#04 『解き放たれた心』

 『喋る不思議な魔導書』その語り部たる精霊『カロ』を拾ってから、カフワの日々は今までとは違う明らかな変化と刺激に満ちていた。


 この時、カフワ自身ですらハッキリと意識してはいなかったが、一番大きな変化は常に『カロ』という話し相手が居るという状態に他ならない。


 ずっと一人旅に慣れていたカフワだったが、払った代償以上の何かを得たという事。それに気づくのはもう少し先のことだった。



 ――カロと出会って5日目。そんなカフワの魔導修行も停滞期を迎えようとしていた。


「カフワ! ちゃんと聞いてるの?」


「土属性と鉱石の関係についてだよね。ちゃんと聞いてるよ」


「そうそう。リアクション薄いから寝てるのかと思ったでしょうが。」


「でも難しくて全部覚えられないし、こんな勉強で強くなれるの?」


「属性に特化した基礎学習はとても大事よ。魔導士の優劣は知識の差だと理解しておいたほうがいいわ」


 現在なぜ、こんな勉強をしているのかというと、あれからカフワの出せる石の種類が不安定なのだ。それは、山道で拾えるような黄土の混じった岩石だったり、河原で拾ったような不純物の多そうな石だったりした。


「でも、どうせ消えるなら宝石じゃなくてもいいんじゃない?」


「問題はそこじゃなくて、鉱石の硬さとか脆さよ。カフワの初めに出した鉱石『ラズライト』の成分はケイ酸塩鉱物で硬度が5程度。鉄とかと同じくらいの硬さね。それなら、コレよりも、もっと柔らかく、脆い鉱石で作った武器で相手に勝てると思う?」


「……思わない」


「仮に魔法で剣を作って戦っても、すぐに刃こぼれしたり、折れるでしょうが」


「剣が折れる……なんか嫌な記憶が蘇ってきた。――じゃあさ。相手が剣で来たら、石を沢山飛ばして当てて倒せば良いんじゃないかな」


「多分ソレ。君が思ってるより簡単じゃないわよ」


「どうして?」


「炎や雷と違って、質量の多いものをコントロールして目標に当てるのって案外高等テクニックなんだよ。同時に沢山なんてもっと無謀ね。そもそも、ここ最近のカフワの出す石、すぐに崩れちゃうじゃない。そんなの当てても誰にも勝てないでしょうが。危機感足りてないんじゃないの?」


「なんか今日のカロ冷たいし、怖い」


 カロは自称魔導書の精霊といったが、その姿形も想像出来なかった。表情が分からないから顔色を伺うなんて事も出来ないし、性格もキツめである。特にボケた訳でもないのに、やたらと早いツッコミが入るし、よく喋る。マイペースな自分の性格には合ってないんじゃないかと、カフワは疑念を感じ始めていた。


「……ふぅ。なんか今日はもう疲れちゃったな。最近うまく行かないし、休憩させてよ」


「もう、しょうがないわね」


 不満そうにするカフワ。正直、毎日ぶっ続けでの勉強が嫌になって、完全に集中力がきれた状態だった。


(あんなに捲し立てて喋られたら、全部頭に入らないし、全然独学じゃないよなぁ。日増しに説教臭くなってきてるし)


 しばらくして、喉が渇いたので水を汲みに河原の方へ向かった時、ある事に気づいた。手元に魔導書が無いことに。しまった! さっきの場所に置いてきた? と思ったのは一瞬で、すぐに別の考えが浮かんできた。


(これ、もしかしてこのまま、あの魔導書を置いて逃げられるんじゃないのか?)


 ほとんど無意識にここまで歩いてきたせいで、魔導書を忘れてきた場所から、もう既に声も届かないであろう距離まで離れていた。これだけ離れても何ともないということは、カロ自身どうなるか分からないと言う『ペナルティ』とやらも無いのでは?


 そんな悪魔の囁きともとれる思考がカフワの頭よぎる。


 たぶん、街の図書館へ行けば魔導書なんてもっと沢山選んで読めるはず。別にあの本じゃなくても良いんじゃないだろうか。


 そう考えたカフワは、カロ先生の熱血指導教室から逃げ出し、自分に合った別の師匠を探すべく脱走を謀った。


「今、呪縛を解き放つ時!」


 やっている事のカッコ悪さとは裏腹に、かっこいい台詞を言ってみる。


 そして、カフワは走った。喉が乾いていたのも忘れるほどに河原の下流へと。人里へ近づくにつれ道も整備されており、進みやすくなる。


 どれくらい走ったのか、来た道を確認するように走りながら振り返った瞬間、側の茂みから飛び出した何かにぶつかった。


「おっと!」


「うわっ……く!」


ぶつかったのは自分より一回り大きな男で、見覚えのある顔だった。


「あっ! お前、あの時のひよっこ!」


「あーーーー」


自分から剣の道を諦めさせた原因。その、山賊一味の一人であった。


 トラウマ以外の何物でもない男を前に、丸腰のカフワは反射的に握りこんだ手に力を集中した。自分の目では確認しなかったが、そこには魔導の覚え始めに出来た、あの宝石の輝きがあった。


「おい、なんだその手に握ってるモノ。見せてみろよ」


「……今日も、お金なら持っていません!」


「いいから、それ見せてみろって」


 ごく自然な流れで差し向けられる短剣。はち切れんばかりの心臓の鼓動、とてもではないが、冷静ではいられないその緊張感。


(逃げなきゃ、逃げなきゃ)


