二章⑥ 襲撃
※
夕食を食べ終えてからしばらく。ミカは自分の部屋に戻ることをせず、家族皆が居るリビングに留まっていた。柔らかいソファに腰を下ろし、部屋から持ってきた雑誌を何やら熱心に読んでいる。
ミカは村で一番大きいこの屋敷で、三人の家族と共に住んでいる。村長であるおじいちゃんのサンは、暖炉の前のロッキングチェアがお気に入り。目を瞑っているが、うたた寝しているわけでは無いらしい。
お母さんのカティは夕食の後始末中。台所から聴こえてくる水の音に、手伝ってあげれば良かったとちょっと後悔。
そしてお父さんのライノ。先程から何やら落ち着かない様子。ミカの隣で新聞を広げたかと思えば、テレビのチャンネルを変えたり自室に行って読みかけの文庫本を取りに行ったり。今は文庫本をテーブルに置いて、何をすることもなく室内をうろうろしている。
落ち着きなよ。心の中だけで呟いてみる。実は最近、この父親と話しをする時間がめっきり減った。理由は無い。なんとなく、嫌なだけ。
近頃また膨らんできたお腹。たるむ二重顎に、髪の薄くなってきた頭。はっきり言って、カッコ悪い。お母さんはミカと一緒にファッション雑誌を読んだり、毎日化粧をしたり体重計に乗ったりと日々気を使っている。歳相応に見えない綺麗なお母さんがミカは好きだ。
それなのに、とまたチラ見。男という生き物は、歳をとったら誰しもがこうなるのだろうか。村の大人達を思い浮かべた中に、ふと現れるあの幼なじみ。まさか、彼も?
「それは……やだなぁ」
ぽつりと呟く。いやいや待てよ。記憶の片隅に残る、彼の父親。よくミカやフロストにキャンディをくれたヒョウは、背も高くスラリとしていてカッコ良かった。
どうしようもない親バカではあったらしいが。
「な、何だ。どうした、ミカ?」
「な、なんでもないよ!」
不意に、ライノと目が合ってしまう。ミカは慌てて視線を雑誌に落とす。思えば久しぶりの会話だった気がするが、続ける気はない。
改めて、ぱらぱらとページを捲る。彼女が今読んでいる雑誌は、ティーンの女子に根強い人気を誇る『月刊ソレイユ』だ。最新のファッションから、ユーモア溢れる小ネタまで幅広い情報を取り扱っていて、田舎村に住むミカには非常に刺激的な娯楽である。
人気モデルのお気に入りアイテムや、洋服の着回し術。数あるお洒落情報の中に、最近ミカが一番気になっているものがある。トナカイは頭にある立派な角により、髪型や帽子などがかなり限定されてしまう。
けれども、トナカイ女子には彼女達特有のお洒落がある。
「……いいなぁ、これ」
うっとりと見つめるミカ。彼女の視線を奪うものは、眩いばかりのアクセサリーの数々。特に、トナカイの角につける『アンクルカフ』はミカが今一番欲しいものだ。
都会の女の子にはポピュラーなアクセサリーで、様々な種類がある。テレビで売れっ子のアイドルは、カラフルなラインストーンで自己流にデコレーションしてある。セレブで有名な女優は根元から先っぽまでピアス――ぎゃあ、痛い! 別に角が痛覚を感じるわけではないのだが見ているだけで痛いのだ――で年中ぎらついている。
そんな派手に自己主張する気は無いのだが、ミカとて十六歳の女の子なのだ。アクセサリーの一つくらいそろそろ欲しい。クリスマスだということで雑誌の特集で取り上げられているいくつものブランド。
その中でも一番人気である『エンジェルウィング』のシルバーアクセサリーは、特集の一番ページを割いているだけあって、本当に綺麗で可愛いものばかりだ。
「いいなぁ、これ。あ、これもカワイイ」
それぞれの誕生石ごとにデザインされたもの、チェーンとドクロでパンクロックをアピールしたもの。ふと、ミカの視線を奪う一つのカフ。
