二章⑤ 父の末路

 最も、とキュリ。


「人間の負の感情から生まれたわたくし達には、人間の記憶や情報の欠片が少しだけ混ざっている場合があります。わたくしの中にも、この姿の元となった女の情報がありました。この女、姿は美麗でも性格がねじ曲がっていたようでしてよ?」


 どうしてキュリが人間の女の姿をしているのかはわかった。虚無がサンタクロースやトナカイを狙う理由と、その結果をこの目で確認することが出来た。でも、それらもフロストの本当に訊きたいことではない。

 だが、もう訊く気も失せた。苦々しい嫌悪で吐き気さえ感じる。


「……もう、いい」

「あら、わたくしはまだ貴方とお喋りしていたくてよ?」

「テメェが虚無なら、俺がやることは一つ。お気に入りらしいその身体、ブチ抜いて跡形もなく消し飛ばしてやるよ」


 言い終わるや否や、ブランシュとネラが同時に火を噴いた。しかしキュリはそれを軽々と右に避け、何でも無いことのように黒髪を払う。

 瞬時にフロストがネラをキュリに向けるが、今度は発砲出来なかった。再び襲い掛かる闇色の鞭に、身を屈めて避ける。今度はくらってやるつもりは無いし、動きも読めた。


「はっ、のろいんだよ!!」


 ぎゃっ、と短い悲鳴。ブランシュから放たれた弾丸が、鞭となっていたスイの身体を両断した。再びフクロウの姿となった様子を見ると、致命傷を与えることは出来なかったようではあるが。

 半分ほどに欠けた左翼。ふらふらと羽ばたくスイは、格段に動きが鈍った。知能から見て長くは生きているようだが、所詮は雑魚。フロストの敵ではない。


「ぐっ、この……サンタクロース風情が」

「まずは、テメェからだな」


 死ね。スイの丸い腹を食い荒らさんと、ブランシュが睨みつける。スイ! とキュリが叫ぶのを視界の端で捕らえた。

 ――寒々しい夜闇に、爆音が轟く。


「――――ッ!!」


 投げ出されたブランシュは、雪の中に深く埋もれてしまう。舌を噛まなかったのは幸いか。右腕を駆け抜ける激痛に、フロストは思わず呻いた。

 灼熱の痛みと共に、溢れ出す血潮。コートを破き、皮膚と肉を少々削いだそれは、フロストの知らない音と共に放たれた。もしや、アンナが狙撃に失敗したのか。否、彼女がそんなヘマをする筈がない。

 それに、視線が捕らえたのは闇の中でも鮮やかに輝く金色。幼い頃の記憶に今も煌めいている、あのリヴォルヴァー。


 ――ごめんな。大丈夫、すぐに帰ってるよ――


「な……何で、テメェがそれを?」

「やはり、動いている的に当てるのは難しいのね。たくさん練習をしたつもりなのに、その忌々しい腕を吹き飛ばすことは出来なかった」


 頼りない羽ばたきで、しかしなんとかスイがキュリの元まで飛ぶ。右手で銃を向けたまま、左腕を軽くあげフクロウを止まらせてやる。


「キュリ様……申し訳ありません」

「手強いとは聞いていたけど、貴方がかなわないとは……でも構わなくてよ」


 キュリはその銃をフロストに向けたまま、スイににこりと微笑む。


「この坊やはわたくしが引き受けるわ。じわじわといたぶって、跪かせて靴を舐めさせてさしあげる。貴方はあそこに居る、小賢しい女のトナカイを仕留めてきなさい。幼い虚無なら、いくらでも使ってよくてよ」

「亡骸は如何しましょう?」

「貴方の好きになさい。わたくし、女には興味無いもの」

「畏まりました」


 はっ、と気が付いた時にはもう遅かった。古い記憶に囚われていた思考を無理矢理引き戻す。しかしスイは既に、闇の中へと飛び去っていた。フロストが慌てて探すも痛みに邪魔をされ、またフクロウの特性である無音の羽ばたきがスイを助けた。


「なっ、待て!」


 叫びは虚しく、再び轟いた爆音に掻き消され。地面を蹴り、後ろに跳んで銃弾を避ける。次の瞬間、今までフロストが居た場所に紅蓮の火柱が上がる。

 一瞬にして積雪を抉る炎。火のスピネルの弾丸だろう。思わず面食らうフロストを、くすりとキュリが笑う。


「ふふっ、わたくしも貴方と同じような玩具を持っていますのよ? 流石に、予想なんか出来ていなかったようですね」

「……その銃、どこで手に入れたんだ?」


 脈動する痛み。だが、そんなことに構ってはいられない。あの銃は、フロストの中で様々な思いが駆け巡る。

 間違いない。あれは、ヒョウの銃だ。


「……その銃は、十年以上前にとあるサンタクロースが持っていたものだ。どうしてテメェなんかが持っていやがるんだ?」

「さあ、よく覚えていませんわ。イイ女は、昔のことなんか振り返らないものですのよ。昔の男より、今の生意気な坊や。当たり前でしょう?」


 蓮根型の弾倉を回して、キュリが銃を向ける。金色のリヴォルヴァーが、フロストを睨む。


 ――父さん、この村で一番強いからな。クリスマスの邪魔をする悪者なんか、ギッタギタに懲らしめてやるさ――


「ッ……!!」


 思い出される記憶。思い出さないようにしていたのに、鍵をかけて閉じ込めていた筈なのに。フロストは完全に動揺していた。

 指先から、すっかり冷めた紅い雫がぽたりと落ちる。


「あら、先ほどまでの威勢はどうなさったの? ああ……まさか、怖じ気づいてしまったのかしら。無理もないですわ、サンタクロースとトナカイを糧とした虚無に会ったのは初めてなのでしょう?」


