万葉を偲ぶ山

@chie732

第1話

 朝、カーテンを開くとき、二上山の雄姿が指呼に望める。夕べ、カーテンを引くとき、二上山は穏やかな風情で一日の終わりを告げる。

私はこの山が好きである。結婚して、ささやかな我が家を建てることになったとき、私たちは二上山を望める高台のこの地を選んだ。

 万葉集に歌われた大伯皇女の歌「うつそみの人にある吾れや明日よりは二上山をいろせと吾が見ん」が、私たちは好きだった。二上山に葬られた弟大津皇子を悼んで大伯皇女が詠んだ一首である。非業の死を遂げた愛しい弟を偲ぶ姉の叫びにも聞こえる。

 私が住む街の市歌には、この山を

「夕映えの空二上の、雄姿浮かべて暮れなずむ

 いにしえ人の道に沿う、我が町香芝に雅びあれ」

と詠まれている。二上山は、この町の象徴であり、そこに住む人たちの誇りなのである。

 金婚式が終わった頃から夫の看取りが始まった。夫のベッドを、二上山が望める窓辺に移した。「二上山に勇気を貰って、さあ」と夫はよくそう言って、やおら体を起こした。窓枠に身をもたせて、しばらく二上山を眺めていることがあった。体調のいい日には二上山を望む小道を二人で歩いた。ゆっくりゆっくり、ともに歩んできた道のりを確かめるように歩いた。夕日に燃える山に帰っていくカラスの群れを見ながら、「カラスなぜ泣くの、カラスは山に、可愛い七つの子があるからよ」と力のない声で歌った。

静かに身罷る夫を送る日が来た。私は誰にも聞こえない小さな声で朗誦していた。

「うつそみの人にあるあれやあすよりは、二上山をいろせとあがみん」

朝、二上山に向かって「あなた」と言ってみる。「二上山をいろせとあが見ん」と呼びかけてみる。返事はなくてもそこには二上山がある。

夕べ、二上山に落ちる夕日を見ながら歩く。足を踏みしめ、手を大きく振って歩く。夫と二人の時とは違って、しっかり歩く。西山へ帰るカラスを見ても涙はない。「明日また元気に戻っておいでね」と手を振りたい気持ちである。ただ「明日また・・・」と言っても、戻ってくるはずのない人だと思うときは切ない夕暮れである。

 夫の死後、私は夫の愛用のベッドを使っている。二上山の明け暮れの姿を共有している。一人暮らしの老人になって、長生きをしすぎたかとふと思うことがある。しかし、私にはまだまだしなければならないことがある。

 あの二上山の上の青空を、爆弾を積んだ飛行機を飛ばせてはならない。この緑濃い故郷の里山に、弾の雨を降らせてはならない。この故郷は、いつも、いつまでも、平和でなければならないのだ。そのために、私は自身の戦争体験を語り継ぐ。七十余年前、この地が見舞われた機銃掃射を体験した世代として、私は今日も語る。まだまだ語り部を続ける。

 万葉の歴史を抱くこの二上山の麓が、豆や芋を育てる畑になっていたこと。豊かな松の木々が、松根油採取の鋸で切り傷だらけにされていたこと。そして何より、風光明媚を誇る二上山屯鶴峯の地下に掘られていた地下壕の歴史。その事実を語り継ぐ世代がどんどん減少していることを、私たちはしっかり自覚しなければならない。そして語り継がねばならないのである。

 二上山は、麗しい四季の移り変わりで見る人を和ませてくれる。人それぞれの思い出を紡がせてくれる。万葉の歴史を抱く山の姿は住む人の誇りであろう。この町を離れていく子どもたちの記憶のキャンパスにも「私の故郷には二上山というすてきな山があった」と刻まれるだろう。生きる力にもなるに違いない。

 二上山がどれほど雅やかであっても、故郷の山野がどれほど豊かであっても、どれほど懐かしくても、この山に育まれ、この自然に抱かれてきた平和を、いつまでも保ち続けるのは、今を生きる私たちの務めではないだろうか。

 今日も二上山の夕日は、明日の「ありがとう」を約束して落ちていく。

 



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