第二幕


 第二幕



 相田さんと二人乗りした自転車で狭い路地を駆け抜け、寿司屋通りから雷門に至り、そのまま江戸通り沿いの路地を北上する。そしてゾンビに埋め尽くされた言問い通りに進入する一本手前の路地で左に曲がり、今度は言問い通り沿いの路地を西に向かって直進した。勿論途中途中で自転車を停め、街に異常が無いかを指差し確認する事を忘れない。やがて浅草寺病院の敷地を抜けて再び国際通り沿いの路地を駆け抜け、拠点にしているリッチモンドホテル浅草に帰着すると、本日午前のパトロールは終了だ。

「ただいま」

「お帰りなさい慧くん、相田さん。パトロール、ご苦労様」

 灼熱の戸外から空調の効いた快適なホテル内に足を踏み入れると、ロビーで待機していた塚田さんが僕と相田さんを労ってくれた。

「虎鉄と西鳥羽さんは?」

「二人は厨房で、お昼御飯の調理中。そろそろ出来上がる頃だと思うから、レストランの方に移動しましょうか」

 そう言った塚田さんが車椅子で移動し始めたので、僕と相田さんも彼女に従う。そしてレストランに足を踏み入れればオイスターソースの良い匂いが漂い、ちょうど虎鉄と西鳥羽さんが昼食をテーブルの上に並べている最中だった。

「今日の昼飯のメニューは?」

「今日は、肉野菜炒めを作ってみたよ。生の野菜が新鮮な内に、早く使い切っちゃいたいからね」

 僕の問いに答えながら、エプロン姿の虎鉄が料理の盛られた皿を運ぶ。彼にばかり料理番を任せているのは少しばかり心苦しいが、好きで厨房に立っていると言う虎鉄自身には、取り立てて不満は無いらしい。

「いただきます」

 テーブルに着いた僕達五人はそう言うと、西鳥羽さんに手伝ってもらいながら虎鉄が調理した昼食を食べ始める。オイスターソースで味付けされた中華風の肉野菜炒めは美味しくて、どうやら虎鉄の料理の腕前は、僕の母さんよりも上の様だ。そして豚肉と野菜を咀嚼しながら、僕は現在の自分達が置かれた状況に思いを巡らせる。

 ゾンビが発生して僕達が浅草の街に閉じ込められてからのこの一週間で、取り立てて現状に進展は無い。相変わらず浅草の街を囲む四つの通りは呻き声を上げながら徘徊するゾンビで埋め尽くされているし、その原因も不明のままだ。また同時に僕達だけがゾンビにならない理由も、その理由が僕達がネモムンプス・チルドレンである事と何か関係があるのかも、依然として謎に包まれている。とにかくいつかどこかから来た誰かが助けてくれる事を信じて、今は待つのみだ。

「晩御飯は、卵料理にしようと思うんだ。賞味期限が切れそうな生卵が、未だ結構残っているからね」

 食事をしながら虎鉄が発した言葉通りに、備蓄された食材がいつまで保つのかも分からない。幸いにもと言うか不思議な事に、電気ガス水道と言ったライフラインは、未だに安定して供給され続けている。そのおかげで今は未だ冷凍庫で食材を長期保存出来ているが、これが使えなくなった時が本当の修羅場だ。この一週間で街中の飲食店の食材をそれぞれの店舗の冷凍庫に運んで可能な限り長持ちさせる手筈を整えたが、その苦労も水泡に帰してしまう。

「ごちそうさま」

 そうこうしている内に、僕達は昼食を食べ終えた。そして空になった食器を鍋や釜と一緒に洗い、それらを片付け終えると、ホテルのロビーに五人全員がそれとなく集合する。特にそう定めている訳ではないが、なんとなく自然に、ここが僕達の集合場所になっていた。

「どうやらこの現象は、全世界的に発生しているみたいね」

 そう言った塚田さんが手にしているのは、彼女の私物であるタブレットPC。その液晶画面をこちらに向けながら、彼女は説明する。

「いくら調べてみても、ゾンビが発生してからのこの一週間で、世界中のどのウェブサイトも更新された形跡が無いの。やっぱり世界中の人間がゾンビになってしまったと考えるのが、妥当みたいね」

