第10話 進路
翌日、あたしは学校帰りに市村君に呼び止められた。先週の金曜日にコクられて以来だ。でも今その話をするとは思えなかったから、少し話がしたいって言われても特に気にしないで一緒に駅前のドーナツ屋さんに行った。
市村君の家は大通りを挟んだ向こう側にあるから、小中は校区外で一緒の学校じゃなかったけど、家そのものは割と近所だ。最寄り駅も同じだから、学校帰りも一緒になることが多い。
ちょっとお喋りしたいときは、篤もあたしも駅前のドーナツ屋さんをよく使ってた。今は朝ちゃんのバイト先になってるそのドーナツ屋さんから見たら、あたしたちは上御得意様という奴だろう。
ドーナツと紅茶を買って席に着くと、市村君はいきなり切り出した。
「島崎さんっていう刑事さんに、話を聞かれたんだけどさ。磯野も聞かれただろ?」
捜査上の秘密とか言ってたな。どこまで話していいのかわかんないな。頼むから変なこと聞かないでよ?
「ああ、うん、まあ。で、何聞かれたの?」
「いろいろ。サッカークラブの事とか、部活の事とか。学校のことから塾の事まで」
「あれ? 市村君って塾なんて行ってた?」
「ああ、言ってなかったっけ。部活引退してから通い始めたんだよ。このビルの四階に入ってる関東ゼミナール」
「へー、そうだったんだ。市村君、頭いいから塾要らないかと思ってた」
あたしが本気で驚いてると、市村君が困ったように苦笑いした。
「そんな訳ないじゃん」
「他には何の話したの?」
「あとは……篤の交友関係な。彼女いるのかって聞かれたからいないって答えたら、篤と俺とで磯野の事取り合ってるんじゃないかとか聞かれたよ」
あたしは市村君に向かって紅茶を吹き出すかと思った。
「え、マジで?」
「うん。でもまあ、そこはさ、相手は警察だし、嘘言っても仕方ないから、篤が磯野の事どう思ってたかはわからないけど、俺は磯野の事が好きだし多分篤にも気づかれてたと思うって白状しといた。だからそのうちに刑事さんに何か聞かれるかもしれないから、先にこうして知らせておこうと思って。別にこの前の返事が聞きたいわけじゃないし、それに篤がいなくなった今、そういう話とか考えられなくて。悪いけどこの前の話は無かったことにして貰っていいかな。もちろん今でも磯野の事は好きだけど、篤がいないのにそういうのは……なんか嫌なんだ」
「あ、うん、わかった。全然大丈夫だから気にしないで」
なんかどんな顔していいのかわかんなくて、チョコファッションをいじっていたら、市村君が「あれ?」ってあたしをまじまじと見た。
「磯野ってチョコファッション甘すぎるって言ってなかったっけ?」
「そういう市村君もチョコファッション」
そう、彼も普段はプレーンなオールドファッションなんだ。
「なんかさ、篤がよく食べてたから。俺が食っても仕方ないけど、篤が食いたいだろうなと思ったらさ、代わりに食っとこうかって。磯野もそうなんだろ?」
「うん」
篤、みんなにこんなに愛されてたんだよね。
アイツの笑顔が浮かんできて、そこに篤がいるような気がして、またどうしようもなく涙が出てくる。市村君も目と鼻を真っ赤にしながらも、涙だけはこらえてる。
篤はここにいるのが当たり前なんだ。その当たり前が存在しない虚無感。心の中にぽっかりと空いた穴を埋める術を知らないあたしたちは、ただチョコファッションに篤を見ながら涙を流すしかなかった。
不意に市村君がドーナツを見つめたまま、ボソッと呟いた。
「俺、篤を殺したやつ許せない。絶対に許さない」
彼の声に、あたしの心はざわついた。
「え、ちょっと、復讐とか考えてないよね?」
ドキドキして小声で聞いたけど、市村君は肩を竦めて「まさか」と言った。
