四章⑦ 再会
しかし、その全てがフロストの為に張り巡らせた策略だった。
金色の銃口は、既にフロストを射程圏内に捕らえている。最初から、キュリの狙いはミカではなかった。ミカに危険が迫れば、自分の身がどうなろうとフロストは彼女を助けに行く。だから、わざわざ潜望鏡を狙撃して、ミカを狙っていると見せかけたのだ。
フロストがキュリを見つけた時には、彼女は既に引き金に人差し指を引っ掛けていた。ネラはまだ、彼女を捕らえてはいない。
間に合わない。フロストは完全に、キュリの策に落ちたのだ。美貌に氷の嘲笑を飾り、紅い唇が別れを紡ぐ。
「さようなら、フロスト」
――轟いた銃声は、一つだけだった。
「――――ッ!!」
死に瀕した時、時間は物凄くゆっくりと流れることがあると聞いたことがある。確かに、とフロストは思った。キュリが引き金を絞ったのが、視界の中でちゃんと見えた。
しかし、金色の銃口は無言を貫いた。
「……え!?」
嘲笑から、動揺へ。キュリが突然のことに表情を歪めた時、フロストのネラが彼女を捕らえた。だが、疲労と苦痛に侵された両手では、足場の不安定さも相俟ってなかなか引き金を引くことが出来なかった。
「く、そ……」
周りから音が消える。撃たれたのだろうか。いや、どうやら違うらしい。
一瞬だけだが、痛みも消えた。鉛のようだった両腕は軽く、というより誰かに支えられているよう。ミカ? いや、そんな筈はない。
感じるのは懐かしくて、大好きだった大きくて温かい手の感覚。
――よく頑張ったなフー、ありがとう――
「きゃああぁああ!!」
ネラから放たれた弾丸は、寸分の狂いもなくキュリの腕を削いだ。金色の銃が投げ出され、雪の上へと静かに落ちる。
フロストが雪上に降り立った時、全ての感覚が元に戻っていた。痛みに音、肌を叩く冷たさ。くらくらと揺れる視界に歯を食いしばり、バランスを崩したキュリに追い討ちをかける。
連射される弾丸は、全て彼女の身体を穿った。避けることも防御することもしない、それ程までにキュリは恐慌状態に陥ってしまったようだ。
「い、いや……痛い。苦しい……醜い。こんな、こんな汚らしい身体はいや……」
膝を折るように倒れ込み、撃たれた腕と腹をさすりながら震えるキュリ。そんな彼女が数歩先にある銃を見つけ、四つん這いでそれに手を伸ばすのを見逃すフロストではない。
触れようとした手を撃ち、届かない場所まで蹴り飛ばす。勝敗は今、明らかとなった。
「……これで、終わりだな」
「いや……お願い、もう撃たないで。痛い……本当に痛いの」
両手をつき、頭を下げ懇願する。
「銃は貴方にお返しします。そ、それに村にも手を出しません。誰も襲ったりしません」
「……それで?」
「貴方の前に、二度と姿を現さないと誓います。わたくしは、誰よりも美しくありたかっただけ。それだけが、わたくしの唯一の夢だった」
美しい姿で、綺麗なものに囲まれて生きてみたいだけ。宝石やドレスや靴で、着飾ってみたかった。ぽろぽろと零れる女の儚く虚ろな夢を、フロストは黙って聞く。
「約束しますから、お願い……見逃して。許してください」
「……少し前の俺なら、虚無のことなんか絶対に許さなかった」
ヒョウを奪った虚無を恨み、復讐の為だけに戦っていた自分なら、キュリの言葉をすくい上げることもせず引き金を引いていた。
「特にお前は親父を殺し、村の皆を傷付けた」
復讐者であった自分なら、刺し違えてでもキュリを殺していた。でも、今は違う。
ここに居るフロストは復讐者ではない。誰もが認める、戦士となったのだ。
「今の俺でも、やっぱりお前のことは許せない。虚無を見逃すことは出来ない」
「そ、そんな!?」
「私怨の為じゃない。戦士として、大切な誰かを護る為に。だから、お前の夢はここで終わらせる」
「お、お願い! 死ぬのはいや、助けて。お願いだから――」
顔を上げたキュリの額に、銃口を突き付ける。恐怖に歪む表情。唇は引きつり、懇願は声にもならず風に攫われるだけ。
「お別れだ、キュリ」
「わたくし、わたくしは――」
爆音。最後の言葉は、ネラの銃声にかき消された。ぐらりとキュリの上体が揺れ、冷たい雪の中へと崩れ落ちる。もう、許しを請う哀れな声は聞こえない。
女の夢は、その身体と共に塵となり夜闇へと消える。いつの間にか、辺りに虚無の気配は無い。キュリが息絶えたことで、全ての虚無が散り散りに逃げ出したのだろう。
ネラを背中のホルスターに収め、辺りを見回す。ふと、視界の端に雪に埋もれる金色を見つけた。
「ったく、飴玉なんかで散々待たせやがって。遅すぎるっつーの」
歩み寄り、手を伸ばす。派手過ぎず、華奢な作りでありながら力強さを感じる金色のリヴォルヴァー。本当に綺麗な銃だ。キュリが固執したのもわかる。
それが今、フロストの手の中にある。額に押し付けてみると、懐かしい暖かさを感じた。やっと、戻ってきてくれた。
「……お帰り、父さん」
姿は見えないし、声も聞こえないけれど。確かに誰かが、自分の傍で笑った気がした。
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