11月12日 午後

 何事もなく授業を終え、部室へと向かった。僕の教室は、部室とは真反対の場所にあり、同じキャンパスでも歩いて15分ほどかかってしまう。いつも、自転車があればいいのにと思うが、構内乗り入れは禁止されているので仕方がない。夕方になり、また格段に気温が下がったせいで、この移動もかなりの苦痛になる。吐息も白くなっている。周りの学生もこの時間になると、家路を急ぐひと、部活動に精を出すひとなど様々で、朝と比べて人通りは多い。僕は、目的を持って進む人たちを横目に見ながら、自分の日常を全うしようとしていた。サークルと言っても、僕たちが目的を持って集まる事はまれである。基本的には自由参加であり、集まったとしても、いくらかの調査報告や相談事を終えると、すぐに雑談するだけの場になってしまう。毎回の参加人数は多くて5人程度、少ないときは2人以下になるなど、部員たちのやる気もその程度ものだというのが知れる。もっとも、こういう緩やかな規則や雰囲気が好きで入ってきた人たちが大多数なのだからそれは当然のことで、誰かが責めたりすることは決してない。

 そういえば、今日はさきは来るだろうか、と、ふと思った。会ったら何と言えばいいのかと少し悩んだが、あまり深く考え込まない事にした。前からそんなに親しい仲でもなかったので、意識するだけこっちが損をする気がしたのだ。そうして、扉の前に着くと中から話声が聞こえてきた。察するに今日は集まりがいい日なのだろう。僕は扉を開けた。

 中に入ると、しゅうと同じく三年生のあかねが手前の机に向かいあって座りながら何やら口論をしていているのが見えた。その奥では一年生のみのりと、二年生のてるが、我関せずと黙って本を読んでいる。どうやら咲はいないようだ、と、少し安心してしまったいる自分がいた。

僕が入ってきた事に気が付いた茜がこっちを見て言った。

「あ、ひかる!ねえ、ちょっと聞いてよ!周の今度の発表、またについてやるらしいのよ!どう思う?」

「何をやろうが人の勝手だろう!前回はちょっとリサーチが足りなかっただけだ。今回はちゃんと入念に調査しているから全く問題ない!そうだろ、陽!」

 正直巻き込まれたくはなかったが、無視するわけにもいかないので適当に答えることにした。

「まあ、別に本人がやりたい事をやらしたらいいんじゃないか?」

「それは甘い!一応私たちがこの部の今の最高学年何だから、先輩がちゃんと発表しないと後輩に示しが付かないでしょ!こいつのせいで何人の部員が愛想尽かして辞めてしまったと思うの!」

「それは俺とは関係ねえ!」

 僕たちが最高学年と言うのは、昔からの決まりで四年生になると一応、部を引退するという形を取らなければならない。しかし、活動はかなり自主的なものであるから、引退する必要があるかと言われれば謎ではある。それでも、一応決まりなので仕方がない。前は四年になっても顔を出していた先輩もいたのだが、今年はイベントを除いて誰も今まで誰も顔を出していない。

「関係なくはないわよ!あんたが三年になってから部員の数がめっきり減ってしまったじゃない!あれだけいた人数が今や7人よ!7人!」

 と、茜が大声を張り上げた。

 今はもうそれだけしかいないのか…?あまり意識した事はなかったが、改めて言われると悲しくなる。でも、少し引っかかるものがあった。今いる人数が5人だから、来てないのは2人だけ?それは少なすぎやしないか?

「茜、後輩もいるんだから、あんまり言ってやるな。続きは発表の後に取っとけって」

「陽は甘い!この元々やる気の無かった部が、今やそのせいで存続の危機まで来てるのよ!」

 茜の勢いは止まらない。この部にあって、茜だけはなぜか妙なやる気に満ちてる。

「それは大げさだよ」

 と、周がふてくされて言った。あれだけ言われたので、少し傷ついているのだろう。意外と繊細な男なのである。

「大げさじゃないわよ!今年の初めのころ何人か新入生が見に来てくれてたでしょ、でも日を追うごとに皆来なくなっちゃって、今残ってるの、実ちゃんと、けんくんだけでしょ!二年生も照君とみさきちゃんしかいないし、次の代でほんとに新入部員来てくれるかしら…」

そこでようやく僕はさっきの違和感の正体に気が付いた。

「何言ってんだよ、茜。二年生にはさきがいるだろ?」

すると茜は不思議そうな顔をしながら、

「だからって言ったでしょ!照君と岬ちゃん」

 何か話がかみ合っていない。

「岬ちゃんは知ってるよもちろん。でももう一人女の子がいるだろ、咲って名前の」

 すると、茜はさっきまでの勢いがそがれて、何か不思議そうな顔をして言った。

「ええ、そんな子いたっけ?周は覚えてる?」

「いや、辞めた奴の中にもそんな名前の子はいなかったと思うけどな」

 全く理解ができない。辞めるも何も、咲は先週までサークルに参加していたじゃないか。彼女たちが何か悪い冗談を言ってるのかとも思ったが、顔は真剣そのもの。僕の認識がずれているのか。いや、そんなはずはない。確かに、ここにいたはずだ。そう思い、同じ学年の照に確認してみる。