「わあ、これ……ステキだなぁ」
ハート型にカットされたピンク色の天然石。それを中央で抱くように、天使の銀翼が美しく広げられている。正に、エンジェルウィングの名に相応しい。
「…………でも」
きらきらと輝く写真の、すぐ下で主張する数字の列。おいおい、ゼロが一個多くない? どうやらティーンが手を出すには、少々お高い代物らしい。だったら何故、この雑誌に載せるんだエンジェルウィングよ。
なんだか急にうんざりとした気分になって、雑誌を隣に放った。先程アンナがやって来て、ミカ達は普通にしていてくれて良いと言ってくれた。だが万が一ということもあるので、一応コートはソファの背もたれに引っ掛けてある。
「フロスト……大丈夫かなぁ」
胸がざわざわする。フロストやアンナが寝ずに頑張っているというのに、自分達だけ暖かな家の中で悠々と眠るのも気が引ける。
「あたしも、起きてようかなぁ」
どうせなら、フロストが好きな甘い物でも作ろうか。とは言っても、ミカは料理やお菓子作りの類があまり得意ではない。でも、クッキーくらいなら作れる、多分。
「……よし!」
そうしよう。意気揚々に立ち上がって、台所に向かおうとした。
――その時だった。
「う、うわっ!?」
「うきゃっ、な……何?」
突如、視界に暗闇が落ちる。辛うじて、向こうでライノが転んだ様子が見えた。見上げてみると、照明が全て消えてしまっている。
暖炉の炎は無事なので、落ち着けば物や誰かにぶつかることは無さそうだ。
「落ち着きなさい。大丈夫、明かりさえ戻れば――」
言葉を遮るように、床が揺れる。再度轟く音の数々の中、ミカの耳には確かに聴こえた。
映画やドラマでよくある、身の毛もよだつ断末魔。甲高い女性の、しかし確かに聞き覚えがある声。
「ッ、アンナさんだ!!」
もう、居ても立っても居られない。ソファの背もたれにかけてあったコートを掴むと、そのまま踵を返す。
「こ、こらミカ!」
「アンナさん、ケガしたのかもしれないじゃん!?」
じっとなんか、してられないよ! 制止の声を振り切り、部屋着の上からコートを乱暴に着込む。ブーツを履き替える時間も惜しくて、スリッパのまま玄関の扉を押し開け、懐中電灯をあちこちに向ける。
すると、何やら空で火花が散っている。手元の懐中電灯ではそこまで光を届かせることは出来ないが、鼻につく焦げ臭さで想像は出来た。
電線が切れて、ショートしたのだろう。そういう映像を、テレビか何かで見たことがある。これでは、すぐには電気を復旧させることが出来ないだろう。
「…………う、くぅ」
ふと、鼓膜に触れる呻き声。意識を其方に向け、光を向ける。全身を照らすことは無理でも、鮮やかな金髪と銀のアンクルカフは見えた。
「アンナさん!」
「……だ、れ」
アンナの方からは、ミカのことが見えていないのだろう。それでも、屋敷の軒下にうずくまる彼女に駆け寄ると、ハスキーボイスが漸くミカの名前を呼んだ。
「ミカ……な、にしてるんだい。はやく、にげなって」
「なに言ってるの!? アンナさんばっかり大変な目に合わせておいて、逃げるなんてできないよ!」
苦痛に顔を歪ませるアンナを、このままにしておくなんて出来ない。彼女の身体に光をあてると、ミカは目を疑った。
アンナの太腿から、おびただしい量の血が流れているではないか。身に付けているレザーのパンツは濡れそぼり、傷口は肉が削げ落ちるという凄惨な状況であった。
「カッコ悪いところを見せたね。ちぇっ、変に意地張らないで、さっさとフロストを呼べば良かった」
「アンナさん……」
「あはは、ざまぁ……無いねぇ」
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