一章② 戦士失格
望み通り、両手を同時に離してやる。うきゃあ! と奇天烈な声を上げて、ミカが床を揺らす程に思いっ切り尻餅をついた。
「いたた……うー、フロストひどい!」
「何がひどいだ。そもそも、もし俺が配達人でも、誰がテメェみてえなチビなトナカイと組むかよ」
ふんっ、と安っぽい優越感。掴まれた角と、したたかに打った腰を撫でていたミカが、弾けるように飛び起きる。
「チビじゃないもん! パン屋さんのリアちゃんより大きいんだからっ」
「角を身長に入れると、だろ。ま、俺が真っ直ぐ向いたら、その角すら視界に入らねえけどな?」
「フロストが無駄に大きいだけ!」
「無駄とか言うな、ガキ」
「いっつもアメ舐めてるフロストの方がガキだもん!」
「キノコも食えねえやつに言われたくねえな」
「フロストだって、ピーマン食べられないでしょ!」
「あんなもん食い物じゃ――」
再び、はっとした。ミカとのやり取りは終わりが見えず、しかも幼稚だ。気が付いた途端、あまりの恥ずかしさに思考が音を立てて沸騰した。
それで、口から飛び出したのがこの言葉。
「この……馬鹿!!」
そして、返ってくるのがこの台詞。
「バカじゃないもん、トナカイだもん!」
これで終結。もう何百回も繰り返したやり取り。言い争う間に本気でムキになって、最後は子供が最初に覚えるような低レベルな罵り合いで終わる。
ミカより二つ年上であるフロストとしては、もう少し大人な対応をしたいものだ。と、最近ひしひしと感じている。
「ホゥホゥホゥ。二人共元気で宜しい」
村長がふわふわと笑う。それがとにかく恥ずかしくて、割れた飴玉をがりがりと噛み砕く。
「フロスト、話は変わるがの」
「……何?」
不機嫌さを露骨に見せて、村長の言葉を待つ。次に行く場所が決まったのだろうか。
しかし、返って来たのは予想外の答えだった。
「よくやってくれた、フロスト。あとはもういい。しばらくゆっくりと休んでくれ」
「はあ?」
「クリスマス当日にはサポートを頼むかもしれんが、それまでは村に居てくれ」
意味がわからなかった。虚無はまだ、村の周りにわんさかと居る。それなのに、彼はフロストに戦うなと言ったのだ。
「……何それ、意味わかんねぇし。虚無はまだそこら中にうようよ居やがるけど? 戦士は、ヤツらを根こそぎ殲滅する為に居るんだろ?」
「フロスト、それは違う」
「違わねぇだろ!」
虚無は一体たりとも生かしておけない。それは、彼等もよく知っている筈。それに、フロストの実力だって思い知った筈だ。
にも関わらず、村長は厳しい声で言った。
「……すまんのフロスト、わしは先程言った言葉を撤回しなければならん」
「は?」
「お前は戦士失格じゃ、フロスト・ヒューティア」
何だそれ、意味がわからない。今まで自分は、戦士として充分過ぎる程の成果をあげてきた筈。
「失格? ……何が言いてぇんだよ」
「そのままの意味じゃよ。これ以上今のお前を、戦士として戦わせることは出来ん」
「戦士として失格? 意味わかんねぇ……俺が今まで、一体どれだけの虚無を葬ってきたと思ってるんだ」
フロスト、と今にも怒り狂いそうな彼に投げかけられる別の声。村で診療所を営む医者であり、トナカイであるユドだ。
分厚い眼鏡を押し上げて、嗄れた声で続ける。
「お前ももう十八か。……お前の父親が居なくなって十三年。お前には言わなかったがやつは、ヒョウは――」
「虚無に殺されたって言いたいのか?」
面食らったのは、ユドの方だった。恐らく、フロストが年齢的にも精神的にも大人に近付いた今こそ、伝えたかった話なのだろう。しかし、フロストはもう随分前に知っていた。
ヒョウ・ヒューティア。フロストの実の父親であり、かつてライアス村の戦士であった男だ。ヒョウは十三年前に、まだ幼いフロストを置いて、忽然と行方を眩ましてしまった。クリスマスを間近に控えた、綺麗な満月の夜のことだった。
