第9話 殺人未遂

 式場は電車で一駅のところにあった。歩くにはちょっと遠すぎるけど、自転車なら三十分も漕げば着く。晴れていたら自転車で来ていただろうけど、午前中に雨が降ったものだからみんな電車で来ていたようだ。

 駅に着くと、さっき見かけた地元のサッカークラブの子たちの姿も見えた。


「みんな同じ電車だね」

「うん」

「なんか寒いねー。帰りにココアでも飲んで行かない? 奢るよ」

「えー、ほんと? 朝ちゃん金持ち」


 ちょうど会社帰りのサラリーマンたちとカチ合う時間帯。ホームもおじさんたちでごった返している。


「一番線、電車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ちください」


 いつものように味気ないアナウンスが響く。電車の到着が判ったのか、おじさんの群れが階段を大急ぎで降りて来る。なんか気持ち判らなくもない。早く帰ってあったかいお風呂に入りたいよね。


 篤、もうお風呂にも入れないんだな。あんなに何度も一緒に入ったのにな。水鉄砲で撃ち合いとかしてさ、お母さんにいつまで遊んでるのって叱られて、それでも湯船に浸かってシャボン玉飛ばして遊んだんだ。それから大声で百まで数えてから上がったの。楽しかったな。


 ぼんやりと考えていたら、電車のライトが遠くに見えてきた。その時、あたしの背中に誰かの手が当たった。

 次の瞬間、あたしの視界が回転した。一瞬何が起こったのかわからなかった。平衡感覚がおかしくなって、肩に凄まじい衝撃を受けた。

 線路に落ちたんだ、と気づいた時には電車のライトが目の前まで迫っていた。あたしは死ぬんだ、瞬間的にそう思った。けど、何故か怖くなかった。あまりに一瞬で、恐怖さえ感じなかった。

 電車の警笛が鳴らされ、急ブレーキの甲高い音が響き渡る。人々の悲鳴が遠くに聞こえる。

 目を閉じようとした時、誰かの影があたしの前に割り込んだ。その誰かに上腕を掴まれて、凄い力で引っぱられた。その誰かがあたしを引き寄せて抱きかかえた。警笛が目の前を通り過ぎて行く。

 全てが一瞬の出来事だった。何が何だかわからないまま混乱していると、あたしを抱き寄せたままの誰かが、耳元で囁いた。


「大丈夫?」





 数時間後、あたしは病院で島崎さんと朝ちゃんの話をぼんやりと聞いていた。


「信じられない身体能力だね」

「ほんと自分でもびっくりしました」

「あの僅かな時間ですぐに線路に飛び降りて聡美ちゃんを助けたその判断力と勇気には驚きだよ」

「もう、何も考えてませんでしたから。あの短時間でホームに上げるのは無理だったんで、線路下の避難スペースに引き摺り込んだんですけど、あれが無かったらヤバかったですよね」


 そう、あたしは朝ちゃんに助けられたんだ。朝ちゃんは中高と陸上部で高跳びをやっていた人で、大学では体育の先生になるための勉強をしているらしい。一緒にいたのが朝ちゃんだったから良かったようなものの、もしこれが文芸部の香菜辺りだったらきっとあたしは死んでいる。


「しかし、何から何まで奇跡的だな。聡美ちゃんは肩の打撲で済んだし、本間さんは無傷。不幸中の幸いってとこだ」

「九死に一生って感じでしたけどね」


 ずっと朝ちゃんと話してた島崎さんが、くるりとあたしの方を向いて真面目な声を出した。


「聡美ちゃん、どうしてホームから転落したのか覚えてる? 眩暈がしたとか、何かにぶつかったとか」


 覚えてる。はっきり覚えてる。


「突き落とされました」


 島崎さんの目つきが変わった。


「なんでそう断言できるのかな?」

「背中を手で押されたんです。あれはカバンとかじゃなくて手でした。手でグッと押されたのが自分でわかりました」

「つまり、ピンポイントで君を狙ったと?」


 あたしは島崎さんの目を見ながら、しっかりと頷いた。


「間違いありません」

「ちょっと待ってよ、なんで聡ちゃんが狙われなきゃなんないの? 何か恨まれるような事でもしたの?」


 朝ちゃんが怒ったように聞いて来る。そんなのあたしも知らないよ。

 あ、でも、まさか……。


「島崎さん、篤を殺した犯人ってことないですよね?」

「え? なんで篤を殺した犯人が聡ちゃんを狙うの?」


 あ、そっか。朝ちゃん知らないんだ。


「その犯人はきっとあたしに顔を見られたと思ってるんだ。逆光で見えなかったのに」

「えっ? 聡ちゃん、その場に居合わせたの?」


 と、そこで島崎さんが割り込んだ。


「聡美ちゃん、これ捜査上の秘密だからね、あんまり人に言わないように」

「あ、すいません」

「本間さんも、今聞いたことは内密にね。本間さんがこのことを知っているとなると、今度は本間さんが狙われるかもしれないからね」


 朝ちゃんはパッと両手で口を押さえて大きく頷いた。


「本間さんは一緒にいて何か気づいたことはないかな?」

「私は……うーん、あの時は階段からおじさんの群れががーっと来たんで、そっちに気を取られてて」

「あたしもです」


 島崎さんが腕を組んで考え込んでいると、そこに朝ちゃんから空恐ろしい台詞が飛んできた。


「あの、島崎さん。これって殺人未遂ですよね。殺意が無かったとしても未必の故意ってやつですよね」


 『ミヒツノコイ』ってなんだろう? 『秘密の恋』とは多分違うよね。朝ちゃん、難しい言葉知ってるな。


「そうだね。聡美ちゃんはこの短期間で殺人事件の目撃者と殺人未遂の被害者になっちゃったわけだ」

「っていうか、その殺人犯が聡ちゃんを狙ってるんですよね?」

「まあ、そうだね……これが通り魔的な犯行でなければ、犯人は聡美ちゃんを狙ってるってことになる」


 え? あ、そうか。ええっ!


「それって、あたしも殺されるって事ですか?」

「そりゃわからんが、用心に越したことはない。今後なるべく誰かと一緒に行動するように。一人の時は狙われやすいから」

「朝ちゃん、なるべく一緒にいて!」


 思わず朝ちゃんの腕にしがみついたら、彼女は空いた方の腕で力こぶを作ってくれた。


「いいよ、出かけるときは私がついてくからね」

「本間さんがついていてくれるなら安心だ。じゃ、今日のところはお姫様方はこのナイト島崎が送ってくから」


 そう言って、島崎さんはあたしと朝ちゃんを家まで送ってくれた。

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