第12話、夕餉
撮影の段取りが、いつの間にか昔話になり、笑いが絶えない雑談となった。
小学校での話し、東京の暮らし話し、デザインの話し・・・
時間が経つのも忘れ、皆、打ち解けて冗談なども言い、和やかな雰囲気である。
やがて、日が傾く頃、坂井と添田は帰って行った。
美緒も帰ろうとしたが、キエが夕飯を振舞ってくれるとの事で、八代の勧めもあり、あの10畳間に座っている。
襖を隔てた隣の台所では、キエが夕飯の用意をしているのであろう。 まな板を叩く、包丁の小気味良い音が聞こえて来る。
天井からぶら下げてある傘付き裸電球の、旅愁を誘うかのような淡い光・・・
八代が、隣の和室にあった、丸いちゃぶ台を転がしながら運んで来た。
「 奥の客間に、もっとデカい台があっけど、部屋ン中に洗濯モンが掛かってっから・・・ コレで我慢してくれや 」
ちゃぶ台の足を起こし、苦笑いしながら、八代は言った。
美緒は、右の手をヒラヒラさせながら答えた。
「 とんでもない。 ご馳走になるんですから、お気遣いなく。 それに、ちゃぶ台だなんて・・ とても懐かしいです。 母と住んでいた時も、いつもコレでした 」
使い込まれたちゃぶ台に近寄り、手を触れながら、感慨深げな美緒。
八代が、ちゃぶ台に、鍋敷きや取り皿を用意しながら言った。
「 はたして、ご馳走かどうか・・・ ただの田舎料理だよ? 」
美緒は、笑いながら答えた。
「 今や、田舎料理は、料亭で出されているくらいですよ? 自然食ブームですし 」
「 ふ~ん、そんなモンかねえ 」
「 さぁさ、たんと食べておくれ。 なァ~んも、珍しいモンは無いがのう~ 」
キエが、ニコニコ顔で大きな土鍋を持ち、10畳間に入って来た。
味噌の香りが、美緒の鼻をくすぐる。 鍋の中身は、どうやら味噌煮のようだ。
「 いい匂い。 美味しそうですね! 」
「 ニワトリと野菜の、味噌煮込みじゃ。 ちょっと、ネギが多かったかのう? なんせ畑で、ようさん採れよるでのう~ 」
分厚い土鍋のフタを取り、笑いながら言う、キエ。
ちゃぶ台の中央に置かれた鍋敷きに据えられた土鍋からは、暖かそうな湯気が立ち上った。 グツグツと音を立て、たっぷり入れられたネギが揺れている。
八代が、お櫃( おひつ:炊き上がった米を入れる、蓋つきの木製タライ )を台所から持って来た。 木製の丸いフタを取ると、ホカホカの湯気が立ち上がる。 湯気に、お櫃の木の香りが加わり、何とも美味しそうな白米の香りが、10畳間に広がった。
八代が、あぐらをかきながら、茶碗にご飯を盛り付け、言った。
「 このメシは、みっちゃんトコの米だ。 結構、ウマイぜ? 毎年、農協の品評会で、優秀賞を取ってんだ 」
湯気の立つ茶碗を、美緒の前に置く。
「 有難うございます。 何か、申し訳ないです。 仕事でお世話になるのは、私の方なのに 」
肩をすぼめ、恐縮しながら言う美緒に、八代は、笑いながら答えた。
「 何言ってんだよ。 美緒ちゃんには、いいモンを創ってもらわにゃ。 のう? オフクロ 」
ニコニコしながら、キエは言った。
「 ワシには、よう分からんが・・ 大きゅうなった美緒ちゃんに会えたのは、幸せだのう。 メシ時は、いつも良幸と2人っきりだしの。 やっぱり、メシを食う時は、大勢の方がいいわい 」
また台所へ行った八代が、今度は、瓶ビールを持って入って来た。
「 美緒ちゃん、飲めるか? 」
「 とんでもないです・・! 帰らなければならないし、今晩は遠慮しておきます 」