周りの大人達は、フロストの前ではヒョウの話を避けていた。同じ銀髪の、真紅のコートと純白のマフラーを身に纏った戦士は、村人がどれだけ探しても、それこそ髪の毛一本も見つからなかったのだ。子供には衝撃的過ぎる話だ。
ヒョウは必ず帰ってくる。そう信じていた時期が、フロストにも確かにあった。でも、今は違う。
夢物語に浸るには、あまりに非情な現実を知り過ぎた。
「だから、何? 俺はヒョウとは違う。虚無なんかに殺されない」
「今のお前は戦士ではない。憎悪に突き動かされているだけの復讐者でしかない」
「虚無を滅ぼせるなら関係ねぇだろ」
「冷静になれ。確かにお前は歴代の戦士でも指折りの実力者だ。だが、実力だけではお前を戦士として認めることなんか出来ない。ヒョウと同じ道を辿るだけだ」
戦士ではない。突き付けられたその言葉が理解出来なかった。フロストの実力は自惚れではない。それは皆もわかっている筈、それなのに何故。
フロストが怒鳴り散らしてしまうかと思った瞬間、全く別の声が飛び込んできた。
「みんなのばか! フロストに、そんな話しないでよ!」
「みっ、ミカ!?」
「ヒョウさんは生きてるもん! 今もどこかでちゃんと元気でいるし、絶対にフロストのところに帰ってきてくれるんだから」
背中から飛んで来た声に、思わずフロストが振り返る。しかし、ミカの顔を見ることは出来なかった。
背中に触れる、震える息。幼い頃から変わらない、ミカの泣き方。負けず嫌いな彼女は、誰にも泣き顔を見られたくないという一心でフロストの背中に隠れる。
なんとも困った癖だ。
「……鼻水付けるなよ」
「つけないもん……」
フロストの憤りをすっかり押し流してしまうのだから。ぐずぐずと嗚咽を堪えるミカをそのままに、フロストは大人達に視線を戻す。
それでも、言い返す気は見事に失せてしまって。代わりに湧き上がるのは、びっしょりと濡れてしまった火種のような惨めな感情。
「……結局、あんた達が言いたいのはこういうことだろ。未熟なガキのくせに粋がるな。戦士にもなれないガキは余計なことしないで引っ込んでろ」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、フロスト」
「もういい。……なんか、疲れた。今のままでもクリスマスに支障が無いんなら、もう俺なんか必要ないよな?」
呼び止める声は全て無視した。徐々に肩へと伸しかかる重みに息を吐きながら、ふらりと無意識に扉へと向かう。
「ま、待ちなさいフロスト――」
「俺の用はもう無ぇよ。必要になったら、また呼べば良いだろ」
「フロスト待って!!」
誰とも目を合わせずに、扉を乱暴に開けて外に出るフロスト。そんな彼を、ミカが慌ただしく追い掛ける。
二人の若者が居なくなった空間は途端に色褪せ、いくらか暗くなったように見える。
「……いいんですか? フロストをあのままにして」
「ふうむ。……しかし、今はあれ以上の言葉が見つからんしなあ」
「なに、心配いらんよ。あの子は賢い子じゃ。きっと、頭ではわし達が言いたいことは分かっている筈じゃ」
背もたれに背中を預け、村長が言った。羽毛のように柔らかく、冷たい雪がしんしんと降っているのが窓から伺える。
「フロストはヒョウをも上回る実力を、あの若さで身につけおった。しかし、それは父親を失ったという憎しみによってもたらされたもの。負の感情で培われた強さは、己を傷付ける諸刃の刃にしかならん」
たっぷりとした髭を撫でる村長。深く頷き、ユドが引き継ぐ。
「フロストを護るには、この村に閉じ込めておくしかない。なに、ヒョウでも気が付けたことだ。フロスト自身も、その内気が付くだろうよ」
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