第10話

 さぁ、殺すなら殺せばいい。

 振り上げられた剣なんかに怯えたりはしない。

 ただ静かに目を閉じて、世界の終わりを待った。いつかあの森で、終焉を望んだ時のように。


 レギオン、あなたは『災厄の乙女』なんて最初からいなかったんだと言ってくれたけど、やっぱり私は、この王国に災いをもたらした『災厄の乙女』なんだよ。

 私が生まれたことによって、たくさんの人が、苦しむことになった。今も苦しんでいる。こうした悲しい出来事が王国に溢れる。

 あなたとの出会いを否定したりなんてしないけど、それでも。


 私は、いないほうが、よかったんだよ。



「マリー?」

 ラナさんの声が聞こえる。

 優しくされることに慣れていないから、結局距離を掴めないままだったけど、綺麗な服を着せてくれて、お化粧をしてくれて。もしお姉さんがいたらこういう感じなのかなって、少し思っていたんだ。

 その人を守れるなら、こんな死に様も悪くない。

 不幸の象徴だった私が、誰かを守って死ねるなんて、誰が想像するだろう?

「しねえええええええぇぇぇぇ!」

 汚らしい叫びも、今の私には哀れにしか聞こえない。この人も『災厄の乙女』に踊らされた可哀想な人なんだと思っているから。

 レギオン、と小さく呟いた。

「…………」

 溢れる想いを伝えるだけの言葉を知らない私は、それ以上は何も言えなかった。

「いやああああああぁぁぁぁぁぁ!」

 張り裂けそうなラナさんの悲鳴が耳を貫いた。

 悲しむことはないのに、と冷静な自分が心の片隅で思う。こうなる運命だったんだって、私は諦めがついているのに。


「マリーツィア!」


 不意に、慣れた低い声が私の意識を引き戻した。

 閉じていた瞳を開けると、剣を握りしめたレギオンの姿があった。

「レギ、オン」

 覚悟は決めていたはずなのに、急に泣きだしたくなった。レギオンの姿に心の底からほっとして、諦めたはずの未来に手を伸ばしたくなる。

「邪魔するなああああああああ!」

 駆けつけてきたレギオンを睨みつけながら、振り上げられた剣が振り下ろされる。それが不思議なくらいにゆっくり見えて、ああこれは無理だと頭の中で思った。

「ふざけるな!」

 鋭いレギオンの声に、びくりと身体が震えた。

 瞬く間にレギオンは私と通り魔の男へと詰め寄り、立ちすくむ私を抱き寄せた。息をする間もなく力強いレギオンの剣筋が男の剣をはじく。

 キィン、と少し耳障りな音が響いて、力なく男の剣が地に落ちた。

 しっかりとしたレギオンの腕が私を引き寄せたまま、彼の握る剣は男の喉元に突きつけられる。

「そんな奴がいるからいけないだから俺は不幸なんだどうして俺だけがこんな目にあわなくちゃいけない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない悪いのはさいやくのおとめだ」

