第8話 葬式

 午前中から降り続いた雨はお昼には上がった。道路は濡れてるけど、傘は要らない。

 みんなの涙が空から降ってきたような感じの雨だった。風もなく静かに降る、冷たい雨。


 うちのお母さんは篤のお母さんのそばにつきっきりだった。篤のお父さんは喪主だから、何かと忙しいんだろう。そんなおじさんに代わってうちのお母さんがいろいろ面倒見てたみたいで、お葬式の後も先に帰るように言われてた。


 お葬式には島崎さんも来ていた。弔問客に紛れるように黒い服を着て、訪れる人たちを少し離れたところから見ている。

 あたしはなんとなく彼のところに行ってみた。


「こんにちは」

「やあ、雨が上がって良かった」

「今日はどうしたんですか」


 島崎さんは眉毛をひょいっと上げて腕を組んだ。


「誰が来ているかなと思ってね。見ても判らないんだけどね」

「あたしが教えます」

「え?」


 驚く島崎さんの横に並んで立ち、受付に向かう人を見る。


「島崎さんに協力すれば、篤と仲が良かった人たちが容疑者から外れるのが早くなるんですよね?」

「ああ、まぁそうだね」

「友達が疑われていたら、篤、きっと嫌だと思うから。篤にそんな思いさせたくないんです」


 島崎さんは小さく頷くと、胸ポケットに手を入れた。


「じゃ、頼むよ」


 そうか。ICレコーダのスイッチを入れたんだ。あたしはちゃんと録音できるように、彼のすぐ左側に立った。


「今来た制服の女の子はあたしと一緒のクラスの香菜かなです。若林わかばやし香菜。篤とも仲良しで、あたしの親友です」

「若林香菜さんね」


 島崎さんが確認するように復唱する。


「その後ろ、親と一緒に来てるのが大澤君です。制服がブレザーなんです」

「ああ、この前言ってた、別の高校行っちゃった大澤優君ね」

「はい。一緒にいるのがお母さん。大澤君も小さい頃から仲良しでよくお家に遊びに行ったから、お母さんとも仲良しで千賀子ちかこママって呼んでるんです」


 大澤君は制服で、千賀子ママはいつものようにきちんとした品の良い感じの喪服だ。大澤君は、口元を真一文字に結んで涙をこらえているのがここからでもわかる。


 その後ろに男子が団体さんでやってくる。


「あれは地元のサッカークラブの子たちです」

「篤君は大勢友達がいたんだな」


 島崎さんがその団体を眺めながらボソッと言う。


「人気者でしたから。全員名前言いましょうか」

「いや、いいよ。必要になった時に聞く」

「あ、今来た女の人が朝ちゃんです。ショートカットの女の人」

「本間朝音さん?」

「そうです」


 朝ちゃんはきちんとした黒いパンツスーツを着ていた。みんな制服で来ている中で、大学生の彼女は一人だけスーツだから凄い目立つ。


「えらい美人だな」

「高校でもすごいモテてたみたい。朝ちゃんは昔っから美人で、それなのに全然男子に興味なしって感じのさっぱりした性格なんです。竹を割ったような」

「そりゃあモテるわ」


 詰襟の学生服集団がやってきた。うちの学校の男子だ。


「あの黒い集団、うちの学校のサッカー部です」

「聡美ちゃんのとこは学生服なんだね」

「はい、みんなブレザーの方がいいって言ってるけど。首が苦しいとか言って。あ、あれが市村君。サッカーボール持ってるのがそうです」

「へぇ、イケメンだね。ええと市村俊介君だね」


 市村君、受付前からもう号泣してる。彼を見てるだけで、あたしまで泣けてくる。


「よっぽど仲が良かったんだな。仁村篤君と市村俊介君」

「それはもう。兄弟か恋人みたいでしたから」


 ふと、島崎さんがこっちを見た。


「仁村篤君ってカノジョいなかったの?」

「え、あ、まあ、そうですね。付き合ってた人はいません」

「誰かの事が好きだったとか、そういう話は聞いてない?」


 え、どうしよう……。





 土曜日。いつものように篤があたしの部屋にいた。いつものようにって言うのは、玄関から来たんじゃなくて、窓から来たってことなんだけど。

 隣同士のあたしたち、篤の部屋とあたしの部屋は向かい合わせになっていて、ベランダからお互いに渡ることが出来ちゃう。

 小さい頃はあたしもよくベランダから篤の部屋に遊びに行ったけど、中学入ってからは篤の方からしか来なくなった。あたしが高いところが苦手になったからだ。


 篤がこっちに来るときは大抵虫取り網でうちの窓をコンコンってノックする。それでカーテンを開けると篤が合図を送ってる。来てもいい時は窓を開けてあげるし、ダメな時は両腕で大きなバツ印を作ると篤は諦める。そんな暗黙の了解までできていた。