「なあ照、二年生に咲って子がいるよな?」

 すると、急に話しかけられたせいか少し驚いていたが、それでも平然と、

「いや、すみません、僕はちょっと覚えてないです」

 と答えた。

「おい!覚えているも何も、先週ここに来てたじゃん、皆何を言ってるんだよ!」

 僕は完全に取り乱していた。そのせいか声が少し大きくなってしまったのだろう、皆が少し引いているのが分かった。一瞬の静寂ののち、茜が声を出した。

「陽…どうしたのよ…らしくないわ。冗談にしてもつまらないし。何か勘違いしてない?」

 勘違い。これは勘違いなのか?それだけで済まされるようなことなのか?確かに僕は覚えている。先週彼女に車に乗せてと頼まれ、そのまま土曜日に学校で待ち合わせ、山の方に向かって…


 あれ、山へ行って何したんだっけ?


 そもそも何で山なんかに?


 そもそも、この近辺に山なんかあったか?


様々な思いが頭の中で渦を巻き、混沌とした闇におちいった気分だった。この闇から抜ける方法はまだない。思考すればするほど、その力は大きな渦に流され、闇にのまれ、鈍く音を立てて崩れ去る。すべてが霧がかったように曖昧だ。もうこれ以上の思考は許されない。

「大丈夫?」

 気が付くと、茜が心配そうに僕を見つめていた。茜だけではない、この場の全員が僕の方を見ていた。

「いや、すまない、変なこと言って」

 そう言ってとりあえず、皆に話を合わせることにした。それがこの場の唯一の解決策だと気が付いたからだ。

「変なこと言いだすのは周だけにしてよね、ほんとに」

「俺はいつもまともだ」

 そして、いつものように時間が流れ始めた。いつもの場所、時間だけれども、僕はやはり咲という女性の事はしっかり覚えている。このずれの正体は何なのか。不安と焦りが僕を包み込み、心の奥底の痛みをえぐる。それはもう恐怖であった。耐えがたい恐怖に足を取られ、僕はもう一歩も動けなくなっていた。夜8時を過ぎたあたりで、部室に残っているのは僕と周の二人だけだった。

「俺はもう帰るけど、お前はどうする?」

「俺はもうちょっとだけ残るよ」

「そうか、お前今日なんか変だぞ。昼間会った時はそうでもなかったのに。何か非科学的なことに出くわしたのか?」

 また、こいつは鋭い奴である。

「そんなことないよ」

「まあ冗談だって、暗い顔するなよ。俺は本当に帰るから、戸締りよろしくな」

「ああ」

と言って、周は帰ってしまった。彼なりに気を使ったのだろう。意外に繊細な奴だからな。

 そして僕はひとりになった部室を見回した。遠くからは吹奏楽部が練習するクラリネットの音が聞こえてくる。決して静かだとは言えないが、一人になったことで心は落ち着いていた。この部室には資料と称して数多くの小説、漫画、雑誌が置いてある。すべては過去の部員が置いて行ったものだ。一応非科学研と言うだけあって、SFの部類の本は数多く存在する。もちろん、それ目当ての部員も多い。今日来ていた実も熱心なSF愛好家で、それ系の本を今日もずっと読んでいた。僕はどちらかと言うと、そういう話には疎い方なので、あまり手に取る事もなかったが今日はたまたま手にとってみることにした。何かのヒントがあるかもしれない、とは別に思わなかったが、気休めにくらいにはなるだろうと思った。自分の席から一番近い本棚から一冊を抜き取る。タイトルも読まず、パラパラとめくってみた。イラスト付きで分かりやすく書かれてり、内容は未来の地球でロボットと人類が戦う話らしい。しばらく眺めていたが、ロボットが音楽のために戦うんだ!と言いだしたあたりで急にあほらしくなって読むのをやめた。AIも大変である。そんなことより、僕がここに残ったのは、ある目的のためだ。資料棚を調べると、お目当てのモノは簡単に見つかった。部員名簿だ。このサークルは大学に登録者申請を出すために毎年春に、名簿を作るのだ。見てみると、もうすでに辞めていった懐かしい名前がちらほらと目に入った。しかし、どこを見ても咲という名前は見つからなかった。名簿だけでなく、会報誌も一通り見てみたが、結局そこにも何も書かれてはいなかった。確かに言われてみれば、彼女が月一発表会で何について話していたかなど一つも覚えていない。自分が信じているものの一つが崩れた。現実が揺らいで行く。止める事の出来ない潮流に流され、自分自身すら分からなくなるような感覚。すべては夢だったのだろうか、あの日あった事もすべて。消えていくのだろうか。

 結局その日は何も見つからないまま、部室を後にした。

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非科学研究会の活動日誌 おぼんぼん @umetake

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