「だぁーー!」


カフワは握り込んだ石を男に投げつけ、全力でたった今来たばかり道の方へ逃げた。


「ぃってっ! 野郎、ぶっ殺す!」


 投げた石は、寧ろ自分のピンチに拍車をかけたことを後悔したが、もう遅い。思いつく選択肢は走るしかなかった。


 どうやら男は追ってきているものの、怒鳴る声の感じで予想するに、すこし間が開いてきている。このまま走りやすい道を進むか、林に突っ込んで隠れる場所を探すか。その程度の考える余裕ができた時、またもや絶望の壁にぶつかった。


「おーう、おうおう。ここで行き止まりだ、兄ちゃん」


「ブルンジの大声が聞こえるから出てみれば、お前か。いつぞやの腰抜け剣士」


 最悪の事態だった。なんで、こんな事になっているんだろう。何か天罰でもくだるような事をしたであろうか、記憶を辿るが全く思い当たらない。逆に目の前には思い出すまでもなく、忘れもしない山賊3人衆が、取り囲むように集結してしまっている。


「追いついたぜぇ。覚悟はできてるんだろうなぁ?」


 逃げるコマンドはあと何回使えるだろうか? なぜ、山賊の台詞はみんな子供の時読んた絵本と同じような煽り文句を使うのだろうか? もう、テンパって本当に何が大事な疑問なのかも、次の手も思いつかない。


 最初にぶつかった、ブルンジとか言う男がタックルでカフワの上体を崩し、のしかかって来る。もちろん全力で足掻いたが、どうみても力では敵わない。


「やっと捕まえたぜ。逃げられると思ったか? 諦めてくれると思ったか? 今日は収穫もないし機嫌が悪いんだ、残念だったな……」


 恐ろしくて直視出来ないながらも、片薄目を開いた先には、喉元の真上に逆手で構えられた短剣が見える。




 英雄に憧れて旅立ったあの日から――俺って、ずっと逃げてばっかりだったなぁ。


 故郷から逃げて、努力から逃げて、苦手なものから逃げて……あげく、目標から逸れて遠回りして、今も自分からやり始めた魔導の修行からも逃げてきて。


 そして英雄を目指すどころか、戦いもせず恐怖からも逃げて、逃げ切れなくなって。


 そんなツケが回って、逃げの人生が終わりそうになっているんだ。


 ……もうだめか。




 のしかかられた腰元にさらに体重が加わり、男の振り下ろす短剣を無駄と知りながら右手を喉元へやり防ごうとした瞬間――


「休憩は終わりよ。カフワ」


 どこかで聞き覚えのある、キレ気味の女性の声。いつの間にか己の右手には黒く分厚い塊。いつも以上に禍々しい紫のオーラに包まれた魔導書がそこにあった。


 本能的に危険を感じて後ろへ飛び退くブルンジ。


「残念だったわねカフワ。呪縛から解き放たれなくて」


 置いてきたと思っていた魔導書は精霊たる実体化を解き、宿主のカフワの体に戻っていただけだったのだ。


(やべぇ、聞かれてるー。そして、怒ってるー)


「……おい、何だそれ。本から声が聴こえるぜ。どこから出した」


 山賊から当然なリアクション。しかし、カフワにもその仕組はまったくわからない。


「あなた達、この子に手を出したら、あなた達も全員呪われるわよ。只ではすまないわ」


 突然の呪詛宣言。その空間を包み込むオーラから、嘘やジョークには思えない凄みがあった。実際、山賊たちも武器こそ構えてはいるが、様子を見つつ少しずつ後ろへ下がり始めている。


「呪いだって?」


「おいおい、これは魔法の類だぜ。マジなやつだ」


「なんか、やべぇんじゃねぇの? ずらがろうぜ」


 常に命がけの生活をする者達は、危険を嗅ぎ分ける能力が敏感だった。自分の理解を超える未知のものに対し恐怖を感じ取り、山賊たちは皆、すぐに引くことを選んだ。


 しばらく経って、木々と木の葉が擦れる音の中、段々とカロの禍々しいオーラが収まり張り詰めた空気が緩和されてゆく。


「……行ったようね」


「うう……。うわぁー怖かったぁー死ぬかと思ったぁ」


 安堵とともに泣き崩れるカフワ。17歳の秋にして怒涛の九死に一生ラッシュである。


「だから、危機感足りてないって言ってるのに。利口な魔導士は周囲の警戒は怠らないものよ」


「まさか、逃げようとしたのに助けてくれるなんて」


「ごめんよカロ。ごめん。意地悪で、性格キツくて、煩いとか思っててごめんよー」


(そんな風に思ってたのかよ……正直すぎて逆に清々しいでしょうが)


 カフワは膝から崩れ落ち、黒く分厚い本を抱きしめて、かっこ悪く涙声のまま必死にカロに誤った。


「もう怒ってないわ。カフワ」


「それに、あなたに死なれると魔力を吸えなくなるからね。今、魔導書として実体化してるのも全部カフワの魔力使ってるんだから」


「えぇ? それずっと魔力消費してんの? どおりで最近なんかだるいなぁと思ってたよ」


「ぼやいてないで、食事したらまた特訓でしょうが」


 その日も魔導講座と説教はいつもと同じように続いたが、カフワの心には変化があった。


 ほんの少しカロの口調が優しくなった気がして、不思議ともう、嫌な気はしなかった。

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