四章⑥ 罠
耳元から割れんばかりの叫び。はっとした。ミカは、遊び半分でここに来たわけではない。言葉だけでなく声からも、彼女の思いが伝わってきた。
『お父さんのこと、大好きだったんでしょ? 本当は、悔しいんでしょ……あんなオバサンに良いように使われて。大切な思い出を踏みにじられて』
「それ、は」
『悲しいんでしょ? 良いの、このままで』
良くない。良いわけがない。
「でも、俺は……」
このままじゃ、俺はお前まで失うことになる。零れそうになった弱さをぐっと堪え、フロストは息を吐く。これを言ったら、多分もう立っていられなくなる。
護りたいものを、護れなくなる。
『……だいじょうぶだよ』
ミカがフロストの言葉を待たずに、言った。
『だって、フロストは戦士なんだもん!』
「……ミカ」
『それに、このあたしが居るんだよ? フロストとあたしなら、なんでも出来るよ! だから諦めちゃだめなんだよ! これ以上、そういう後悔はしちゃだめなんだよ!』
ああ、どうやらミカには全部お見通しだったようだ。誰にも言っていなかった筈なのに。そう、フロストは今までずっと後悔していた。
あの夜。もし、フロストが強くヒョウにしがみ付いていたなら。大きくて温かい手を離さないでいたら、ヒョウは居なくなったりしなかったのではないか。
何もしなかった自分を責めて、毎日のように後悔していた。
「……確かに、これ以上後悔するのはつらいな」
『フロスト?』
「悔しすぎて……頭、おかしくなるかもしれない」
それだけ言って、一度ヘッドフォンを耳から離す。そして、大きさを調節して再び、今度は両耳に当たる様に装着する。これで、両手が空いた。
「……全力でやってやる。俺は親父よりずっと強いからな」
『フロスト!』
嬉しそうな声が、名前を呼ぶ。どうなるかわからないが、後悔するなら出来る限りのことをやってからの方が断然良い。
目の前に広がる暗闇を睨みつける。
「ミカ、お前は出来るだけ虚無がこの車を取り囲めないよう、好きなだけ走りまわれ」
『りょーかい! で、タイミングを見計らって大砲をばーんっ、だね?』
「いや、頼むから大砲だけは撃つな。そのボタンとやらは絶対に押すんじゃねぇ、忘れろ」
この車体は大きく、全体的なバランスは良い。だが、長大な主砲から発せられる衝撃に、走りまわりながら耐えられるどうかには不安がある。そもそも、命中精度にも難がある。
フロストが言うと、不満そうな声が返ってきた。
『えー? じゃあ、どうするの?』
「丁度良いところに、非常に俺好みなヤツが手元にある。いいか、戦車の武器は大砲だけじゃねえんだよ」
元来から、フロストは一撃必殺なるものが自分に合わないと思っていた。確かに命中すれば威力は高い。でも、もし外したらその瞬間に隙が出来てしまう。
そんな危ない橋を、無理して渡る必要は無い。
「さて……どれだけやれるかな」
熱く火照る右腕を軽く振り、手元の引き金に指をかける。主砲の上部に設置された重機関銃。上下左右の可動式で、背面以外ならかなり広範囲を縦横無尽に乱射することが出来る。
初めて撃つことになるが、不思議なことにちょっとわくわくしてきた。
「幻滅しましたわ。フロスト、貴方はもっと聡明な方だと思っておりましたのに……そこの馬鹿な小娘に、あっさり感化されてしまったなんて」
雪面をびっしりと覆い隠す虚無の群れを従え、キュリが言う。表情は無く、まるで研ぎ澄まされた刃のように美貌は冷たい。
「そうかもな。でもテメェら虚無と違って、ヒトは馬鹿になった時にしか出来ないこともあるんだぜ?」
「ふん、どこまでも愚かな子達……良いわ。逃げなかったことを、存分に後悔なさい!」
行きなさい! キュリの声を引き金に、星の数ほどの虚無が戦車を目掛けて叫びを上げた。
「行け、ミカ!!」
『おっけー! エンジン全開!!』
行くよ!! いつになく気合いの入った声と共に、戦車が猛進を始めた。雪の上をもりもりと進む無限軌道は、意外にも普通車並みの時速で走ることが出来る。しかも、足場の悪さは問わない。
わかってはいたが、改めて体感すると度肝を抜かれるほどで。気を抜いたら、振り落とされてしまいそうだ。
「うわっ、くそ……意外と強烈だな」
『フロスト、大丈夫?』
「問題ねぇよ。お前は運転だけに集中してろ、絶対に取り囲まれるなよ!」
取り囲まれてひっくり返されたら終わりだからな。ミカに再度念を押し、自らも纏わり付く雑魚を打ち払うべく引き金を絞る。慣れない、いつもより大きく重い引き金は、しかしそれに見合った以上の威力を見せ付けてくれた。