 諦観したような声でそう言うと、塚田さんは深い溜息を漏らした。そして僕達残りの四人も各自のスマートフォンを手に取り、それぞれがブックマークしているウェブサイトやSNSに何か進展が無いかを確認する。しかし僕のツイッターのタイムラインにも、この一週間で一件の呟きも更新されていなかった。

 それにしても電気ガス水道と言ったライフラインと同様に、何故かネット回線も未だに安定して繋がっているのが不思議でならない。

「あ」

 不意に、相田さんが頓狂な声を上げた。自身のスマートフォンの液晶画面を見つめたままポカンと口を開けている彼女に、僕達の視線は集中する。

「どうしたの、相田さん?」

 何事かと、僕は問うた。

「あたしのツイッターの呟きに、リプライがあった」

「誰から? 内容は?」

「知らない人。これから浅草に来るって」

「ちょっと見せて」

 僕は相田さんから彼女のスマートフォンを受け取り、その液晶画面に表示されたツイッターのタイムラインを確認する。するとどうやら相田さんはオフラインでは無口だがオンラインでは意外と饒舌らしく、この一週間で呟いているのは彼女だけだと言うのに、ゾンビ発生以降も日々の出来事を細かく呟いていた。そして今から一時間ほど前に、彼女の呟きに対して一件のリプライが返された事が確認出来る。その内容は簡潔で、「@aida_ikumi浅草だな? これからそっちに向かう」だった。

「こっちに向かうって……誰が? どこから?」

 そう呟きながら返信者のアイコンを確認すると、そこにはいかにもガラの悪そうな若い男の自撮り写真が張られており、僕はなんだか嫌な予感に襲われる。するとその予感に過たず、唐突に、国際通りの方角から耳を劈くような大音量のブレーキ音が聞こえて来た。

「何だ?」

 あまりに唐突だったので驚いた僕達はビクリと身を竦ませ、女性陣は小さな悲鳴も上げたが、すぐに我に返るとソファから腰を上げてホテルの外に飛び出す。そしてブレーキ音の聞こえた方角に眼と足を向けると、ちょうど国際通りからこちらに向かって、一台のミニバンが十人ばかりのゾンビを薙ぎ倒しながら驀進して来るところだった。

「何だ? 何だ? 何だ?」

 慌てふためく僕達の眼前で、浅草演芸ホールとドン・キホーテ浅草店の間を通過したミニバンは、車体を傾けながら尚も驀進する。そしてそのまま五叉路の角に設置された灯篭の土台に激突すると、その石造りの土台に車輪を乗り上げ、運転席側を下にして横転した。スチール製の車体が路面を擦る不快な金属音とガラスの割れる破砕音が、ビルの谷間に轟き渡る。ちょうどここは交番の真正面なのだが、当然ながら、事故を取り締まる警察官は居ない。

「一体、何がどうしたの?」

 車椅子を動かすのに手間取った塚田さんが少し遅れてホテルから出て来ると、呆然と立ち尽くす僕達に尋ねた。しかし僕達四人は、その問いに答えられない。眼前で何が起こっているのか、未だ状況が理解出来ていないのだ。

 そして僕達が立ち尽くしている間にも、ミニバンが薙ぎ倒して国際通りからここまで引き摺って来たゾンビ達は、のろのろと緩慢な動きでもって立ち上がる。するとゾンビ達は僕達や横転したミニバンには眼もくれず、相変わらずの呻き声を上げながら、再び国際通りの方角へと歩み去ってしまった。彼らの中にはミニバンに撥ねられた衝撃で腕や脚の関節がおかしな方向に曲がっていたり、中には頭が半分抉り取られて脳髄が露出している者も居たが、特に痛がっている様子も息絶える様子も無い。やはりゾンビは、生きた死体なのだろうか。

