第4話 目撃者

 島崎さんは警察手帳を内ポケットにしまい込むと、再び文字が書けそうなちゃんとした手帳を開いた。


「いきなりで悪いけど、被害者とは顔見知り?」

「ヒガイシャ?」

「怪我をしていた男の子」

「あ……はい」

「被害者の名前は?」

仁村にむらあつしです」

「字、教えてくれる?」

「はい。仁徳天皇の仁に村八分の村、篤は竹かんむりに馬です」


 島崎さんが再びあたしの方に手帳を見せる。


「この字で間違い無いね?」

「はい」


 思ったより綺麗な字を書く人だ。無精髭なんか生やしてるから、もっと雑な人だと思ったけど。


「君と仁村篤君の関係は?」

「家が隣なんです。篤とは同い年で、幼稚園から高校までずっと一緒で、今は隣のクラスです」

「なるほど。人生のほとんどの時間、一緒に育って来た幼馴染って感じでいいかな?」

「はい。もう家族みたいな感じ」


 島崎さんがぱっと顔を上げると、少し離れたところで待機していた刑事さんらしき人がこっちに来る。島崎さんは手帳を一ページ破ると、篤とあたしの名前を書いて、そのやや太めの刑事さんに差し出した。


「被害者の身元と第一発見者。二人は同じ学校の同級生で家は隣。第一発見者の親御さんが来たら、被害者について確認取って保護者に連絡」

「了解」


 メモを渡された刑事さんは、速足で出て行ってしまう。


「あの……あたし、第一発見者になるんですか」


 あたしが遠慮がちに声をかけると、島崎さんはひょこっと肩を竦めて口を一文字に結んでからゆっくり開いた。


「これから目撃者っていう肩書も追加になるかもしれないけどね」


 目撃者! そうだ!


「見ました。あたし、見てました」

「はい、『目撃者』追加。詳しく教えてくれる?」


 彼が少し前かがみになって、隣に座るあたしの顔を覗き込む。長椅子がギギッて音を立てて、ここの静けさに今更気づく。病院には人影がほとんど無くて、ここから見えるのはあたしと島崎さんだけだ。薄暗くなった廊下では非常口の緑色の灯かりと、ところどころ間引きしたように点いている蛍光灯の周りだけが異様に明るく感じる。あれからどれくらい経ったんだろうか。篤は大丈夫だろうか。


「あの、今、何時ですか?」

「ん? 二十一時四十八分」


 島崎さんが腕時計で確認してくれる。


「篤、大丈夫ですか?」

「ああ、それだけどね」


 島崎さんが歯切れ悪く視線を逸らした。


「あまり言いたくないけどね、助からなかったよ」

「え……」

「亡くなった」


 ナクナッタ……ナクナッタ……。

 その五文字が意味を成さずにあたしの頭の中を通過していく。


「すいません、わかんないです。……あの、ナクナッタって、まさか、死んだってことじゃないですよね」


 なのに、彼は静かに首を横に振ったんだ。


「残念だけど」

「嘘です、篤が死ぬわけないです、篤に会わせてください」


 島崎さんは深く溜息をつくと、体ごとこっちを向いた。


「磯野さん、気持ちはわからなくもない。ご遺体にはすぐに会わせてやれないけど、あとで必ず会わせてあげ――」

「嘘です! 遺体とか言わないで!」


 思わず彼の言葉を遮ったところに、さっきの刑事さんが割り込んできた。


「島崎さん」

「磯野さんと仁村さんが一緒にお見えになりました」

「了解。聡美ちゃんだったね。まずはお家の方と話したいから一緒に来てくれる?」

「……はい」


 あたしは混乱したまま島崎さんに従った。他に選択肢はない。

 島崎さんについてくと、あたしのお母さんに腕を支えられた篤のお母さんが、他の刑事さんに誘導されて、ロビーのソファに座ろうとしているところだった。


「磯野さんと仁村さんですね?」


 島崎さんが声をかけると、二人はハッとしたように顔を上げてこちらを向いた。


「聡美!」

「聡美ちゃん!」


 もう、篤のお母さんが見ていられなくて、あたしは彼女に駆け寄っていた。


「おばさん、篤が……」

「担当の島崎です。息子さんはまことに残念ですが……全力で捜査に当たらせていただきます」

「篤は……あの子は、まさか」


 おばさんの声が痛々しい。


「お亡くなりになりました」

「そんなわけがありません、会わせてください!」


 おばさんに聞こえないように、お母さんが「この血は?」と聞いてくる。あたしは自分の手や服を赤黒く覆いつくした血を見て、やっと自分の身に起こっていることを現実のものとして捉えた。


「全部……篤の血。あたし、怪我してない」


 静かなロビーにおばさんの泣き声が響く。


「磯野さん、聡美さんには目撃者としてご協力いただくことになると思いますが」

「目撃者……ですか」

「はい」


 お母さんが「そうなの?」という目であたしを見る。あたしはどんな顔をしてお母さんと目を合わせたらいいのわかんなくて、黙って頷いた。


「彼女に無理はさせないことをお約束しますので」


 あたしには目の前で起こっている事が全て夢の中のことのように思えて、全然現実のこととして認めることができなかった。夢なら早く冷めたらいいのに、そればかり考えていた。

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