第19話



 初めて彼女からの手紙に返事を書いたあとも、ぽつりぽつりと手紙がやってきた。国を出たこと、今はどんなところにいるか、レギオンのこと、自分のこと。手紙はやってくるたびに綺麗な字になっていく。

 一番新しい手紙を読み返しながら、私は思わず笑っていた。あの子たちは、また些細なことで喧嘩したらしい。まったく、いつまでたっても子どもなんだから。


「ラナー! またあの人来ているよ!」


 階下から呼ばれて、私は眉間に皺を寄せた。開店して間もない館は、まだ閑散としている。もう少し夜が更けてくれば客もやってくるだろう。彼は、いつもそんな時間を狙ってやってくる。

 はぁ、とため息を吐き出して私は髪を結う。深緑のドレスは、最近好んできているものだ。この色が嫌だという客は帰ればいい。そう思って。

「ごきげんよう、騎士様。このところちょくちょく来てくださるけど、そんなにお暇なのかしら?」

 紅を塗った唇を歪めて、私は皮肉を囁く。彼は顔色ひとつ変えない。

「暇なわけじゃない。あなたがいつも俺の話を聞いてくれないからだ」

「そうよねぇ。ゆくゆくは騎士団長になるんじゃないかって噂を聞いたもの。そんな優秀な方が私になんの御用かしら?」

 ぴくり、と彼の眉が動いた。やっと怒ったのかしら。怒ってくれるなら、簡単に終われる。

「何度言えばあなたは信じてもらえるんだ。あなたを妻にしたい」

「騎士様の愛人になるのはごめんだわ」

 はぐらかしてあげているというのに、彼は馬鹿なんだろうか。ため息を吐き出しながら言い切ると、彼は一歩こちらに詰め寄る。後ろに下がって、同じだけの距離をとった。

「愛人なんかじゃない」

「第二夫人でも同じことよ」

「妻はたった一人で充分だ」

「そう、だったらこんな場所にいないで、由緒ある家柄のお嬢様を探してきたらどうかしら?」

 にっこりと愛想よく笑うと、彼は不機嫌な顔で私を見下ろす。お得意様だったけれど、こうなってしまったら仕方ない。切り捨てることに躊躇いはなかった。

 結婚することが女のしあわせだなんて、誰が決めたのかしら?

 私は、私にとってのしあわせをとっくの昔に見つけているのに。

「……他に、想う男でも?」

 低く問いかけてくる声に、私はいいえ、と微笑んだ。いいえ、違うの。

「惚れた男なんていないわ。あなたのことも、嫌いなわけじゃない。でもね、他の子たちみたいに、いつか自分だけの王子様がやってきてここから連れ去ってくれる――なんて夢も見ていないの」

 白っぽい髪。深い緑色の瞳。それだけの理由でこんなところへ放り込まれた少女たちは、夢を見ることでしか自分を支えられなかった。でも、私はそんな子たちの中でもどこか違っていて。身体を売ることに抵抗はあまりなかったし、駆け引きを楽しむ余裕もあった。王子様を望んだことなんて、一度もなかったの。


 ――私を救ってくれたのは、小さなお姫様だった。


「あなたからの申し出であっても、他の人からの申し出であっても、私は受け入れないわ。死ぬまでここにいると、決めたの」

 ぽつりぽつりと、届くあの子からの手紙を受け取るために。

 あの子の行く先を見届けたい。あの子が帰ることのできる場所でありたい。ただそれだけの理由で。

「……これは、きっぱりと振られたな」

 苦笑しながらも、どこか清々しい表情の彼は、今まで見てきた誰よりもいい男だった。少し惜しいことをしたかしら――なんて、口には決して出さないけれど。

「今までご贔屓にしていただき、ありがとうございました」

 ゆっくりと腰を折ってそう告げると、彼は「いや」と呟く。

「また、来る。これからもあなたに会いに行きます。語らうことも、許されないというのなら別ですが」

 こうなってしまえば、もう客には戻らない。そう思って別れを告げた。なのに彼は、客をやめないという。やっぱり、どこまでいっても馬鹿な人。私はあなたの心なんて、受け取っていないのに。

「あなたとお話するのは、好きよ」

 それでもこれ以上彼を拒めない私は、間違いなく、悪い女なんだろう。




 ラナさんへ


 今は、となりの国にいます。レギオンが手をつないでくれないから、少し不満です。ラナさんはお元気ですか? カゼとかひいてませんか? おへんじを受けとれないのが残念です。手紙って、届くとうれしいものですね。

 ラナさんもこの手紙をうけとってよろこんでくれていると、うれしいです。



 ラナさんへ


 お元気ですか。私は今、海の見える国にいます。ずっと森で暮らしていたので、海の色はすごく新鮮です。空の青とも違うんですね。そちらの空と、私が見ている空は同じ色でしょうか。

