四章⑤ カイカン
巻き上がる雪の粉と、もはや暴力でしかない爆風。それは浮いていたキュリにも同じだったようで、少し離れた場所に背中から打ち付けられていた。暗がりで蠢いていた他の虚無が、今の砲撃で戦慄く声が聴こえる。
おかげで頭をぶち抜かれることだけは免れたが。本当に、シャレにならない。
『わー……凄い音。……でも』
不安定に揺れるミカの声。しかしそれは、怖いからとかそんな可愛げのある理由からではないらしい。
『これが……カイカンってやつ?』
「おい」
『きっもちいいー! 気持ちいいね、これ。超ストレス発散!』
きゃっきゃっとはしゃぐ様子が、スピーカーから転がってくる。フロストは上体を起こすと、髪やコートに張り付いた雪片を叩く。
「……おい、ミカ」
運が良いことに、今の衝撃と爆風でネラがフロストの傍らまで飛んできていた。手を伸ばし、雪を払い肩の痛みに苦労しながらも、背中のホルスターに収める。
『……なによ?』
むっと不機嫌な声。一体何にそんなに怒っているのかわからないし、それを言わないミカも気に食わない。けれどもここは自分の苛立ちを飲み込んで、折れるしかないようだ。
幼なじみがどれだけ意地っ張りかは、改めて考えなくてもわかることだから。
「あー……その、俺が悪い……んだよな?」
やはり、どのように記憶と思考をこねくり回しても、彼女の怒りの原因がわからない。わからないから、謝りようがない。でも、このままではまたあの主砲が一方的な暴力を振るうかもしれない。
本当に当てるつもりは無いのだろうが――そうであることを、無理矢理にでも信じたい。
「でもよ、このまま言い争ってても埒が明かねぇ。だから、お前の話は後でいくらでも聞いてやる。俺に問題があるなら、納得がいくまで謝るよ」
『…………』
「全部片付いたら、ミカの気が済むまで叱られてやるから」
上手く言葉を繋ぐことが出来ない。それでも、ミカもまたフロストとの付き合いは長いのだ。
お互いがどんな性格なのか、嫌になるくらいよく知っている。
『……もう、仕方ないなぁ』
呆れたような笑い。とりあえず、この場はどうにか凌げそうだ。
倒れないように、ゆっくりと立ち上がる。貧血で頭がくらくらする。左腕は肘から下が辛うじて上がるが、力は入らずネラを撃てる状態じゃない。
ブランシュは雪に埋もれてしまい、見つけることは難しい。不本意だが、あれに頼るしかない。
「ああ……髪がぼさぼさ。せっかく磨いた肌が、こんなに傷だらけになってしまいましたわ」
ゆらりと、黒い影が揺れる。キュリの立つ場所から、眼下まで伸びる漆黒。
雪にまみれた髪をかきあげて、鋭い血色の視線でフロストを射抜く。
「良いでしょう。そこまで仲がよろしいなら……この場で今すぐ一緒に葬り去って差し上げるわ!!」
「ミカ、来い!」
可能な限り声を張り上げると、返事の代わりに戦車が唸りを上げて意外な俊足を見せた。驚くことに、本当に彼女が運転していたらしい。
フロストが駆け寄り、適当な突起を掴んで右腕だけでなんとか身体を持ち上げる。車体の全長はおよそ十メートル、高さは二メートルくらいだろうか。
途中、車体に小さな緑色の若葉マークを見つけた。戦車でも必要なのだろうか。
「くっ、ったくあの女……マジでどこにこんなもん隠してやがったんだ」
息を切らしながらも、なんとか砲塔までよじ登る。車長の席であるそこは、本来ならば状況を把握し色々な指示を操縦者に伝えるべき場所である。だが、騒々しいエンジン音がとにかく邪魔で、このままでは会話なんて到底不可能。
ミカが一方的に喚くことは可能だろうが、恐らくエンジンがかかった今の状態ではフロストが「このチビ、馬鹿!」と叫んでも気づきやしないだろう。それはそれで都合が良いが、今は我慢しなければ。