 さすがに高校生になってからは回数が減ったけど、それでもまだそうやってくることはたまにはあった。


 土曜日は凄い久しぶりで、あたし自身何も無かったから、普通に篤を入れた。何か大事な話があるみたいだった。だけどあたしも金曜日の事で凄く参ってた。

 篤は部屋に入るなり、本題に入ったんだ。


「どうしたの、お前昨日からなんか変。拾い食いでもしただろ」

「しないよ、篤じゃあるまいし」


 あたしはいつものように床にぺたんと座って、クッションを抱いてベッドに寄りかかる。これが定位置。篤はあたしの勉強机のところの椅子に座る。これも定位置。篤の方が訪問してるのに、いつも目線が上なんだよね。あんたも床に座んなさいよ。


「誰かにコクられた?」

「えっ」


 一瞬泳いでしまったあたしの視線を目ざとく見つけてニヤニヤすんだよね、コイツ。もうムカつく。


「つき合うの?」

「ううん。どうやって断ったらいいかわかんないから困ってんの」

「断るの?」

「だってつき合う気無いし」


 篤が椅子に反対向きに腰かけて、背もたれの上で腕を組む。


「じゃあ、彼氏がいるって言えばいいじゃん」

「いないのにいるとか言ったらバレるじゃん」

「じゃあ俺でいいよ。俺と付き合ってることにしとけば? 話テキトーに合わせといてやるよ」

「それができる相手じゃないんだってば」

「誰よ」


 そんな事篤に言えるわけないでしょ……。


「あ、そーゆう事?」


 しかもコイツやたら勘がいい。


「そっかー、俊介かぁ。別にいいじゃん俊介なら。つき合えば?」

「なんでそういうこと言うかなぁ。他人事だと思って」

「何、俊介の事嫌いなん?」

「そんな訳ないでしょ。市村君の事は好きだけど、そういう『好き』じゃないし」

「他に好きな奴でもいんの?」


 だから、どうしてそういうこと訊くかな。


「別にそういう訳じゃないよ」

「そうなんだ。良かった。俺は好きな子いるけどね」

「今、篤の話関係ないし」

「あるよ」


 篤が椅子から降りてこっちに来た。あたしの正面に座っていきなりこう言ったんだ。


「俺は聡美が好き。俊介には譲れない」


 ……え?


「いくら俊介の頼みでも絶対譲れない」


 なっ、急に何を言い出すんだ!


「え、ちょっと、意味わかんない」

「じゃ、わからせる」

「あ……」


 いきなりキスされた。びっくりした。小っちゃい頃、よくほっぺにチュとかしたけど、それは小っちゃい頃だからだ。今は高校生だよ?

 あたしが驚いて固まってたら、篤が大きな手であたしの頭を撫でた。


「ごめん、びっくりした? でも俺、マジだから」


 なんだかドキドキして篤の顔が見てられなくて、クッションを胸元にぎゅうっと抱いたまま俯いてたら、篤が立ち上がった。


「俺、帰るわ。じゃあな」


 あたしは返事もできずにそのまま固まってた。





「なんか篤って、本気か冗談かわからないところがあったから」

「だから本気じゃないかもしれないって思ったんだね?」

「はい、まあ、そういう……えっ?」


 あたし何も言ってないよ?


「聡美ちゃんも仁村篤君の事が好きだったんだろ?」


 何この人、島崎さん人の心読めるの?


「よくわかんないんです。篤の事は好きだったけど、小っちゃい頃から兄弟みたいに育ってるし、家族みたいなつきあいっていうか。それに市村君のこともあって、篤と付き合うのはちょっと気が引けたんです。篤もああ見えて結構女の子に人気あるし、香菜も篤のこと好きだし」

「若林香菜さん? 聡美ちゃんの親友の?」

「そうです」

「ああ、そりゃつき合いにくいね」


 って話してたら、向こうから朝ちゃんがこっちに向かって歩いて来た。島崎さんを見て軽く会釈したから、あたしも朝ちゃんに紹介した。


「朝ちゃん、こちら、事件の担当の刑事さんで島崎さんって言うの」

「本間朝音です。お世話になります」


 朝ちゃんがきちんと挨拶してる。そう言えばあたし、島崎さんにこんな風にちゃんと挨拶しなかったな。さすが朝ちゃん、見習おう。


「捜査一課の島崎です。今後捜査に協力していただくこともあるかもしれません」

「私でわかる事なら何でも協力します。篤は私の弟みたいな存在でしたから」


 朝ちゃんは島崎さんに挨拶すると、あたしの方を向いた。


「聡ちゃん、お母さんが先に帰っておきなさいって。私が一緒に帰りますって言っといたから、帰るとき声かけてね」

「あ、じゃあ、今帰る。島崎さん、また今度」

「ああ、ありがとう、助かったよ。二人とも気を付けて」


 島崎さんが片手を上げる。今日もヨレヨレのワイシャツだ。


「はい、さようなら」


 あたしは朝ちゃんと一緒に帰った。朝ちゃんと一緒なら何故か安心できた。まさかその安心が音を立てて崩れることになろうとは、その時は知る由もなかった。

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