第9話

「――レギオン?」

 急に黙り込んだ俺を不審がりながら、リュカが名前を呼ぶ。

 意識が飛んでいたな、と苦笑しながら髪を掻きあげて「なんでもない」と答えた。リュカは訝しげにこちらを見ている。

「身代わりじゃないし、同情でもない。そんなことで一緒にいるわけじゃないから、安心しろ」

 むしろそんな理由でここまでの決断ができるほど、お人好しでもない。

「それなら、いいけどさ」

 釈然としない、と言いたげな顔ではあるものの、リュカは大人しく引き下がってくれた。話そうと思えば話せる事情ではあるものの、こんな誰が聞いているかも分からない場所で話し始めるものでもない。

「それで? いつまでいるつもりなんだ?」

「それはお姫様のご機嫌次第。今のところ俺に決定権はないからな」

 茶化すようにそう告げると、リュカは「ふぅん」と呟く。少し話しこんでいたせいで、空は明るくなってきていた。

「俺そろそろ行くな。長居するのは別にいいけどさ、あんたの家だし。ただ村の奴らには気を付けたほうがいいんじゃない?」

 分かっているだろうけどさ、と付け足しながら与えられた助言に、素直に頷いておく。大人になったな、なんて言ったらリュカの機嫌を損ねるだろう。

 じゃあ、と言ってリュカは村の外れの方へと歩き出す。向こうにあるのは、昨夜マリーツィアを連れて行った墓地くらいだ。なんとなくリュカの行き先と理由が分かった気がした。

「リュカ」

 少し遠ざかった背に声をかける。リュカはすぐに立ち止まって振り返った。瞳が「なんだよ」と告げている。

「いつまでいるか分からないが、暇だったらあいつの相手してやってくれ。あまり人づきあいに慣れてないんだ」

 年も近いから、すぐに打ち解けてくれないだろうか。そんな打算も込めて言うと、リュカはめんどくさい、と顔を歪める。

「……ま、暇だったらな」

 しかし最後にはそう言って、リュカはまた歩き出した。なんだかんだで面倒見がいいのも昔から変わらない。

 これで少しでもマリーツィアの人見知りが治ればいいんだが、と思いながら家に入ると、マリーツィアが眠る部屋の扉が開いていて、眠そうに目をこするマリーツィアが立っていた。

「なんか、外で話し声がした……? 誰かいたの、レギオン」

 ぼんやりとした、まだ夢の中にいるような声に微笑む。外は明るくなってきたが、目覚めるにはまだ少し早い。

「家の外でリュカと会ったんだ。起こしたか」

「いいの、今日は早起きしてごはん作るつもりだったから」

 ふぁ、とあくびをしながらマリーツィアはぼさぼさになった髪を手で整える。くせのない髪は少し撫でつけるだけである程度整ってしまう。櫛で梳かすくらいすればいいのに、と思うがいつも口には出さない。森を出た時には用意していなかった櫛や鏡だって、王都を出た時にラナから押しつけられていたはずだ。

 どうも自分の容姿にはこだわりがないらしい少女に、これでいいものかと考えてしまう。本来ならば可愛らしい服を着て、化粧にだって興味を示す年頃だろうに。顔を洗ってきた後で、いそいそと少し危なっかしい手つきで朝食の準備を始めるマリーツィアを見る。

 森にいた頃とは比べ物にもならないほど表情は豊かになった。

 あの頃のマリーツィアと言ったら、笑顔の底にも絶望を潜ませていて、悲しみの裏には諦めを隠していた。感情のすべてを鈍らせていたと言えばいいのだろうか。

 今の彼女は違う。感情が素直に顔に出る。嬉しければ笑う。笑った時の顔は、花が綻ぶように幸せそうだ。



 ――殺せない、と思ったあの日。

 俺は自分のエゴを彼女に押しつけた。幸せになれと。幸せになって生きてくれと。そのためなら俺はいくらでもこの身を犠牲にしておまえを守るから。

 妹の代わりなんかじゃない。同情でも憐れみでもない。


 そう、俺は。

 十歳以上も下の、災厄の乙女と呼ばれたこの少女を、いつの間にか愛していたんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る