第7話

 家に帰りつくまで、マリーツィアはずっと黙っていた。しかしそれは重たい沈黙ではなく、静かに流れる時間が心地よくもあった。

 眠るように静まった村は、客観的に見る限りは平和そのものだ。

 しかしどうしても、この村で長居をしようという心は湧きあがらなかった。自分にとって、安らげる場所ではなくなっているんだろう。



 家に帰りつき、それぞれ部屋で眠ろうと別れる前にマリーツィアに声をかける。

「荷物、まとめておけよ」

 目的は果たしたのだから長居する必要はない。早々に出立しようと思い、そう告げるとマリーツィアはきょとんとした目で俺を見上げた。

「なんで?」

 まさかやってくるとは思わなかった問いに、俺の方が驚かされる。

「もう用は済んだだろ? 明日にでも出る」

 きっぱりと言い切ると、マリーツィアは「え」と呟いて少し慌て始めた。

「だ、だって着いたばかりだよ? もう少しゆっくりしてもいいんじゃないの?」

 珍しいな、と思った。マリーツィアは素直に自分の意見を言ったことが。普段の彼女は俺の言ったことに対して頷くばかりで、こうしたいと言うことはほとんどない。

 ただこの村にいるのは精神的にきつい。そう言えてしまえば楽なのかもしれないが、大人としてのプライドがささやかに邪魔をした。そうでないとしても、マリーツィアが一つの場所に長くとどまるのは危険だ。まだここは災厄の乙女を生み出した国の中なのだから。

「あまりのんびりしているわけにはいかないだろ。もうリュカに髪を見られているんだ。……まぁ、あいつは誰かに話したりしないと思うけどな」

 マリーツィアの白い髪を見た時の、あの呆然としたリュカの顔。そこにある感情は恐怖ではなかった。リュカが嫌悪しているのは『災厄の乙女』ではなく、むしろこの村の――この国の『大人たち』だろう。

「で、でも私もう少しここにいたい」

 自分の正体がバレることがどれだけ危険なことか分かっているはずなのに、マリーツィアは珍しく食い下がる。マリーツィアの容姿は間違いなくこの村の人間を刺激する。嫌な過去を――ヒルダという少女の死を――思い出させるに違いないのだ。それがどう彼女にぶつかるか、想像しただけで吐き気がする。

「こんな何もないところ、長居する場所じゃない」

「ほら、食べ物とか買い足したりしなきゃいけないし、ちょっと疲れをとってから出発してもいいんじゃないかな」

 必死に理由を考えながら、マリーツィアはなおもこの村に残ろうとした。他の街ならまだしも、こんな村でなんの準備ができるというのか。

「買い足すほど減ってない」

「て、てがみっ!」

 マリーツィアのあげた理由を次々に否定していたところで、彼女はきっと俺を見上げて言った。

「ラナさんに手紙書いたの。レギオンの故郷にいるって書いたからもしかしたら返事が届くかもっ!」

 それはきっと、彼女にとって最後の手段だったんだろう。こちらの住所なんて書いていないのだから、返事が届く確率は限りなく低い。マダムあたりに教えていたような気もするから、可能性がゼロと言い切れないのは確かだが。

「……届くまで待っているわけにはいかない」

 王都からこの村までは距離がある。向こうに手紙が届いて、すぐに返事を書いたところで何日で返ってくるだろうか。

「分かっている。でも、ちょっとだけ待ってみたい」

 マリーツィア自身も上手い言い訳だとは思っていないんだろう。少し萎れた声に、言い返す気力もなくなってきた。

「……少しだけだからな」

 結局は折れてしまう自分にため息を吐き出した。マリーツィアがどれだけの時間をかけて手紙を書いているか目の当たりにしている分、ここで切り捨ててしまうことは出来なかった。

「ありがとう、レギオン」

 ほっとしたようにマリーツィアは微笑む。正直、こうまでしてこの村にいたい理由なんて俺には分からない。思い出したくもない過去を抜きにしても、何もない村だ。旅人が来たところで一泊してすぐに去っていくような、通り道としてだけあるような村。

 ――今となっては重い息苦しささえ感じる、自分の故郷。




 ベッドで横になり、天井を見上げながらぼんやりと眠気がくるのを待つ。今頃マリーツィアは隣の部屋で眠っているだろう。

 久しぶりの実家ということもあり、さらにもともと眠りが浅いせいもあって、すぐには眠れなかった。野宿の場合は無理にでも寝ておこうとするものだが、宿があり、ある程度の安全が保たれている状態では必ず眠らなくてはならないわけじゃない。

