第3話 刑事
「大丈夫?」
……え?
「あ、はい。すいません。ごめんなさい、聞いてませんでした」
「無理もないよ。あんな現場に出くわしちゃったんだから」
このおじさん誰だっけ?
「もうすぐお家の方が来るから、それまで少し付き合ってくれるかな?」
「はい」
何か聞かれたけど、ほとんど頭の中を声が通過してるだけ。言葉が意味を成してないから何も残らない。
篤は首を刃物で切られていた。あの時、肩に手を置いたように見えた時、首に刃物を……。あたしはそれを見てたんだ。見てて全く気付かなかったんだ。
目の前に何度も再生される、血に濡れた篤の青白い顔。担架に乗せられてピクリとも動かず、首筋からドクドクと血が流れていた。
あたし、どうしたんだろう。あれから全く記憶がない。今はっきりしているのは、あたしの服が血まみれだって事。
「ココア、冷めちゃうよ」
おじさんの声で我に返る。あたしの両手の中には紙コップに入ったココアが湯気を立てている。
あたしはもう一度おじさんを見た。ヨレヨレのワイシャツにパーカーを羽織って、その上にフードの付いたハーフコートを着てる。うっすらと伸びた無精ひげに覆われた顔の中で、眼だけがギラギラしている印象だ。一体いくつくらいの人なのか、さっぱり見当もつかない。この人と一緒にここに来たんだろうか。っていうかここはどこなんだ? 病院っぽいけど、あたしの知らない病院だ、きっと。
「あの……あたし、どうやってここに来たかわかりますか?」
恐る恐る訊いてみると、おじさんは困ったように笑った。
「ココア飲んだら教えてあげる。君の脳は糖分が足りてないようだからね」
「え? 糖分?」
「この質問、四回目。まるで頭に入ってない。俺は君の親御さんが迎えに来るまで、あと五回くらい説明しなきゃならん気がして来たんでね」
「えっ、ごめんなさい。ちゃんと聞きます。教えてください」
「もちろんだよ。その前にココアだ」
あ、ココア、そうだ。
「いただきます」
一口含むと、ココアの温かさと甘さが体に沁み込んで来る。……あったかい。なぜかよくわからないけど、急に涙がボロボロとこぼれてきてしまった。恥ずかしいのにとめられない。どうしよう、変な子だと思われちゃう。
「よしよし、やっと人間らしい反応が見えてきた。なっ、ココアは偉大だろ?」
おじさんが人懐こく笑う。その顔見てたらなんだか安心して、あたしはこくんと頷いた。袖で涙を拭きながらふと思う。この人って一体誰なの?
「君は被害者を発見して周りに助けを求め、そこに偶々通りがかった人が救急と警察に通報。救急車が被害者を乗せ、君は駆けつけた警察官とともにここへ来て、俺に引き渡された。そして君の保護者が到着するのを待ちながら、俺とココアを飲んでいる。以上。質問は?」
「おじさんは誰ですか?」
あ、つい口を突いて出ちゃった。きっとこれも何度も訊いてるんだろうな。
「え、俺? まあ、君から見たらおじさんか」
「あっ、ごめんなさい」
もしかして若いの? 四十代後半だと思ったけど……。
「俺は捜査一課の
「はぁ……刑事さんですか」
捜査一課って、テレビドラマでよく聞くなぁ。殺人とか扱ってたりする……。
「それも言うのは四回目だけどね」
「あ、すいません。今度はちゃんと聞きました」
「三回目もそう言ったけどね」
島崎さんはそう言って軽く肩を竦める。
「捜査一課の刑事さんで島崎さん。ココアくれたおじさ……お兄さん。覚えました」
島崎さんは大袈裟にウンウンって頷いて「よくできました」って言ってくれる。
「さてちょっと質問していいかな?」
「はい」
島崎さんはコートの内ポケットから手帳を出して来た。何を訊かれるんだろう?
「じゃ、まず君の名前、教えて」
「あ、はい、
「どんな字書くの?」
「磯辺巻きの磯に野原の野、聡明の聡に美しい、で、磯野聡美」
島崎さんは手帳に書いた文字をあたしの方に見せてきた。
「この字で合ってる?」
「はい」
「簡単に知らない人に名前教えちゃダメだよ」
「え?」
「俺が捜査一課の刑事ってどこにも証拠がない。島崎も偽名かも知れない」
「あ……」
「はい、これが警察手帳ってやつね」
島崎さんはハーフコートの内ポケットから革の手帳を出してきてパッと開いて見せてくれた。ああ、縦に開くんだ。外国の映画の警察みたい。全然手帳じゃない。身分証明書みたいな顔写真が入ったカードみたいなのと、POLICEってエンブレムみたいなのがついてる。黒い革のイメージがあったけど実際はチョコレート色だ。
「これ見せられなかったら答えなくてもいいんだから。それに、見せられても君が言いたくない事には答えなくたっていい。君が答えてもいいと思うことだけ答えてくれればいいから」
「はい」
「では今度こそ、ちゃんと話を聞かせて貰うね、磯野聡美さん?」
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