「 ナニ固い事、言ってんだよ。 バスだろ? 酔いが醒めるまで、休んでいけばいいじゃないか。 仕事の協力者の酒が、飲めねえってか? 」
お構い無しに、美緒にコップを持たせる八代。
「 じゃあ・・ 少しだけ 」
美緒は遠慮がちに、両手でコップを受け取った。
キエが、美緒の取り皿に、味噌煮を盛りながら尋ねる。
「 帰るって、ドコに泊まるんかね? 」
美緒は、注がれたビールのお礼に、軽く会釈をしながら答えた。
「 武儀篠です。 ここへ来る途中、観光案内所があったので、そこで宿泊を紹介してもらおうかと・・・ 」
「 そりゃ、難儀なこっちゃ。 ウチへ泊まっていけばええ 」
あっけらかんと答えたキエに、八代もまた同調し、言った。
「 そうだな! そうしろよ、美緒ちゃん。 部屋だったら、なんぼでも空いてるぞ? 」
「 と、と・・ とんでもない・・! そこまで、お世話になってしまったら・・ 」
飲みかけたビールを口先で止め、美緒は言った。
八代は、豪快にビールをイッキ飲みし、ぶはぁ~っ、と息をつきながら答える。
「 遠慮すんなって。 母屋の裏に、離れもある。 ソコなら、いいだろ? 」
「 でも・・・ 」
キエが言った。
「 なあ、美緒ちゃん。 泊まっていってくれろ。 久々の客人じゃ。 良幸の幼馴染となれば、尚の事じゃ 」
「 ・・・・・ 」
今から、葛川経由で帰る事を考えると、あり難い話である。 宿泊費も浮くし、協力者との交流も図る事も出来る。 これからの仕事を円滑に進める為にも、渡りに船、なのかもしれない。
注がれたビールの泡を見つめながら、しばらく美緒は考えた。
八代が追伸する。
「 オフクロの為にも、泊まってってくれよ・・・ こんな田舎だ。 誰も来やしない。 弟は大阪に就職、妹は奈良に嫁いで行ったきり、2人とも、年に1度くらいしか帰って来ん。 みんな都会、都会ってさぁ・・・ 」
自分で注いだビールを、再び、イッキ飲みする八代。
急速に、過疎化が進んでいる満川市。
その中で、山林が町のほとんどを占める箕尾町・・・
人の心は、癒しの風景よりも生活に便利な都会へと流れて行く・・・
・・・皆が憧れる、都会。
そこには、風情や情緒よりも刺激ある毎日が溢れ、飽食・物欲の世界がある。
単調・物静かな世界から来た者にとって、まさに都会は、別天地なのかもしれない。
価値観すら違う世界に、やがて人は染まって行き、その生活が当たり前になって行く。 そして、生まれ故郷を忘れるのだ。
生活に押し流され、当初、描いていた未来さえも見失い、雑踏の中で、ただ生きて行く・・・
勿論、そうでない者もいる事だろう。 成功を掴み、一旗挙げる者もいる。 だが、その多くは帰っては来ない。 生活の基盤自体が都会にあるからだ。
つまるところ、『 田舎にいては、何も始まらない 』。
( ホントにそうなの? )
美緒は、自分自身に問い掛けてみた。
( 八代さんは・・ お茶の栽培を、誇りに思ってされていらっしゃると思うわ。 それって、都会じゃ出来ない事よ? 街に住んでいる人だって、お茶は飲むわ。 誰かがやらなければならない、大切な事なのよ )
米や野菜、魚についても、同じ事が言えるだろう。
結局、どこに住もうが、どこで働こうが、労働の目的さえ明確であれば、都会も田舎も変わらないと言う事だ。
逆に言えば、何となく働いているのであれば、例え都会に住んでいても、そこに大した意味合いは無い。
美緒は、視線を上げると八代を見つめ、微笑んで答えた。