「慧くん、虎鉄くん、車の中の人を助けてあげて!」

 塚田さんに命令されて、ようやくハッと我に返った僕達は、横転したミニバンに駆け寄った。そして割れたフロントガラス越しに車内を覗き込みながら、声を掛ける。

「おい、大丈夫か?」

「……ああ、大丈夫だ。ちょっと、外に出るのに手を貸してくれ」

 ミニバンの前部座席では二人の男女が折り重なるようにして横倒しになっており、その内の運転席側に倒れている色黒でサングラスを掛けた男が返事を返した。

「照喜名、まずはお前が外に出ろ」

「あい」

 色黒の男が命令すると、折り重なる二人の内の上になっている少女が返事を返し、ミニバンから這い出ようと奮闘するが上手く行かない。

「シートベルト、シートベルトが外れてないって」

「あ、そうか」

 僕の指摘にようやくシートベルトを装着したままである事に気付いた少女は、バックルの赤いボタンを押して、彼女の身体を支えていた助手席側のシートベルトを外した。するといきなり自由になった少女の身体が車外に転がり出て、割れたガラスの破片が散乱した路面にどしんと尻餅をつく。

「大丈夫?」

 虎鉄が少女の身を案じて、手を差し出しながら声を掛けた。すると少女は彼の手を借りて立ち上がり、礼を言う。

「大丈夫大丈夫。ありがとね、サンキュ」

 そう言って微笑む少女は、虎鉄よりも頭一つ分も背が高かった。勿論虎鉄が平均的な男子高校生に比べて小柄である事も一因なのだが、それにしても少女は長身で、しかも胸やお尻の発育が良い。有り体に言ってしまえば、豊満だった。

「次は、俺の番だ。手を貸してくれ」

 そう言った運転席側の色黒の男を、今度は僕と虎鉄と豊満な少女の三人でもって、横転したミニバンの中から助け出す。

「ふう、ありがとよ」

 助け出された色黒の男はそう言って立ち上がるとサングラスを掛け直したが、彼の身長は、豊満な少女よりも更に高い。しかもその体格は引き締まっていながらも筋肉質な上に顔は強面で、いかにもガラが悪そうに見える。そして僕はこの男が、相田さんのツイッターにリプライを返した自撮りアイコンの男である事に気付いた。

「怪我は無いか?」

「ああ、大丈夫みたいだ。それと、後部座席にもう一人居る」

 心配する僕に向かってそう言った色黒の男はミニバンの後部を指差すと、履いているブーツの爪先でもってガンとその車体を蹴っ飛ばしてから、叫ぶ。

「おいデブ! 出て来い!」

 するとミニバンのハッチがガチャリと開き、中からのそのそと、一人の少年が這い出て来た。いや、それは少年と表現するには、余りにも大き過ぎる一人の男性。彼の顔立ちには未だ少年らしい幼さが残っているのだが、とにかくその身体が、やたらとでかい。二mに達しようかと言う身長もさる事ながら横方向にも恰幅が良く、要は色黒の男が言うように、薄らでかいデブだった。しかもこのデブはその体格に見合わず、めそめそと泣いている。

「おいこら! 何泣いてんだこのデブ!」

「だって、だって……」

 色黒の男に罵声を浴びせられながら頭を叩かれたデブの少年は、反論もせずに泣き続け、身体はでかいくせしてまるで意気地が無い。すると色黒の男は呆れ果てたかのように溜息を漏らしてから、横転したミニバンに眼を向けた。

「やっぱり、無免許でいきなり車高の高いミニバンを運転するのは無理があったかな?」

「だね。車体が揺れて、ガッタガタだったもんね」

 車を一台横転させておきながら、色黒の男と豊満な少女には悪びれた様子も、また反省の弁も無い。逆にデブの少年は危険運転がよほど怖かったのか、大きな身体を震わせながら、まるで赤ん坊の様にめそめそと泣き続けている。おそらくミニバンが横転した直接の原因はスピードの出し過ぎだろうが、とにかくゾンビ以外の人間に怪我人が出なかった事だけが不幸中の幸いだ。

「ちょっと皆、大丈夫?」

 先行した僕と虎鉄に少し遅れて、西鳥羽さんと相田さんと共にミニバンに駆け寄って来た塚田さんが、三人の闖入者の身を案じて声を掛けた。すると色黒の男は塚田さんを無視して、僕達の数を指差し確認する。