「そんなことしたら篤が悲しむだけだから。最大限警察に協力して犯人探し出すだけだよ。俺らみたいな素人がチョロチョロしたら捜査の邪魔になるだろうから、必要とされた時に精一杯の協力をする。それが一番いいと思うんだ」
市村君、大人だ。本当は先頭立って犯人捜ししたいだろうに。
「あいつはまだたくさんサッカーしたかった筈なんだ。俺にしか言ってなかったらしいんだけど、あいつ体大受ける気だったんだよ」
「え? 体大? 神奈川体育大学とか?」
「それ。そこ行ってる近所の体大生に家庭教師頼んでるって言ってた」
朝ちゃんのこと? 聞いてないよ、それ。
パッと顔を上げてカウンターの方を見ると、朝ちゃんが仕事してるのが見える。目が合ってこっちに小さく手を振ってくれたから、あたしも手を振り返したんだけど、市村君が見てた。
「誰? 知り合い?」
「近所のお姉さん。神奈川体育大学行ってるの。もしかしたらあの人に家庭教師に来て貰ってたのかも」
「そうかもしれない。すっげー美人だって言ってたから」
「でしょ? ねえ、その話、刑事さんにした?」
「いや、してない。関係ないと思ったから」
「そっか。じゃあ、篤の進路のこと聞かれたら言ってもいいよね?」
「ああ、うん。俺から聞いたって言ってもいいよ。多分篤のヤツ、マジで俺にしか言ってないから」
「……ってことなんです。あたしも知らなくて」
最初の事情聴取の時と同じ部屋。目の前には相変わらずヨレヨレのワイシャツ姿の島崎さんと、パートナーにしておくには勿体ないような川畑さん。
「ありがとう。助かるよ。そうか、体大狙ってたのか。それで本間さんが家庭教師をしてたと」
「はい。その後で朝ちゃんに直接聞いたので間違いないです」
「しっかし、君も直接聞くとは無茶するね」
何故か島崎さんが呆れたように言う。なんで無茶なんだろう?
「もしもね、まあ、可能性は低いけど、本間さんが犯人だったらそんなこと訊かれたらメチャメチャ焦ると思わない? やだわ~聡ちゃん、あたしを疑ってるのかしら~、なんてさ」
「朝ちゃんを疑ってるんですか?」
なんか無意識なんだけどムキになってる自分がいる。
「だから、例えばの話なんだよ。誰が犯人か判らない状態で君がいろいろ聞くのは危険だからね、そういうことはこっちでウラを取るから、君は情報だけ持って来て貰いたいんだよ。危ない事はこっちでやるから」
なんかその言い方カチンとくる。
「あたしだって篤の犯人探し出したいんです! 協力させてください」
「あー、まあ、そうだねえ……」
島崎さんが歯切れの悪い返事をしていると、横から川畑さんが割り込んだ。
「協力してくれるなら、勝手に動き回らないで欲しいの。あなたが迂闊に動いて犯人に狙われることになると、ますます篤君の犯人を捜すのが面倒になるの。それに私たちはSPじゃないから、あなたを警護して回る事はできないの。下手するとあなた死ぬわよ? もう既に線路に突き落とされてるのよね? そんなことして篤君が喜ぶかな?」
正面からあたしを見据える川畑さん、凄い眼力。確かにあたしみたいな素人がチョロチョロしたらきっと邪魔だ。市村君もそう言ってたのに、あたし、全然ダメじゃん。
「そうですよね。わかりました。あたしも犯人捕まえて欲しいです。出しゃばらないで協力します」
あたしがシュンとしたら、川畑さんがにっこり笑ってくれた。
「プロを信じて頂戴。私は狙った獲物は必ず仕留めるの。ね、島崎君?」
「はい、その通りです!」
悔しいけどプロの言う通りにすべきだ。それが篤の為だ。
あたしは席を立った。
「帰ります。また何か情報があったら、今度は自分で確認しないで先に知らせに来ます」
「ありがとう。またよろしくね」
あたしは川畑さんに見送られて警察署を出た。
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