放射脳の演者

霧島万

放射脳の演者

それはそれは壮大な現象だった。津波が町をなぎ倒し、数日後に原発が爆発する。それはまるで、想像の中の西日本大震災―いや、頭のなかの南海トラフ巨大地震にその名前をつけたのは、この事態の後だからこの言い方はおかしいか―に似ていた。この日本を絶大な危機に陥れる存在に似ている、東日本大震災のことである。この国を変えてくれるに違いない。

メディア経由で被災者が悲しんで苦しんでいることを知るまで―いや、今だって本当には知らないのだが―町が破壊されるスペクタクル映像とその感想に―もちろん、自分だけの感情だ―に集中していた。―当時はまだ、被災者がどういう感情を抱くのかについて、殆ど知らなかったし、また、そういうことへの関心よりも、やはり絵面の方に関心が向いていたのである。

その、南海トラフ巨大地震×浜岡原発という組み合わせでなら、何度か物語られてきた原発震災が現実になったあの夜、私は眠れなかった。日本を危機に陥れ、日本を大きく変えてくれる南海トラフ巨大地震が、来てくれた、東北にだけど。―今思えば、地域の違いというものを意識していなさすぎである。―翌日以降に被災者の口から語られる心情と言うものが、テレビから私の脳か心にどっと流れ込んできて、ワクワク感はあっという間に、悲しみのカバーに覆われた。

そして、私はツイッター経由で恐怖を知った。放射能に対する恐怖をだ。―リスクを知ったのではない、あくまでも恐怖だ―今思えば、原発に反対する動きの大きさを感じてもいたのだろう。ワクワク感がカバーの下からその動きに触手を伸ばしていたことに、気が付かなかったのだろう。その運動は、原発を止める手段として、放射能に対する恐怖と、故郷が失われる悲しさを利用していた。つまり、福島県を風評被害の渦に巻き込めば巻き込むほど、原発を無くせる=革命を起こせる可能性が高くなるらしい。そう、社会変革願望やらアポカリプス欲求やらが訴えていたのだろう。

私は放射脳になった。毎日のように、フクシマ県産の農産物が、フクシマという土地が、いかに危険かということをツイートした。リツイートのほうが多かったかもしれない。―フクシマの危険性を訴える論理も感情も持ち合わせておらず、自分の言葉を紡ぎ出すのが難しかったのかもしれない―そして、放射脳タイプの革命家たちをいっぱいフォローし、変革者の仲間入りをした―気がした。

その一方で、大学に入学して、あるものにハマった。学食においてある、一つ50円の、小粒の納豆である。小粒ゆえのつぶつぶ感がおいしい。毎日のように食べていた。

ある時、その納豆のパッケージにある生産地を見てみた。例の水戸であろうか、と思ったが、違った。・・・福島県産だったのである。その納豆をいつものようにかき混ぜて、白米の上に乗せて口に運びながら、今までの放射脳っぷりは何だったのだろうと考えていた。そしてようやく、隠されていたワクワク感がいつの間にか作り出していた革命のシナリオを発見したのである。馬鹿だった。福島の人たちに申し訳ない。本当に。

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放射脳の演者 霧島万 @yorozu_kirisima

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