 この間、町のお兄さんに話しかけられたらレギオンが怒っていました。なんででしょう? そのあとずっとむすっとしていたので、いつものレギオンに戻るまで大変でした。

 ラナさんからもらった手紙は、大事に大事に鞄の中にしまってます。ときどき読み返してはレギオンに「またか」って笑われます。いつか、レギオンとも手紙のやりとりをしたいなぁって思うけど、そしたら離れていないとダメですね。それは、ちょっと嫌だなぁ。



 ラナさんへ


 この手紙は無事に届くでしょうか。心配です。

 私たちがいる国は、もうそちらの国と交流のない国なのだそうです。レギオンが言っていました。とってもとっても遠くまで来たんだなぁ、と思います。この手紙は、行商でそちらの近くまで行くという人に預けたんですが、ラナさんの手元に届いたでしょうか。不安です。

 旅にも慣れたし、私は元気です。だから、心配しないでくださいね。離れても、遠くにいても、私もラナさんのことが大好きです。ずっとずっと、ラナさんのことを覚えています。

 レギオンと一緒だから、私はしあわせです。





 手紙が届く間隔はどんどん長くなり、いつからか、ぱったりと届かなくなった。本当に、随分と遠くへ行ってしまったものだ。手紙の束を撫でながら、私は微笑む。彼女たちが王都を旅立って、二年以上が過ぎていた。

 私は何も変わっていなかったし、国も何一つ変わっていない。けれど彼らは、ここにいた時とはすっかり変わっていた。あちこちを旅して、いろんな人と出会って、あの小さなお姫様は成長しているんだろう。

 コンコン、と扉が鳴る。まだ太陽の出ている時間に、私以外で起きている子がいるんだろうか。

「はい?」

 返事をすると、マダムが嬉しそうな顔を出す。まだまだ働くよ、あんたに継がせるのはあと十年は先だね、と言っているだけあって、マダムの動きは機敏だ。

「待ちに待った手紙だよ」

 その皺のある手に握られているのは、一通の手紙だ。

「見せて!」

 子どもがお菓子に飛びつくように、私は駆け寄った。最初の頃と比べると随分綺麗になった字は、間違いなくあの子のものだ。

 震える手で封を切る。



 ラナさんへ


 お久しぶりです、お元気でしょうか。

 そちらの国からは遠く離れて、私たちはようやく、自分たちの場所を決めることができました。海があって、少し向こうに森が見えて、空が高い、小さな港町です。この手紙は、レギオンが少し遠出することになって、そちらと交流がある国なのだそうで、もしかしたら届くかもしれないと言ってくれたので、お願いすることにしました。住んでいるところからはちょっと遠い国で、そちらとも離れているんですが、船で交易をしているらしいです。どうか無事に届いていますように。


 レギオンは、相変わらずです。私のことばっかりで、自分のことはわりとどうでもいいみたい。それはやめてって何度も言っているんですが、性分だからしかたないなって一言で片づけられちゃう。仕方ない人ですよね。

 でも、ラナさんの言うように、これで私たちはバランスがいいのかもしれません。私も、自分のことよりレギオンのことばっかり考えている気がするから。


 この町の人たちは、レギオンの故郷の村の人たちと似ていて、そしてラナさんやマダムにも似ています。やさしくて、あったかい。私の髪の色のことを、雪みたいで綺麗ねって言ってくれます。すごくうれしかった。

 家は、市場から少し離れた丘の上にあるんです。海も空も、遠くの森も綺麗に見えます。古くてぼろぼろの家だったんだけど、レギオンが少しずつ直して、最近になってようやく住めるようになったところです。レギオンは自警団に入って、けっこう頼りにされているみたいですよ。それに、町の子どもたちに剣の稽古をつけているんです。たまに町の人が遠出する時に、警護してくれって頼まれていて、今回もそれで留守にしています。

 ちょっと前まではひとりになりたくなくて寂しかったけど、今は平気です。ここに帰ってくるってわかっているから。帰ってきたら、おかえりって言ってあげるのが私の楽しみです。


 私は、しあわせです。

 だって、レギオンに出会えた。レギオンが傍にいてくれる。全部、私にくれる。だから私も、彼に全部あげる。見返りを求めているわけじゃなくて、私たちがお互いにそうしたいから。

 災厄の乙女としてグリンワーズの森に押し込められていたままでは、こうはなれなかった。死を求めて、彼の手で死んでいても、しあわせにはなれなかった。私は、自分で自分の道を決めるということから逃げていたんですね。

 災厄の乙女で良かったって、今なら言えます。ひとつの国を巻き込んで、今でも国に不幸と混乱を振りまいて、それでも私は災厄の乙女で良かったと思います。レギオンを、手に入れることができたから。災厄の乙女だったから、出会えたから。

 だから、私はしあわせです。



                         愛と信頼を込めて マリーツィア


追伸

 今は、こうしてレギオンの帰りを待っている時もひとりだけど。

 来年の春には、家族がもう一人、増える予定です。



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