「一、二、三、四、五。男が二人の女が三人で、全部で五人だな。これで、ここで生き残っている人間は全員か?」

「え? ああ、そうだよ。これで全員だ」

 色黒の男の質問に、僕が答えた。すると彼は馴れ馴れしく僕の肩を抱きながら、更に尋ねる。

「それで、お前か? あのツイッターで、浅草が未だ無事だって教えてくれたのは?」

「いや、あれはあそこに居る相田さんのアカウントだ。僕じゃない」

「そうか。ありがとうよ、お嬢ちゃん。おかげで助かったよ」

 僕が指差した相田さんに向かって手を振りながら、色黒の男が礼を言った。しかし礼を言われた相田さんは無言のまま、ムッとした表情でもって顔を強張らせる。どうやら「お嬢ちゃん」と呼ばれたのが、至極気に食わないらしい。

「それじゃあいきなりで悪いんだが、何か食わせてくれないか? この一週間まともな飯を食ってないんで、俺達三人、腹が減って死にそうなんだ」

 色黒の男は自身の腹を撫で擦りながら、空腹を訴えた。

「そう。それじゃあ、何か簡単に出来るものを用意しましょう。こちらにどうぞ」

 そう言った塚田さんに先導されて、横転したミニバンをその場に残したまま、総勢八人の大所帯になった僕達はぞろぞろとホテルに引き返す。途中一度、何かを思い出したかのように色黒の男がミニバンに戻って、その後部座席から大きなスポーツバッグを取り出していた。デブの少年は歩きながら、未だにめそめそと泣き続けている。


   ●


「まずは、俺達三人の自己紹介をさせてもらおうか。俺は、中条篤志なかじょうあつし。兵庫県から来た。それでこっちの二人が、照喜名と岡島だ」

「どうも、照喜名エリカ《てるきなえりか》です。沖縄から、修学旅行で東京に来ました。趣味はダイビングとショッピングです。よろしくね」

岡島浩平おかじまこうへい……です……」

 僕達が拠点にしている、リッチモンドホテル浅草。その一階に併設されたイタリアンレストランに足を踏み入れた三人の闖入者は、テーブル席にどっかと腰を下ろすと、簡単な自己紹介を終えた。中条と名乗った色黒の男はやけに横柄な態度で、照喜名と名乗った豊満な少女は何が楽しいのか、ニコニコと楽しそうに微笑んでいる。そして岡島と名乗ったデブの少年はようやく泣き止んだが、口数は少なく、なんだかビクビクと怯えていて落ち着きが無い。

「僕は、吉島慧。こっちが、塚田さんと西鳥羽さんと相田さん。それと今、厨房で調理中なのが、柴虎鉄」

 僕達五人の紹介を簡単に終えた僕は、三人に尋ねる。

「それでキミ達は、どこから来たの?」

「靖国神社からだ。お前達も同じだろうが、今から一週間前に、急に神社の境内に居た人間が全員バタバタと倒れちまってな。……ああ、俺はその時、修学旅行で観光中だったんだ。で、そのバタバタと倒れた人間が立ち上がったと思ったら、今度は神社の周りをうろつきだして、近付いたら襲い掛かって来やがる。それで仕方無く、ずっと神社の中に篭城していたんだ」

「なるほど」

 中条の返答に、僕は得心した。どうやらゾンビは靖国神社の周囲でも発生し、浅草寺と同様に、何故か神社の境内には侵入出来ないらしい。

「あたしも、修学旅行で友達と一緒に皇居を見学していたら、周りの人達が急に倒れ始めちゃってさ。それでその人達が起き上がったと思ったら突然襲い掛かって来るもんだから、必死で逃げて、皇居の隣の靖国神社に辿り着いたんだ。その後は、篤志と一緒に今まで篭城してたって訳よ」

