第15話


 夜が深まり、村の広場には大きなかがり火があった。夏のはじめの、ささやかな祭りだ。マリーツィアは若い連中に連れられて輪の中で楽しげに踊っている。大人たちは酒を飲み、子どもはいつもより夜更かしが許される、特別な夜だ。

 俺は離れたところでかがり火の灯りを見つめながら、根掘り葉掘り俺とマリーツィアの関係を聞き出そうとする酔っ払いをあしらっていた。まさか、こうしておまえと酒を飲めるとはなぁ。嬉しそうに笑うおっさんたちを見ながら、俺は曖昧に笑う。俺だって、こんな時がくるとは思っていなかったよ。

 もともと酒は強い方なので、それなりに飲んでも前後不覚になるほど酔いはしない。本当はそろそろ家に帰りたいところだが、マリーツィアはまだ祭りを満喫しているようだった。どうするか、と考えながら空になったジョッキを見下ろす。

 不意に、認めた方が楽になると思うよ、とリュカの声が頭に響く。いずれ離れることができるようにと距離を保とうとしているのに、その境界線を無視してこちらに侵入してくる脅威マリーツィア

「あれ、ほっといていいの?」

 現実味のある声に、はっと顔を上げる。いつの間にかに、楽しげに踊っている若者の輪から抜けてきたリュカが隣に立っていた。

「……あれ?」

 わざとしらばっくれるようにして問い返すと、リュカは「しらじらしい」と小さく呟く。

「マリーさ、可愛いし明るいし、あそこで踊っている連中もいいなって言っているよ。いいかげんにしないと、横からかっさらわれるんじゃない?」

「さらうも何も、マリーツィアとはそういう関係じゃない。本人がいいなら、いいんじゃないか?」

「……ホント、頑固だなあんた」

 はぁ、とリュカがため息を吐き出して口を閉じる。かがり火を囲んで踊るのは、まだ酒を飲めないような奴らだ。幼い子どもは少し前に家に帰っている。大人というにはまだ幼く、子どもというには大人に近い年頃の奴らが楽しんでいるのだ。昔、ヒルダをいじめていたりした連中がほとんどで、デカくなったもんだな、と苦笑する。

 マリーツィアは笑っている。俺といる時より年相応の顔をしているかもしれない。無邪気に、楽しげに、笑っている。

 一人の青年が、マリーツィアの頭を撫でた。リュカよりもわずかに年上で、俺よりもずっと年下の男。マリーツィアは少し気恥ずかしそうに笑って、そいつを見上げる。

「…………」

 心臓を握りつぶされるような感覚だった。言葉が出ない。目が離せない。ただ胸が苦しい。ざわりと波打つ心を鎮めるように、冷静になれと自分に言い聞かせた。俺が望んでいることは、こういうことだ。俺とは違う誰かと、彼女がしあわせになること。彼女が愛する誰かと、憂いなく暮らすこと。心の底からそう願ってきた。

 かがり火に照らされたマリーツィアが、こちらを見る。どくんと心臓が鳴った。レギオン、と彼女の口が俺の名前を呟いたが、祭りの喧騒の中、彼女の声はここまで届かない。

「……少し酔いを醒ましてくる。あいつのこと頼むな」

 気づかなかったふりをして、俺は踵を返した。酔っていないつもりだったが、もしかしたら酔っているのかもしれない。眩暈がする。

「いいけど、でもあれ、あんたのこと呼んでいるんじゃ……レギオン?」

 引き留めようとするリュカを無視して、騒がしい祭りから逃げるように速足で歩く。たくさんの声が遠ざかれば遠ざかるほど、自分の心臓の音がうるさくなった。黙れ、騒ぐな。耳を塞ぎたくなる衝動を誤魔化すように、歩く足は速くなる。

 夏が近づく夜の、星空は霞んでいる。山が近いこの村はいつだって星が綺麗に見えるはずなのに。夜風は涼やかで、ひんやりとしているのにこれからやってくる暑さを匂わせていた。いっそ凍てつくほど冷たい風だったら、頭も冷えたのに。

 このまま家に帰る気にもなれなくて、気づけば足はヒルダと両親の墓の前で止まっていた。手向けられた綺麗な花。いつだってここは花で溢れている。


 ――レギオン、あんたとっとと認めた方が楽になれると思うよ。


 どくんどくんとうるさい心臓の音と一緒に、リュカの言葉が頭の中で繰り返し、繰り返し流れる。認める? 何を? そう誤魔化そうとすれば「目を背けるな」と叱るような声がした。