 もう正常な意識なんてないのかもしれない。男はぼそぼそと呟いて、見開いた目で私を睨み続ける。目の下には隈ができていて、虚ろなその目に背筋がぞっと凍りついた。

「災厄の乙女なんていない」

 厳しいレギオンの声が男を一喝する。

 切っ先が浅く、男の喉を切り裂いた。つぅ、と赤い血が流れる。こんなに狂った人間も、流れる血は赤いんだ。

「あんたはただ、災厄の乙女という幻想に狂わされただけだ」

 その声は、憐れみを含んでいた。たぶんレギオン本人も、『災厄の乙女』と呼ばれるものに踊らされ、人生を狂わされた人だからだろう。

「あ、は、はははははははははははははははははは」

 男は狂った笑みを浮かべたままその場に膝をついた。レギオンは剣を突き付けたまま、眉間に皺を寄せてその男を見ていた。


 ――騒ぎを聞きつけた騎士団が駆けつけてくるまで、それほど時間はかからなかった。

 男は騎士団に連行されたが、たぶんまともな受け答えは出来ないだろう。

「マリー!」

 ラナさんが泣きながら私に駆け寄り、そして強く抱きしめてくる。

「あんたって子は! なんて無茶をするの! 死ぬところだったのよ?」

 耳元で聞こえる声は真剣そのもので、私を包み込んでくるぬくもりは偽りじゃなくて、これでもかというくらいにぎゅっと私を抱きしめる。

「……ごめんなさい」

 たぶんこう言うのが正解なんだろうと、私は小さく呟く。

 どうしてこんなに心配してくれるんだろうという気持ちも少なからずあって、戸惑うことしかできない。

「もういいわよ! 無事で良かった……!」

 泣き声混じりにラナさんはそう言う。

 離してくれそうもないラナさんに困惑しつつ、レギオンを見ると目が合った。

 ただ静かに私を見下ろしてくるレギオンは、何も言わない。紫色の瞳が、今は何故か少し怖いと思った。どうしてだろう。

「マリーツィア」

 低い声が、いつものように私の名前を呼ぶ。

「……はい」

 思わず身構えながら答えると、ラナさんも雰囲気を察したのか、おずおずと私から離れる。ぬくもりが遠のいて、少し寂しい。

 俯き気味にレギオンを見上げると、彼は容赦なく私の頬を叩いた。

 乾いた音が響いて、気がついた時には私は横を向いていた。右の頬がひりひりとして、一瞬何が起きたのか分からなかった。

「――死ぬつもりだったな?」

 甘えを許さない声がなおも私を責め立てる。

 茫然としながら右の頬を抑えて、レギオンを見上げる。冷たい紫色の瞳が無感情に私を見下ろしていた。何の感情もうつさないその紫は、本物の宝石みたいに見える。

「……だって」

 そうするのが一番だと思った。

 そうすれば皆が幸せになれると思った。

 じわりと涙が滲んできて、だって、と子どものように繰り返した。いつも私を助けてくれるレギオンが、今は私を責める。

「俺は言ったよな、部屋から出るなと」

 冷たい声に、涙がぽろぽろと零れ落ちる。

 どうして? せいいっぱい考えて、これがいちばんだって思ったのに。

「おまえは俺に何も言わずに、俺に何も言わせずに、黙って死ぬつもりだったわけだ」

 だって、それは。

 何度も口を開いて説明しようと思うのに、上手く動いてくれない。ぱくぱくと空回りするだけで、声になってくれない。

「おまえにとって、俺はその程度の人間だったってことか」

 それは苦しそうで、悲しそうな声で。


 違うよ、そんなわけないよ。

 大切だよ。私なんかよりずっとずっと大切だよ。


 そう言いたいのに声は声にならない。かすれた息が喉から漏れる。

「だって!」

 言い訳のように何度も呟いた言葉がようやく張り付いていた喉から離れた。

「放っておけなかったんだもん! 私が災厄の乙女だから、そのせいで誰かが死んで、そのせいでラナさんが危ない目にあっているのに、それを無視して守られているのはなんか違うって、そう思ったんだもん! 他の誰かが傷つくなら、いっそ私が傷ついたほうがいい!」

「ふざけるな!」

 空気さえ切り裂くようなレギオンの声に、私はびくりと身体を震わせる。

「おまえなら傷ついてもいいなんて、そんなこと思うな! あんな状況見せつけられて、俺の寿命がどれだけ縮んだと思っているんだ! 誰かを守れるほどの力もないのに、一人で動こうなんて考えるな!」

 チッ、とレギオンは舌打ちすると、そのまま背を向けて行ってしまう。

「レギ、」

 その背中を追いかけようとすると、止められる。驚いて振り向くと、ラナさんがラナさんが私の腕を掴んで静かに首を横に振った。

「少し一人にしてやんなさいな。それにそのほっぺ、冷やさないと明日ひどいわよ? レギオンも少しは手加減しなさいよって、ねぇ?」

 苦笑しながらラナさんの綺麗な指が右の頬に触れる。指先が触れた瞬間にずき、と鈍く痛みを訴えてきた。その痛みでやっと、ああぶたれたんだっけと思い出す。そんな痛み気にならないくらいに、胸が苦しい。

「手当てして、それから部屋に戻りなさい。それからでも遅くないわ」

 そう言われて優しく手を引かれる。私達の後ろには何も言わずに騎士団の人が付いてきた。一応護衛なのだろう。

 すぐに館に着いて、ラナさんはそのまま部屋へと私を連れていく。マダムは私の腫れた顔を見て「やれやれ、しょうのない奴だね」と呟いた。――レギオンは先に帰ってきているらしい。



「そこに座りなさい」

 言われるままに椅子に座ると、冷やしたタオルが頬に当てられる。

「!」

 ひんやりとしていて気持ちいいけれど、少し痛い。

「これくらいは我慢しなさい。心配させた罰よ」

 ラナさんは優しくそう言いながらタオルを私に押し付ける。ばつ、と声に出さずに繰り返した。

 するとラナさんは微笑みながら「あのね」と語り始める。ぶたれた頬は熱を帯びていて、タオルの冷たさをすぐに奪っていった。

「……レギオンも、心配したのよ。ねぇ、マリー、考えてみて。今日あなたがしたことを、レギオンがしたら、あなたはどう思う?」

「どう、って」

 死ぬつもりで、何も言わずに危険な場所に飛び込む?

 もしかしたら、二度と会えないかもしれない?

 触れ合うことも、声を聞くことも、できなくなる?

 ――そこまで考えて、足元から世界が崩れるような気がした。

「……やだ」

 止まっていた涙がぽろりと落ちる。

 レギオンを失うなんて、そんなこと考えるだけでも恐ろしい。

「つまりは、そういうことよ。レギオンもあなたと同じように思ったってこと。悪いことをしたってことは分かったわね?」

 諭すようなラナさんの声に、何度も何度も頷く。

 それなら、ちゃんと謝りなさい。そう言ってレナさんは笑った。動こうとしない私の手を引いて、そして背中を押して部屋から出される。


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