フロストは席の内側を見つめ、すぐに目当てのものを見つけた。
「えっと……あ、あった」
よかった。基本的で最低限な装備は揃っていた。内壁に引っかかっていた一対のヘッドフォンと喉頭マイクを手に取り、マイクを首に巻き付けるように装着する。これなら、他の雑音は一切拾わずフロストの声だけを集めてくれる。次に、少々大きめに調整されたヘッドフォンに耳を当ててみる。
アンナがちゃんと説明したか、ミカがこれに気が付いているか。
「ミカ、聴こえるか?」
『おお! すごいすごい、フロストの声がちゃんと聴こえるよお!』
少しの間を置いて、場違いなまでにはしゃぐ声が返ってきた。こもってはいるが、会話可能だ。
「よし。ところで、お前どこに居るんだ?」
『んとね、でっかい大砲から見て左の前の方。そっちは?』
「そのでっかい大砲のところだ」
フロストの想像通り。操縦席は車体の前方、進行方向左の方にあるようだ。軍が所有する汎用型で、似ている形のものがあることを思い出す。
それには操縦席と車長席の他にもう一つ、砲主席がある筈。この場からもそれらしき席が見えるが、空っぽだ。
「……いや、ちょっと待て。おかしいだろ!」
『へ? どうしたの?』
「ミカ、お前さっきの一発……どうやって撃ちやがった?」
砲撃は砲主の席からしか撃てない。それなのに、さっきの一撃はどのようにして放たれたのか。ふふん、と自慢げにミカが言う。
『侮るなかれ! この暗黒に煌めく最果ての銀河号は、その辺に転がってる普通の戦車とは違うのよ!』
普通の戦車はその辺に転がってねぇけどな。嬉々として説明するミカに、胸中だけでツッコミを入れる。
『なんとなんと、この操縦席からでもそこにある大砲をボタン一つで撃つことが出来ちゃうんだよ! 全部コンピュータ任せだけどね?』
「……なるほど」
と、いうことはだ。ガサツなアンナのことだ、主砲を司る仕組みを作ったはいいが、細かい調整は怠っていたのだろう。僅かな誤差で、砲撃の命中度は大きく落ちる。砲主の席からならばわからないが、どうやら主砲は使い物にならないようだ。
元から使う気は無いけどな。
「それからミカ、この戦車をどれだけ自在に操ることが出来る?」
『ん? 別に何でも出来るよ。だって、これ普通のマニュアル車とほとんど一緒だもん。違うのは、今仰向けの状態だってことだけかな。あ、あと後ろ見えないから指示よろしく』
「……わかった」
少々情けないことに、運転ということに関してはミカに敵う気がしない。それはトナカイとサンタクロースという種族の違いから仕方の無いことなのだが。ミカは殊更にこういうことに関しては飲み込みが早い。
心強いが、何だか釈然としない。
『で? で? どうするの、これから』
やけに張り切っているミカに、フロストはしばらく思考する。キュリは再び数多の虚無を生み出そうとしている。それに、暗闇に逃げ込んでいた虚無達もぞわりと蠢いている。
砲撃の恐怖より、垂れ流れる血の魅力の方が勝ってしまっているのだ。
「……ミカ、今すぐこいつの向きを百八十度変えろ」
『うんうん、それで?』
「全速力で、逃げろ」
村に帰る間くらいなら、この身体でもなんとか応戦出来るだろう。それからタイミング良く、軍が来てくれるのを祈るしかない。
『え、やだ!』
だが、ミカははっきりと拒絶した。フロストの口から、長い溜め息が漏れる。
『ていうか、だめだめ。だめだよぉ!』
「あのな……お前が思ってる以上に状況はヤバいんだよ。この車は無敵なんかじゃないし、それに――」
『フロストは、ヒョウさんの銃があのままで良いの!?』
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