KRAMPUS
風嵐むげん
彼は戦い続ける。だが、それは一体何のために……
プロローグ
そして、彼は復讐者となった
満月だった。
夜闇を照らす淡い月明かりが、彼方まで続く雪原の、雪片の隅々までもを銀色に染め上げる。
肌を裂くような鋭い冷気。空に煌めく七色の星達。静かで、平和な夜。
――その筈、だった。
「じゃあ、すみません村長。俺が留守の間、この子のことをよろしくお願いします」
「此方こそ、すまんな。ヒョウ……お前にしか、頼めないんだ」
「なに、これが俺の役目ですから」
構いませんよ、と男が言う。腕の中で眠そうに目を擦る少年を、老人に託す。ごつごつとした逞しい手で自分と同じ銀色の、しかし細く柔らかい感触が亡き妻とそっくりな髪をわしわしと撫でて笑う。
「じゃあなフー、行ってくるな?」
父さんが帰ってくるまで、村長に迷惑かけないよう良い子にしているんだぞ。息子にそう言い残すと、男は踵を返して夜空の下を歩き始めた。だが、それは直ぐに立ち止まってしまう。
ぱたぱたと駆け寄る小さな気配。男が振り返るよりも先に、コートの裾を引っ張る幼い手。
「こ、これフロスト!?」
「……フー、どうした?」
老人の腕から抜け出した少年が、男のコートを掴んでいた。今までにも何度か、男が自らの役目を果たすために、一人息子をこの屋敷に預けることはあった。少年はどちらかというと大人しく、控え目な性格である為に、男を引き止めようとすることは無かった。
それなのに、この時は違った。言葉にこそ出さなかったが、彼の瑠璃色の瞳は確かに訴えている。
「……ごめんな。でも大丈夫、すぐに帰ってるよ」
片膝をついて、男が詫びる。ふるふると震え、今にも泣き出しそうな少年。無理もない。彼には、母親が居ない。
互いが唯一の、家族なのだ。
「よし、じゃあ父さんと約束するか!」
「……やくそく?」
「そう。ほら、フーが朝起きてからこれを食べ終わるまでには、絶対に帰ってくるよ」
そう言って、男はコートのポケットから取り出したそれを、少年の前に翳す。ほんの少しだけ目を輝かせる息子に握らせたのは、可愛らしい色紙に包まれた二つのロリポップキャンディ。
「一つはミカちゃんにあげるんだぞ。二人で仲良くな、ケンカしてんじゃねぇぞ?」
「うん……でも、おとーさん――」
「心配すんなって! 今までにフーとの約束を守らなかったことなんか、一度も無いだろ? それに父さん、この村で一番強いからな。『クリスマス』の邪魔をする悪者なんか、ギッタギタに懲らしめてやるさ」
はためくのは汚れ無き純白のマフラー。翻るのは月夜にも鮮やかな真紅のロングコート。そして、無意識に指が撫でるのは息子から、太腿に吊った金色のリヴォルヴァーへと移る。
その瞬間、男は『父親』から『戦士』となる。
「行ってくるよ、フロスト」
「うん……いってらっしゃい、おとーさん」
広くて頼もしい背中。強くて優しい男の姿が見えなくなるまで、少年は手を振ることを止めなかった。父親から貰った約束を、キャンディと共に強く握りしめて――
「……あれから、何年経ったっけ?」
十年? いや、もっとか。あの日はやけに月が大きくて、丸くて、眩しいくらいの銀色だったのを覚えている。今日は生憎の曇り空だが、次の満月はもうすぐだった筈。独りぽつんと呟くと、嘲笑うような凶暴な風が青年の頬を叩いた。
巻き起こるブリザードに、思わず舌を打つ。視界が利かない。額に押し上げていたゴーグルを目元に降ろしてもそれは変わらない。まあ、良いか。
自分を狙う獣が一、二、三……十三か。
「――シねッ、クソガキが!」
硝子を引っ掻くような、ノイズ混じりの声。霧のような雪を切り裂き、真っ黒な獣が青年を目掛けて飛びかかる。それを反射的に右脚を軸に避けると、そのまま通り過ぎる獣に左手に持つ銃を向けた。
一発、二発三発。立て続けに引き金を絞る指に躊躇や慈悲など無い。漆黒の拳銃から吐き出される弾丸が、狼のような形をした獣の頭と腹と右眼に命中した。くぐもった呻きを零して、獣は雪の中に埋もれて静かになった。
「こ、コノ……!」
「ユルさねェ……サンタクロースのガキのクセに!」
「許さねぇ? ……こっちの台詞だ」
ノイズでしかない声に、青年が右手に持つ拳銃を構え、撃つ。白銀の大型拳銃から放たれた弾丸は、獣達に逃げる隙も与えず。たった一発の弾丸で、首から上を跡形も無く粉砕した。
口角を釣り上げて、脅える獣達を見下す。視界は徐々に晴れ、屍となった獣の末路を嫌味なまでに見せつてくれる。
黒々とした細かい塵となって雪に塗れ、風に攫われていく。十を超えていた獣の群れも、既に半分程。
まだまだ、全然足りない。
「う、ウウ……」
「許して欲しいか? 見逃して欲しいか?」
真紅のロングコートを翻し、純白のマフラーを風にはためかせ獣の目の前まで歩み寄る。その額に銃口を突き付け、青年は嗤う。
「ひ、ヒイ! こ、コイツやべぇ、やべぇよ!」
「……消え失せろ」
轟く爆音。鼓膜に届く悲鳴に初めて満たされるこの心。
十三年という時をずっと、嫌悪と憎悪が青年を蝕んできた。やっと手に入れた、敵に殺戮を贈る為の力を手に入れた。
『父親』と同じ、否、それ以上の実力を身に付けたのだ。
「虚ろな夢は、消え失せろ!」
飛び散る黒の肉片。散開する断末魔が風に溶けて消える頃、辺りに立つ者は彼だけになっていた。
満たされていた筈なのに、一気に冷めてしまう。
「……何処に行ったんだよ、ボンクラ親父」
父親譲りの銀髪と、よく似た容姿。同じ筈なのに、別物のような瑠璃色の瞳。屍を踏み潰し、灰色の空を見上げ、独り惨状に立つ青年。
フロスト・ヒューティア。それが、彼の名前である。
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