 照喜名さんが、やはりニコニコと笑いながら自身の事情を説明した。

「それじゃあ、岡島くんも修学旅行で靖国神社に?」

 僕が問うと、オドオドと挙動不審な岡島くんに代わって、中条が説明する。

「いや、このデブは修学旅行じゃない。と言うか、こいつは学生じゃない。高校を中退して、今は無職で引き篭もりのニートの身だ。それでカウンセリングの一環として親と一緒にはとバスツアーに参加して、靖国神社を訪れていたんだってよ。……まったく、このデブは全然喋らねえもんだから、こんな簡単な身の上話を聞き出すのに三日もかかっちまったんだ。お前が一から聞いてたら、また三日かかっちまうよ」

 僕を指差しながらそう言って、中条は笑った。あまり面白い話だとも思えなかったので、僕は笑わない。

「それで相田さんのツイッターの呟きを読んで、この浅草まで来た、と」

「そう言う事」

 僕の疑問を中条が肯定し、その詳細を説明する。

「全然タイムラインは更新されないんだが、それでも一応、自分のツイッターのアカウントは確認していたんだ。そうしたらトレンド欄に、「#浅草」って見慣れないハッシュタグが並んだもんだからさ。それでそのハッシュタグで書き込んでいるアカウントを確認したら、どうやら浅草に、未だ生き残っている人間が居るみたいじゃねえか。それにどうやら、靖国と違って浅草は食料も豊富らしい。だからミニバンをかっ飛ばして、ここまで来たって訳よ」

「なるほどね」

 彼ら三人が靖国神社からこの浅草へと避難して来た経緯がはっきりした事で、再び僕は得心した。

「それで、やっぱりキミ達も?」

 そう言いながら、僕は両手を鳥の翼の形にしてパタパタと羽ばたかせる。

「ああ、俺達三人も、ネモムンプス・チルドレンだ。お前達もそうだろう?」

 着ていたシャツを捲り上げて背中の翼を示して見せる中条に、僕はコクリと頷いた。やはりゾンビにならないのはネモムンプス・チルドレンだけと言う仮説がこれでより確証に近付いたが、その理由は依然としてさっぱり分からない。そして中条が僕と同じ十八歳だと言う事実に、少しだけ驚く。

「お待たせ。炊いてあったご飯と肉野菜炒めはお昼に全部食べちゃったから、取り急ぎ、スパゲッティを茹でたよ。レトルトのパスタソースだからそれほど美味しくないかもしれないけれど、我慢してね」

 僕が悩んでいると、虎鉄がそう言いながら、鍋と皿の乗ったワゴンを押してレストランの厨房から出て来た。それと同時に、腹を空かせていた三人の瞳がにわかに輝き出す。

「待ってました!」

「早く! 早く!」

 虎鉄が皿にスパゲッティを盛っている間も、中条と照喜名さんは待ちきれないのか催促の声を漏らすが、岡島くんは無言で鍋を見つめたままだ。そしてレトルトのミートソースがかけられたスパゲッティが完成すると、皿が並べられたそばから、三人は先を争うようにして貪り食い始める。この一週間まともな食事を摂っていないと言うのも、あながち誇張ではないらしい。

「ほらほら、そんなに急がないで。お代わりもあるから、ゆっくり食べてよ」

 そう言って、三人の分のグラスに麦茶を注いであげる虎鉄。そんな彼に中条と照喜名さんは礼を言うが、岡島くんだけは相変わらず無言のままで、むしろ話しかけて来る虎鉄を疎ましく思っている節すらある。しかも皿に直接口をつけてスパゲッティをズルズルと啜り、口の周りを汚しながらクチャクチャと音を立てて咀嚼する彼は、こう言っては何だがやけに食べ方が汚い。些細な事なのかもしれないが、僕はそんな岡島くんの所作が少し気に障る。

「あ、そうそう。そのバッグの中身、俺達からのお土産だ。機会があれば、使ってくれ」

「バッグ? お土産? 中身を見てもいいのかい?」

 スパゲッティを食べながらスポーツバッグを指差す中条に尋ねると、彼は首肯したので、僕は横転したミニバンから回収されたその黒い大きなスポーツバッグを手に取った。それはズシリと重く、何か硬くて長い物が入っている。そこでテーブルの上にバッグを置いてファスナーを開けると、中には数挺の散弾銃ショットガン小銃ライフル、それに大量の銃弾が詰め込まれていた。

