第4話


 少し向こうに、家が見えた。マリーツィアがぱっと目を輝かせる。

「レギオンっ! あれかな?」

 見えてきた村を指差して、マリーツィアが振り返った。苦笑しながら頷くと、彼女はいつもに増して楽しそうに笑った。

 村の後ろには山がひっそりと佇み、周囲は特に何もない平野が広がっている。見渡す限り高い建物はなく、自然がありのままに残っていた。何年も変わらない光景に、胸が締め付けられるように痛くなった。何も変わらないことに失望しているのに、昔と変わらずにあるその姿に懐かしさを覚えるなんて、矛盾している。

「行こう、レギオン。……大丈夫?」

 楽しそうにくるくると走り回っていたマリーツィアは、すぐ傍に歩み寄って問いかけてきた。首を傾げる仕草が猫みたいだ。顔色が悪いよ、と付け加えられた言葉に否定はできなかった。

「よけいな心配するな。行くぞ」

 マリーツィアの頭を撫でて歩き始めると、彼女も大人しく後ろをついてきた。フードをしっかりと被り直すあたり、旅に慣れてきている。

「どこに泊まるの? レギオンの家ってそのまま?」

「掃除はしてないがそのまま残っている。部屋もあるから安心しろ」

 小さな家だが、俺の他にマリーツィアが増えたくらいで暮らせない家ではない。幼い頃は家族四人で暮らしていた家だ。マリーツィアは徐々に近づく村を見て「えへへ」と笑う。いつもよりしまりのない笑顔に、俺は「どうした」と短く問いかけた。

「なんだかね、嬉しいなぁって」

 風でフードが飛ばないように、と両手で押さえながらマリーツィアは笑う。

「何がそんなに嬉しいんだ? 特に何もない村だぞ」

「うん、でもレギオンが育った場所だから」

 だから来られたことが嬉しい、と子どもみたいに笑う。ああ、こういう一面もあるんだなとこちらは少し驚かされた。


「――……レギオン?」


 意識が村よりもマリーツィアに移っていた、その時だった。マリーツィア以外の声で、自分の名前が呼ばれる。

 顔をあげると、村の入り口に一人の少年がいた。鮮やかな赤毛に、青い瞳。

「リュカ」

 今年で十七歳くらいだったか――小さな頃から知っている悪ガキは、一丁前に大人びていた。最後に会ったのはいつだっただろう。一昨年墓参りに来た時には会わなかったから三、四年ぶりほどだろうか。

「やっぱりレギオンかよ。ヒルダの命日でもないのに、どうして――」

 気おくれせずに出てくる妹の名前に、わずかに微笑む。リュカはよくいるいじめっ子で、年の近いヒルダもよくその被害に遭ってはいたが――まぁ悪い奴ではなかった。昔から。

 リュカの視線が、俺の後ろに隠れようとするマリーツィアを捕えた。

「……女連れ? それにしては年下すぎねぇ? 俺より下だろ? あんたそういう趣味だったんだ」

「生意気な口きくなガキが。俺の連れだがそういう関係じゃない」

 ふぅん、と呟きながらリュカはマリーツィアをじろりと見る。人見知りしがちなマリーツィアは、こそこそと俺の背中に張り付いて離れなくなってしまった。

「マリーツィア」

 諌めるように名前を呼ぶと、しばらく逡巡したあとで顔だけひょっこりと出した。野生動物か何かか、と呆れるしかない。

「……はじめまして」

 必要最低限の挨拶だけをして、また俺の背に隠れる。同じ年代の人間と会話することはそうなかったから、いつも以上に緊張しているんだろうか。

「どーも」

 リュカもあまり興味がないらしい。適当な挨拶をしてそれきりマリーツィアを見ない。

「で? なんで何もない時期なのに帰って来ているわけ?」

「……国を出ることになったから、最後の挨拶をと思ってな」

 誰に、と言わなくても分かるだろう。この村に俺が挨拶するような人間はいない。リュカは驚きもしなかった。

「そ。まぁいつかそうなるような気はしていた。心配しなくてもヒルダの墓は綺麗なまんまだよ」

「――そうか」

 それしか言えなかった。それが指す事実に感謝も嫌悪もできない。

「……レギオン?」

 背後から俺の様子を窺うようにマリーツィアが声をかけてきた。心配そうな声に、情けないなと思いながら少し無理に笑う。

「いや。家に行くか。野宿続きで疲れたしな」

「うん」

 マリーツィアは素直に頷いて、俺を見上げた。村は相変わらず静かだ。静まり返っていると言ってもいい。ヒルダが死んだあの日から、村も時を刻むのを止めたようだ。ずっと動くこともできないまま、無為に外の時間だけが過ぎていく。

 振り返り、マリーツィアに手を差し出したところで、突風が吹いた。あおるように吹く風に、マリーツィアの白い髪を隠していたフードが攫われてふわりと肩に落ちる。

「――あ」

 しまった、という顔をしてマリーツィアが慌ててフードに手を伸ばすが、焦っているせいか上手く被れない。村人はほとんど外に出ていないので目撃者という目撃者は、リュカしかいないが――。


「…………ヒル、ダ……?」


 リュカは呆然とマリーツィアを見つめて、もういない人の名前を呟いた。その小さな声は、広い空へと溶けるように消えていく。その名前に、心臓が握られるような息苦しさを覚えた。

「リュカ」

 半ば強引にマリーツィアにフードを被せ、名前を呼ぶとリュカは夢から覚めるようにハッとした。ぼんやりとしていた瞳が、確かにこちらを見る。

「その、子」

 まだ戸惑っているように、声はたどたどしかった。問い詰めるわけでもなく、責めるわけでもない。ただ惰性で発せられた声だ。

「ヒルダじゃないし、ヒルダの代わりでもない」

 きっぱりと言い切ると、リュカは心臓を貫かれたような顔をした。頭では分かっていても、マリーツィアのもつ色彩にヒルダの面影を思い出したのだろう。はっきりと答えると、リュカは呆然としながら頷いた。

「…………訳あり?」

「聞くな。説明できるもんでもない」

 付け入る隙もない速さで答えれば「ああ、そっか」と曖昧な返事があった。「そうだよな」とさらに小さな声で呟き、リュカは地面をじっと見つめたまま動かなくなる。俺はリュカの脇を通り過ぎて村に入っていく。今は放っておく方がいいだろう。

「レギオン、いいの? あの人……」

 俺とリュカを交互に見ながらも、小走りで俺の後ろをついてきたマリーツィアが問いかけてくる。人見知りするくせに、心配性なのは厄介なものだ。

「いいんだ。あいつは頭を冷やした方がいい」

「でも」

 マリーツィアが振り返ってリュカを見る。後ろ髪が引かれているその様に、わずかな苛立ちを覚えた。

「子どもじゃないんだ。ほっとけ。ましてここはあいつの住んでいる村だしな。おまえが近くにいても逆効果にしかならない」

 そう言い切ってすたすたと歩くと、マリーツィアは何度も後ろを振り返りながらも俺から一メートル以上離れることなくついて来た。


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