべての射精を終えると、おじいさんは精液を口に含んだまま寝室を出た。流しの方向から水道の音が聞こえた。きっと口をゆすいでいるのだろう。おじいさんはそういう作業に手馴れているようだった。桃太郎にはそう感じられた。

桃太郎はゆっくりと上半身を起こし、下着を履いてズボンのチャックを閉めた。桃太郎の涙はもう止まっていた。


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