「これは……」

「凄えだろ? 全部実銃と実弾だ」

 絶句する僕を見て嬉しそうにほくそ笑みながら、中条が説明する。

「ここまで来る途中で一回、秋葉原で道を間違えちまったんだが、そこで偶然銃砲店を発見してな。運良くミニバンにバールが積んであったもんだから、店内のショーケースをこじ開けて、銃と弾丸を拝借して来たんだ。こんな緊急事態なんだから、ちょっとくらいの盗みは問題無いだろう?」

「安全圏の外でそんな事をして、よくゾンビに襲われなかったな?」

「ゾンビ?」

「ああ、僕達はおかしくなった街の人達を、そう呼んでいるんだ」

「ふうん、ゾンビねえ……。他に適当な呼び方も無えから、俺もそう呼ばせてもらうか」

 僕達が使っているゾンビと言う呼称を、中条も承諾した。

「で、何だっけ? ああ、そうそう。銃砲店から銃を拝借する時に、よくゾンビに襲われなかったなって話だったな。いや、結構ヤバかったんだが、最初にミニバンで周囲のゾンビどもを蹴散らしておいてから、急いで銃と弾丸を拝借したんだ。それで、店からミニバンまでの帰りは襲って来るゾンビどもをバールでぶん殴って撃退して、なんとかギリギリで間に合ったって訳よ。だから銃も弾丸も、一々吟味している暇は無かった。適当に手近に有った物をバッグに詰め込んだから、全部が全部使い物になるかは俺にも分からん。俺はあんまり銃には詳しくないんだが、銃によって、使える弾丸が違うんだろう?」

「ああ。多分半分くらいの弾丸はここに有る銃とは口径が合っていないから、使えないと思うよ」

 中条の問いに、僕は銃と弾丸の種類を確認しながら答えた。すると彼は、残念そうに肩を竦める。

「そうか。そりゃ残念。お前、ガンマニアか?」

「マニアってほどじゃないけれど、趣味でエアガンやモデルガンを集めていたからね。少しは詳しいよ」

「そいつは助かる。後で、俺にもその銃の使い方を教えてくれ」

 僕の返答に対してそう言うと、中条はスパゲッティを食べながら笑った。そしてついでとばかりに、隣に座る岡島くんの頭を叩きながら愚痴を漏らす。

「しっかし銃砲店では、このデブが何の役にも立たなくってよ。一緒にミニバンの外に出て手伝えって言ったのに、俺の言葉を無視して、ずっと後部座席でガタガタ震えてやがった。仕方が無く照喜名が手伝ってくれたんだが、自分は隠れて女を危険に晒す男って、どうよ? 信じられなくね?」

 そう言って侮蔑された岡島くんは俯いたまま、周囲には聞こえないくらいの小声で何かをブツブツと呟いていたので、僕は背筋にゾッと悪寒を走らせた。何と言うか、本能的な恐怖や嫌悪感と言った負の情念が、この肥満体の少年からは滲み出ているように思えて仕方が無い。

「ふう、ごっそさん」

「ごちそうさま」

 やがてスパゲッティを食べ終えた三人は、フォークを置いた。三人で合計十人前も食べたろうから、充分に腹は満たされただろう。そしてグラス一杯の麦茶を一気に飲み干し、額の汗を拭った彼らは、ようやく人心地ついたようだ。

「さて、それじゃあ教えてくれ」

 中条が僕を見据えながら、おもむろに問う。

「お前達の中で、リーダーは誰だ? お前か?」

 そう問いかける彼に指差された僕は、首を横に振って否定した。

「リーダーか……」

 中条に問われるまで誰がリーダーかなんて気に留めた事も無かったが、言われてみれば確かに、共同生活を営む上ではリーダーを定めておいた方が良いのかもしれない。そして僕は自然と、背後の車椅子に腰を下ろす塚田さんに眼を向けた。また気付けば、虎鉄も西鳥羽さんも相田さんも、揃って塚田さんを見つめている。

