一章
一章① サンタクロースの村
一年を通して四季の移ろいの乏しい世界、スノウランド。大陸一面を雪で覆ったこの大地の端に、ライアスと呼ばれる小さな村があった。
いつもは静かで少々質素な田舎だが、ここ最近は『クリスマス』が近付いていることもあって俄かに活気づいていた。
しかし、聖夜が近付くにつれ、とある問題も無視出来ないものとなっていた。
「ほ、本当かフロスト?」
「……こんなことで嘘吐いて、どうすんだよ」
大人達が何度も繰り返す台詞に、フロストは心底うんざりしていた。口端で弄んでいた、飴玉の無くなった棒を暖炉の炎に投げ、この場に入った時に言った言葉をもう一度繰り返す。
今度は大人達が囲む卓上の地図を、指差しながら。
「南の雪原の掃除を終わらせて来た。粗方始末して来たから、暫くは安全だと思うぜ」
「だ、だが此処はこの間特別危険区域に指定された場所だぞ?」
「だから行ってきたんだろが。困るんだろ、そこが塞がってると」
言って、卓から離れると一人傍らの壁に背を預ける。それでもまだ、疑いの目を向ける者は後を絶たない。
「信じられない、こんなに早く……。ほ、本当に一人で?」
「この村の戦士は俺だけだ」
「そう……確かに、そうだが」
「そんなに疑うなら、自分の目で見て来いよ」
うぜぇ。そう言って吐き捨てると、新しいロリポップキャンディを取り出して包みを剥がしにかかる。露骨に苛立つ口調の彼に、大人達は何も言えなかった。
フロストはまだ十八歳になったばかりだが、この村でたった一人の戦士なのだ。
「……フロストを信じよう。彼は優秀な戦士だ、嘘なんて付く筈が無い。疑って悪かった、そして有り難う」
フロスト。感謝の言葉を述べたのは、村の長であるサン・ニコラだ。齢八十に近い彼は真っ赤なガウンを着込み、口元にはたっぷりの白い髭をたくわえている。
穏やかな表情に、暖かな言葉。彼には幼い頃から世話になっているが、いつも、いつでもそれは変わらない。
「……別に」
気恥ずかしさを覚えて、視線を逸らす。飴玉をくわえ、それ以上は何も言わない。
「ふうむ。そうすると、此処を迂回する必要は無くなるな」
「これで、時間にかなり余裕が出来ますね!」
「後はこの道をどうするか……」
赤鉛筆で地図に書き込み、何やら話し込む大人達。全員が卓の地図を見つめ、ああだこうだ言い合う彼等を、フロストは黙って待つ。
橙色の暖炉の炎、年代物の柱時計、天井から吊らされたポプリ。全てが昔から馴染み深い物で、ここは自分の家の次によく知っている場所だが、出来ることなら早く去りたい。気難しい雰囲気の中、居心地が悪いからという理由では無い。ただ嫌な予感がするだけ。
「そろそろ、来る頃か――」
「フロスト!!」
鼓膜が破れるのではないか、もしくは扉の蝶番が砕け散ったのではないかという程の轟音が、呟いた言葉を一掃した。フロストも、そして大人達も一様に其方を見やる。
立っていたのは、一人の小柄な少女。この場に居る者全員が彼女のことを知っている。
「フロスト……あんた今まで、一体どこに行ってたの?」
「……ミカ」
やっぱり。飴玉をくわえたまま、フロストは内心で悪態を吐いた。アーモンド型の大きな目が特徴的な童顔を、虚無なんかよりよっぽど恐ろしい形相に歪めた少女。
頭に枝に似た角を二本生やした、フロストの幼なじみであるミカだ。
「今まで、どこに、行ってたの?」
「……買い物」
「うそ。買い物なら、わざわざスノーモービルなんか出さないでしょ?」
「テメェ、俺の家にまで来たのかよ」
「誤魔化そうとしても、むだなんだからっ!」
肩を怒らせ、つかつかと歩み寄るミカ。長身のフロストと並ぶと、小柄な彼女は一層小さく見えてしまう。それでも彼の顔を見上げて、今にも噛み付いてくるのではないかと思わせる剣幕で怒鳴る。
「あんた、また一人で虚無退治に行ったわね!? なんで、『トナカイ』のあたしを連れて行かないわけぇ!!」
きーん、と耳鳴り。燃える暖炉の、時折薪が爆ぜる音以外、誰も何も言わない。否、言えない。
ミカは、フロストからの言葉しか許していないのだから。
「……だから、今まで何十回も言ったが、俺にトナカイは要らねえんだよ。皆と違って、『人間界』に行ってプレゼントを配達するわけじゃねえんだから」
溜め息混じりに、フロストが言った。ここにいる大人達は、全員が戦士ではない普通のサンタクロース、もしくはトナカイだ。彼等は年に一度、クリスマスの日だけ『人間界』と呼ばれる並行世界に行き、人間の子供達にプレゼントを配ることを使命としている。
そして、人間界に行くにはその枝のような立派な角で案内人となるトナカイが確かに必要だ。しかし、フロストは違う。
生態は未だ詳しくは解明されておらず、しかしサンタクロースとトナカイを脅かす生きた災いとされる『虚無』。フロストは子供にプレゼントを配るのではなく、虚無に殺戮を贈る戦士なのだ。
「テメェが居たって、何の役にも立たねえんだよ」
「立つもん! サンタクロースにはトナカイが必要なの、フロストのトナカイはあたしなの! だから、いつも一緒じゃなきゃダメなの!」
「いつもって……」
はっとした。自分を見守る、妙に生暖かい視線。恐る恐る目をやれば、にやつく顔達がフロストとミカを眺めている。
ミカと同じような角を生やした者、昔ながらの真っ赤なナイトキャップ――最近の若者は誰も被ろうとしない――を被った者、皆が一様に口角を吊り上げながら、二人を見ていた。
「……いやあ、二人はいつも仲が良いのう? 見ているこっちが熱いわい」
「本当に、昔からミカはフロストにベッタリだったからな」
「村長、次の跡取りはもう決まりですかな?」
「ふうむ、下手な男よりフロストなら……」
此処は都会から離れた小さな田舎村。村民は全員顔見知りであり、家族のようなものだ。なので、本当にシャレにならない。
加えて、ミカはこの屋敷の住人であり、村長の孫娘にあたる。年頃になった彼女の色恋沙汰は、村ではとても需要度の高いゴシップだったりするのだ。
「……おい、ミカ」
ぱきん。奥歯で噛んでいた飴玉が、口中で真っ二つに割れる。
「なに?」
自分に注がれる視線は気にならないのか、はたまた気が付いて居ないのか、ミカはとぼけた顔で首を傾げる。視界の端で、揺れる角。
それらの根元を、畑のにんじんでも収穫するかのごとく、むんずと掴む。
「うきゃぁっ、やだやだっ離して、抜けちゃうぅ!!」
「テメェのせいで、また変な噂が立ったらどうすんだよ! 村の中歩けなくなんだろうがっ!!」
「いやあぁあ! 角がっ、角が抜けちゃうぅー!」
じたばたとミカがもがく。フロストにはわからないが、トナカイは自分の角が抜けることに何よりも恐怖を感じるらしい。
実際に角が抜けたトナカイの話など、聞いたことも見たことも無いのだが。
「大体、テメェは何で昔からいっつも俺にくっ付いて来るんだよ! 良い迷惑だって、わからねえのかよ!?」
「抜けるうぅー! 本当に抜けちゃう、離してえぇ!!」
「……ちっ」
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