「なんだって、こんなところに居たがるんだか……」

 ヒルダが殺された時のことを、詳細に話したことはない。ただ、村人に殺されたと。その程度のことしかマリーツィアは知らない。

 けれどそれだけでも十分に回避すべき理由になる。この村は彼女にとって危険な場所だ。おそらく王都よりもずっと。

 ――彼女がここにこだわる理由らしい理由は、ひとつしか思いつかなかった。

 簡単だ。『俺の故郷』だから、だろう。

 はぁ、とため息を吐き出して寝返りをうつ。バカか、と思わず零れた本音が部屋の中で小さく響いた。

 深い理由なんて本人に聞かなければ分からない。しかし、いつもは自ら主張しないマリーツィアがあんなにも食い下がったのは、ここが俺の育った場所だからなんだろう。

 俺のことなんて顧みなくていい。ただ自分のことだけを考えて、望んでくれればいい。

 いくらそう願っても、彼女は俺を中心に据える。俺は、彼女の中で大きな存在になりたいなんて、願ってはいないのに。


 結局あまり寝付けずに、明け方近くに起き出した。外はほんのりと明るくなっている。太陽が徐々に空へ昇ろうとしていた。

 家の外に出て、まだ夜の雰囲気の残る空気を吸い込む。少しは頭が冷える気がした。

 本音はどこかへ行って落ちつきたかったが、寝ているマリーツィアを置いて出かけるわけにもいかない。俺の家に近づく村人がいるとは思えないが、一人で目を覚ましたら彼女は確実に俺を探しに出るだろう。

 ――そう、刷り込みされた雛鳥が、親鳥を探すように。

 ふぅ、とため息を細く長く吐き出して、目を閉じる。

「レギオン?」

 ふと名前を呼ばれて、ハッと目を開ける。そこにいたのは白い髪の少女ではなく――リュカだった。

「こんな朝早く何してんの。ていうか、わりとのんびりしているんだな。てっきりさっさと出て行くと思ったのに」

 明るい声に、沈みかけていた感情がわずかに浮上する。リュカの纏う空気は他の村人と違って、少しだけ呼吸は楽になった。

「最後だからな、少しくらいはゆっくりしようと思って……おまえこそ何しているんだ。ガキがこんな時間に」

 畑仕事をしている人間でもない限り、こんな朝早くに目を覚ますことはない。リュカの家は雑貨屋なのだから、もう少し寝坊しても許されるはずだ。

「……ん、まぁ」

 濁すように言葉を詰まらせるリュカを、俺は追及しなかった。もう小さな子どもでもないのだから、人には言えない何かがあってもおかしくはない。ヒルダより一つ下だった少年は、背丈だけを見れば大人と変わりないのだ。

「ゆっくりしているのはいいけどさ……でも、あの子は気をつけた方がいいんじゃねぇの?」

 少し言い出しにくそうに言ったリュカが指すのは、マリーツィアのことだ。

「……そうなんだがな。その本人が駄々をこねたもんだから」

「――……あの子、ほんとにどうしたわけ? 遠い親戚ってわけでもないだろ。レギオンがこの国を出るって決めたのも、あの子のためじゃないの?」

 リュカが問い詰めるように言う。しかしその目は答えを聞くことを怯えているように、俺から目をそらした。

「答えられない、と言ったはずだ。国を出るのは――まぁ、あいつのためだけどな」

 否定できないそれは、苦笑しながら答えた。どんなに嫌っていても離れることが出来なかったのは、決定打になるものがなかったからだ。ずるずると生まれ育った国のぬるま湯に浸っていたのは怠惰だったのかもしれない。マリーツィアという存在が、俺の行動の起爆剤になったのは否定しきれなかった。

 彼女のような、なんの罪のない少女を悪にした国を良しとするのか。そんな国を守るために騎士団に居続けるのか。答えはどれも否だった。

「……レギオンは、あの子にヒルダを重ねているんじゃないのか?」

 リュカは地面を睨みつけるようにしながら、苦しげに問いかけた。

 マリーツィアを目にした一瞬、ヒルダの名前を呟くくらいに、まだこの少年は覚えていた。幼い頃のあの日を。一人の女の子が静かに横たわるあの姿を。

「守れなかったヒルダの代わりに、あの子を守って、大切にして、それでレギオンは救われたいんじゃないのか? あの子をヒルダの身代わりにしているんじゃないのかよっ!」

 そう叫んで、握りしめられた拳は、震えている。リュカの問いは怒りを孕んで早朝の空へ響いた。

 俯いているリュカの表情はこちらからは窺えない。赤毛の髪が炎のように揺れていた。怒っているのか泣いているのか――もしかすれば、その両方なのかもしれない。

 いつかは叩きつけられるだろうと思っていた問いだった。

「それも、言ったな。マリーツィアはヒルダじゃないし、ヒルダの代わりでもない。ヒルダはヒルダだ。俺の、たった一人の妹だよ」

 ゆっくりと諭すように答えると、リュカの肩がびくりと震えた。マリーツィアのことを話しているように見せかけて、リュカが語っているのはヒルダのことだ。

「……いくら俺にぶつけても、苦しくなるだけだ。ヒルダを守りたかったのも、大切にしたかったのも――救われたいのも、おまえだろ」

 握り締められたリュカの拳が震える。


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