「そうか、あんたがリーダーか」

 塚田さんに向かって、そう言った中条。彼の座るテーブル席に、塚田さんが車椅子で歩み寄る。

「別にリーダーを気取るつもりは更々無いんだけれど、どうやらあたしがリーダーだと、皆が認めてくれているみたいね。だったらその責務を全うするのも、あたしに課せられた使命だと思う事にしようかしら。それで中条くん、あたしに何か用?」

「単刀直入に言おう。俺に、リーダーの座を譲れ」

 車椅子の塚田さんに、中条がほくそ笑みながら言い放った。しかし塚田さんは落ち着いた物腰を崩す事無く、ゆっくりとした口調でもって、諭すように言う。

「それは、出来ない相談ね。いえ、勿論あたしは、リーダーの座に固執するつもりは微塵も無いの。でもね、仮にもこんな極限状態で皆を導いて行く使命を帯びた人間なら、その地位を自らの行動で勝ち取るべきじゃないかしら? だから今ここでリーダーの地位を譲れなどと言っている暇があったら、その地位に相応しい人間になるべく、相応の努力をしなさい。真のリーダーとは、そうして自然発生的に生まれるものじゃなくて? そして仮にあなたがあたしよりもリーダーに相応しいと皆が認めたのならば、その時は喜んで、あたしもあなたにリーダーの座を譲りましょう。それまでは、そんな横柄で不躾な態度は慎みなさい」

 一瞬、塚田さんと中条の間に緊張が走った。

「……ちっ」

 その口調こそ柔らかいが、毅然とした態度でもって理路整然と要求を突き返す塚田さんに、中条は何も言い返せない。そしてよく見れば、舌打ちをした彼のギュッと固く握り締められた拳が、怒りと屈辱でもってわなわなと震えている。仮に塚田さんが車椅子に乗ったか弱い女性でなければ、中条はテーブルを踏み越えて、彼女に殴り掛かっていた事だろう。

「……分かった。今日のところは、これで引き下がっておいてやる。それで、食事をご馳走になったついでに、風呂とベッドも用意してもらえるかな? 靖国神社では、満足に布団で寝る事も出来なかったんでね」

「ええ、喜んで。このホテルの二階の客室を男子が、三階の客室を女子が使っているの。あなた達もこの浅草の街に来たからにはあたし達の仲間なんだから、空いている客室を、好きに使ってちょうだい。……西鳥羽さん、悪いけれど、彼らを案内してあげてくれないかしら?」

 柔らかな口調と物腰を一切崩す事無く、塚田さんがエレベーターの方角を指し示しながら言った。彼女に指名された西鳥羽さんが、少し焦りながら立ち上がる。

「あ、はい。えっと、こちらにどうぞ」

 西鳥羽さんに先導されて、中条、照喜名さん、岡島くんの三人はエレベーターの中に消えた。ホテルに併設されたイタリアンレストランに、塚田さんと僕、それに虎鉄と相田さんの四人だけが残される。

「何なんだ、あの中条とか言う奴の口ぶりは。塚田さん、あんな奴を仲間にしてしまって、本当にいいの?」

「そうね。価値観の相違に一抹の不安は残るけれど、まあ、取り急ぎ問題は無いでしょう。リーダーの座を譲れと言ったのも、きっと彼自身がリーダーになって、みんなの役に立ちたいんでしょうからね。それに靖国神社からここまで避難して来た彼の行動力と積極性は、むしろ評価してあげるべきじゃないかしら? だから今は、新しい仲間が増えた事を、素直に喜びましょう」

 中条達の参入を疑問視する僕を、塚田さんは説き伏せた。彼女が承諾するのであれば、僕はこれ以上、今回の一件に関して是非を問うつもりはない。塚田さんの言う通り、新しい仲間が増えた事を素直に喜ぼう。しかし中条もさる事ながら、あの岡島と言うデブの少年の態度や所作が、僕は気掛かりで仕方が無かった。上手く説明は出来ないが何か悪い予感がするし、こう言う時の僕の予感は、得てして当たり易い。

 とにかくこうして、浅草の街での僕達の不思議な共同生活は新たな局面を迎えた。

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