 俺と一緒にいるよりも、年の近い奴といる方がいい。その方が、彼女も気楽で楽しいだろう。こんな男とずっと一緒にいるよりも、もっといい方法があるはずだ。だって俺は彼女を殺そうと思ったこともあるのだから。俺の傍にいることは彼女のためにならない。だから俺はいつでも離れることが出来るように、自分の想いに蓋をする。

 何度も何度も自分に言い聞かせた言い訳が、ぐるぐると渦を巻いている。どれも自分勝手な言い分じゃないのか? マリーツィアが本当に願うことはなんなのか? 彼女はあの森を出る時も、王都を旅立つ時も、迷わず俺の手をとった。それが答えじゃないのか。しかしそれは俺が自分にいいように勝手な解釈をしているだけじゃないのか。

 認めた方が、なんて。簡単に言ってくれるなよ。

「……認めたら最後、こっちはもう大人になんてなれないんだよ」

 それは自ら蓋を壊すようなものだ。そんな浅はかな真似できるはずがない。結論はいつも同じだ。蓋をして、隠して、彼女がしあわせになれる道を選ぶだけ。

 酔いを冷ましてくる、と言った手前戻らなければならないだろう、とゆるりと立ちあがる。涼しい風に揺れる花は、まるでいってらっしゃいと言っているようにも見えた。柔く微笑んで、俺はまた賑やかな祭りの中へと戻る。

 夜も更けてきた中で、祭りを楽しんでいるのは酒に酔う大人と、夜に遊びたい盛りの若者くらいだ。おっさんたちはかなりの量の酒を飲んだんだろう。風の中にわずかに酒の香りがした。ここまでくると、酔い潰れる奴らも出てくる。

「……おかえり。そろそろマリーを連れて帰った方がいいんじゃない」

 祭りの賑わいの中で取り残されたかのように、やけに冷静なリュカが異質に見えた。漂う酒の香りだけで若者も酔ってきているのかもしれない。

「そうだな」

 見れば少女と呼べるような年齢の女はいなくなってきている。夜も遅くなれば若い女はいそいそと家に帰るものだ。

「マリーツィア! 帰るぞ」

 少しわざとらしいくらいに大きな声で、彼女を呼ぶ。楽しげに話していたマリーツィアがぱっと振り返る。答えがまだ見つからないくせに、認めることもできないくせに、こんなところで牽制だけはするのか、俺は。

 引き留めようとする男たちをさらりとかわして、マリーツィアはこちらに駆け寄ってくる。途中で、ふらりと一人の男がよろけた。酒に酔ったおっさんだ。

「大丈夫ですか?」

 酔って膝をついた男へ、マリーツィアが手を差し伸べる。意識が保てなくなるくらいに飲んでいるようだった。祭りの夜にはよく見る光景。

 男はぼんやりとした目でマリーツィアを見上げる。かがり火がマリーツィアの白い髪を照らしていた。周囲はまだ祭りを楽しむように笑い声で満たされている。


 ひぃっと、男が息を呑んだ。


「ヒ、ヒルダぁああああ! 許してくれ、許してくれえええええ!」

 熱気に包まれていたはずの、その場が凍りついた。怯えるような、許しを乞うような男の声は村中に響き渡る。チッと舌打ちして俺は駆け寄った。ほんの数メートルが遠い。

「ちがうんだ、ちがうんだ、俺がわるいんじゃない、俺たちがわるいんじゃない。わるいのは、わるいのは、災厄の乙女だ!」

 男は持っていたジョッキを振りまわしている。マリーツィアが差し伸べた手にそれが当たった。先程までマリーツィアと楽しげに話していた若者は皆、逃げるように男とマリーツィアから距離を置く。

「見るな、俺を見るなぁあああああああ!」

 マリーツィアは動かない。動けないのか、動かないのか。俺はその細い腕を引き寄せて、背に隠した。ジョッキを振りまわす男の腕を掴んで、動きを止めた。怯える目が俺を見る。

 そうだね、と小さな声が背後から聞こえた。

「悪いのは、災厄の乙女だね」

 それは当たり前の事実を再確認するような響きをもって、小さく小さく吐き出される。

 その声に胸が痛みながら、俺は男の腕を離す。酔いが醒めてきたのだろうか、罪悪感で行き場をなくした顔で、俺を見ていた。何かを紡ごうと口が何度も動くが、何も言わない。

「……あんまり飲み過ぎるなよ」

 苦笑いでそう呟き、俺は振り返る。マリーツィアは何も言わずに俯いていた。手を差し出せば、ゆるゆるとマリーツィアが俺の手を握る。

 背中に刺さる視線が痛い。リュカの傍を通り過ぎると「ごめん」と何に対して謝っているのか分からない言葉をかけられた。謝られるようなことではないのだ、分かりきっていたのだから。本当の意味で、この村があの日のことを忘れることなど出来ないと。


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