 可愛らしいわ。キュリが続ける。


「初めてがわたくしだなんて、貴方は幸運ですわ。わたくし、殿方の苦痛や屈辱に歪む表情が大好きですの。フロスト、貴方はもはや蜘蛛の巣に捕らわれた哀れな蝶。その美しい羽根を一枚一枚千切って、じわじわと虐めてさしあげますわ」


 凄絶な美貌に、氷の微笑み。フロストは、ブランシュが落ちた辺りの雪を見やる。大型のオートマチックは、白銀という色彩であることもあいまって、夜闇の中を目で探すことは難しい。

 それに、負傷した右腕。傷は深くはないが、まるで指先まで弱い電流が流れているような感覚。ブランシュを取り戻せたとしても、まともに撃つことなんか出来ないだろう。

 それが、どうした?


「……言いてぇことは、それだけか?」

「え?」


 キュリの表情が歪む。いや、歪んだのかさえ見えなかった。ネラから放たれる数多の弾丸。ブランシュ程の威力を持ってはいないが、ネラには一度引き金を引けばそのまま、弾倉のスピネルが尽きるまで撃ち続けることが出来る。


「なっ!?」


 やはり、リヴォルヴァーしか使って来なかったキュリは知らないのだろう。否、知っているのかもしれないが、銃に関してならフロストの方がずっと上手らしい。

 左手を変形させ、漆黒の盾を作り出し自身を護る。傍目にはフロストの攻撃は全て弾かれていて、キュリには全く効いていないように見える。だが、無意味ではない。


「俺は蝶でテメェは蜘蛛、か。蝶ってのは気に入らねぇが……蜘蛛ってのは当たってるな」


 引き金から指を離して、フロストが嗤う。弾幕が止んだ途端、すぐに腕の変形を解くと、再び女のほっそりとした腕を作ってみせた。あれだけの銃弾を浴びておいて、瑞々しい肌には爪で引っ掻いたような僅かな傷しか残っていない。それもまた、何事も無かったかのように消えてしまう。

 フロストは確信した。虚無という獣は、自身の能力が高まれば高まる程、何らかの物事に固執する傾向を持つ。例えば、このキュリという女。

 会ったその瞬間から、フロストに直接的な攻撃は一切仕掛けてこない。


「……いけない坊や。女の身体は命であると同時に武器でもありますのよ?」

「今まさに敵に喰われそうなのに、無抵抗な獲物はどこにも居ねぇよ。……でも、今の姿はなかなか良かったぜ? 蜘蛛っぽくて、醜いブッサイクな姿だ」


 ぴくりと、キュリの頬が引きつる。彼女の執着心はどこにあるのか、これで証明された。


「……何ですって」

「蜘蛛はどれだけ蝶を喰ったって、蝶にはなれないんだよ。テメェはサンタクロースを何人喰おうが、真っ黒でカビ臭い虚無のまま、汚いツラで俺に殺される。不細工に相応しいシナリオだろ?」


 爆音が数発。弾道はフロストを大きく外れる。避ける必要も無い程だ。

 ふるふると震える眩い銃口。見れば、氷の美貌は憤怒によって歪んでいる。紅い双眼は見開かれ、真っ赤な唇は喰い千切らんとばかりに噛み締められている。

 そう、キュリが執着することは彼女自身の美しさなのだ。攻撃をスイに任せたり、銃に頼ったのもそれが原因。虚無は個体によって多彩な攻撃を見せるが、共通する点はいくつもある。自身の身体を変形させることは、その中の一つ。

 わざわざ綺麗に着飾った姿を崩すなんて、彼女の美意識が堪えられないのだろう。フロストの放った暴言に、キュリは完全に正気を失っていた。


「許さない……こんな屈辱、どうしてわたくしが……絶対に、許さない!!」


 がむしゃらに撃ち込まれる弾丸を、フロストは全て見極める。怒り狂った単純な弾道など簡単に避けられる。

 正気を無くした獣ほど単純なものはない。キュリとは逆に、暴言と共に苛立ちを吐き出したことで冷静さを取り戻したフロストは、攻撃を避けながら的確に狙いを定めて撃ち込む。やはり弾かれたり、すぐに修復されてしまう。

 それでも確実に、キュリの体力は消耗させている筈。


「貴方には痛い目を見ていただくわ、フロスト。そして、わたくしの足元に跪いて許しを請うの」

「残念だが俺は蝶でも犬でもねぇ。テメェ達虚無に絶望を贈り、蹂躙する――」


 サンタクロースだ。口元に嘲笑を飾り、引き金を引く。右手は依然力が入らないが、構いやしない。

 フロストの願いは、ただ一つ。


「とっととその銃を返して貰うぜ。テメェを、殺してな」

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