「 じゃあ、お世話になります・・・! 」
「 そうこなくっちゃ! さあ、飲め飲め! 」
キエも、嬉しそうである。
「 おお、白菜の浅漬けを忘れとった。 ワシが漬けたんじゃ。 箸休めに、丁度良いぞえ? 」
腰を上げ、ニコニコ顔で、台所へと取りに行く。
・・・何も、飾りの無い夕餉( ゆうげ )ではあった。
だが、美緒は久し振りに夕食を『 旨い 』と感じた。
『 美味しい 』ではなく、『 旨い 』・・・
ここでの食事には、その表現が1番に相応しい。 有名料亭では味わえない、心に染み入るような格別な味だった。
『 気持ちを込めれば、料理の味は、格段に良くなる 』
とある名料理人の言葉であるが、まさにその通りなのかもしれない。
キエの、客をもてなす心・・ それが、美緒の味覚に反応した・・・
何とも、人間味溢れる解釈である。 手料理ならではの事であろう。
酒の酔いも手伝い、美緒はその夜、久し振りにくつろいだ時間を楽しんだ。
午後8時を廻った頃であろうか、縁側の曇りガラス戸に、車のヘッドライトが映った。
軽いエンジン音・・・ 軽自動車が、庭先に入って来たようである。
「 お、来おったな 」
八代が、ビールの入ったコップを片手に、縁側をうかがいながら言った。
「 坂井だ。 夜、来るって言っていたからな 」
役場の坂井らしい。
ヘッドライトが消灯され、エンジン音が止まった。 ドアを開閉する音がし、しばらくすると玄関の引き戸が開けられ、坂井の声がした。
「 今晩は~ 」
「 おう、宴、真っ盛りだ。 上がって来いよ 」
八代が言うと、10畳間の襖を開け、坂井が入って来た。 昼間に見た服装と同じだが、ネクタイは外している。 手には、小さな紙袋。
坂井が美緒を見つけ、言った。
「 あれっ? 日高さん。 まだ、いてくれたんですね! 」
「 ご馳走になっています。 昼間は、御世話になりました 」
幾分、赤ら顔で、美緒は軽く会釈した。
「 いやぁ~、嬉しいなあ~ こんな田舎、打ち合わせが終わったら、さっさと帰られてしまうと思ってましたから 」
頭をかきながら、嬉しそうに坂井は言った。
崩していた足を戻し、美緒が答える。
「 いえいえ、そんな。 もう、すっかり御世話になっています。 ・・あ、どうぞ 」
美緒が、座っていた位置をずらし、坂井を招いた。
「 どうも、どうも 」
低姿勢で、ちゃぶ台に着く坂井。
持っていた紙袋を、八代に渡しながら言った。
「 中々、良い具合に漬かってますよ? 」
「 おう、いつも済まんな 」
早速、紙袋を開け、中身を取り出す八代。 直径20センチくらいのガラス瓶。 中身は、どうやら梅干のようだ。 ラベルが貼っていないところから推察するに、おそらく自家製なのだろう。
八代が、美緒に言った。
「 坂井ンとこの梅干は、最高だぜ? 」
フタを開け、紫蘇の葉をまさぐると、梅干を一つ取り出した。
それを口に放り込み、指先を舐める。
「 ・・おおぉ~~~・・! 塩っぺえぇ~~~・・っ! 」
「 当たり前じゃ。 梅干が甘ったるかったら、食えたモンじゃなかろうに 」
キエが呆れたように言いながら、坂井の為に、味噌煮込みを皿に盛り付ける。
美緒は、笑っていた。
坂井を加えた、夕餉のひと時・・・
薄黄色の裸電球の下。
鍋から立ち上る暖かな湯気と共に、会話は楽しげに、いつまでも途切れる事は無かった。
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