同時に、耳をつんざく断末魔の調べが幾重にも重なる。
「ギ、ギャアアァ!?」
連続する爆音は一瞬の隙も生まず、絶えず吐きだされる弾幕は圧倒的だった。痛む腕では引き金を絞るだけで精一杯だったが、特に狙いを定める必要は無かった。それくらい、虚無は隙間なく犇めいているのだ。
数が多すぎるというのも、欠点になる。拡散力、貫通力共に優れている弾丸は一発で数体の虚無をなぎ倒す。無駄に巨大な虚無は屍となって倒れた時に自らの身体で仲間を押し潰した。
逆に、小さな獣は装甲にへばりつき、僅かな隙間をこじ開け内部へ侵入しようとする。
「ミカ、こいつに風のスピネルとかはついてねぇのか?」
『雪とか吹き飛ばすやつなら、あるよ!』
「それを可能な限り一帯に展開しろ。近付きすぎた虚無を弾き飛ばせ!」
『わかった、しっかり掴まっててよね!』
フロストは引き金を離し、身を屈めて近くにある手すりを握り締めた。銀河号には前後左右にスピネルが装着されており、その全てが同時に空気を吸い込み、強力な風として一気に放出した。
吹き飛ばされた虚無は雪面に落ち、生々しい音を立てて眼下の無限軌道に轢かれた。
「よし、良いぞ」
『でも、まだ虚無はいっぱいいるよ!? フロスト、大丈夫?』
「俺は……大丈夫だ」
不思議だった。両手の感覚は痺れてもう無いのに等しいのに、引き金を引く指は痛みに屈しようとしない。何度も諦めようという気持ちが湧き上がるのに、ヘッドフォンから声が聴こえる度に歯を食いしばることが出来た。
――負けるわけには、いかないから。
『あ、すごいすごい! ちょっとずつだけど、虚無減ってきたよ?』
やがて、ミカが嬉しそうに言った。確かに、徐々にだが雪面に広がる虚無の海は減少しているように見えた。動きを止めた者は、既に塵に還り始めている屍。銀河号の猛攻により、恐れをなして逃げ出した者も少なくは無い。
元々、キュリに生み出された者以外は彼女に忠誠を抱く必要なんかないのだ。自分の保身を考える方が賢い。
「……そういえば、キュリはどこに行った?」
雑魚に気を取られていて、キュリの姿を見失ってしまった。霞む目を擦り、辺りを見渡す。だが、どこにもいない。
嫌な予感がする。そして、それは的中していた。
『きゃああああぁあ!!』
「ミカ!?」
ヘッドフォンから聴こえる悲鳴。銀河号は脚を止め、エンジンさえも沈黙した。冷たい緊張が全身に走る。
「ミカ、おい……何があった? 聴こえてるんなら、返事をしろ!!」
砂嵐のような雑音は聴こえないから、マイクはまだ生きている筈。身を乗り出して見ようとも、生き残っていた虚無がフロストの邪魔をした。
機関銃の上にしがみ付き、巨大なコウモリがノコギリ上の牙を剥き出しに吠える。
「この、邪魔すんじゃねぇ!」
痛む肩を叱咤し、ネラを引き抜き両手で構える。額と腹を撃ち抜かれたコウモリは、ガラスを引っ掻いたかのような悲鳴を上げて眼下へと落ちて行った。
『……と、フロスト聴こえる?』
「ミカ!? どうした、無事か」
『あたしは大丈夫……でも、視界が真っ暗になっちゃって、びっくりした』
あはは、と力無く笑うミカ。視界が真っ暗になったということは、潜望鏡――ぺリスコープともいう。鏡による反射を利用した望遠鏡のようなもので、戦車の操縦士はこれを覗きながら運転をする――が破壊されたのか。
だが、幼稚な虚無はそんなものの存在を知っているわけがない。
「――ッ、しまった」
『フロスト? どうしたの――』
フロスト! と、心配そうに呼びかけるミカ。しかしフロストは答えなかったし、聴こえてもいなかった。喉頭マイクとヘッドフォンを外すと、ネラを片手に砲塔から飛び降りた。
「キュリ!」
潜望鏡を破壊したのはキュリしか居ない。銃でなら、苦も無く離れた場所から狙撃することが出来る。だが、フロストの方が浅はかだった。
飛びかかる虚無に邪魔をされ、キュリを探すのに手間取った。そして、見つけた時には既にキュリは大人しく立ちすくむ銀河号に登り、操縦席の出入り口のハッチに手をかけていたのだ。操縦席だけは他の席と違い、起き上るどころか少しの身動きさえも難しい筈。
開けられてしまえば、ミカに逃げ場は無い。
「……罠にかかりましたわね、フロスト?」
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