第13話、生まれたての朝にて

 昨日に続き、今日も抜けるような青空だ。 春を待つ山の木々も、登った朝日を浴び、息を吹き返したように映る。

 かなり気温は低いと思われるが、爽やかな空気に、冬の寒さはあまり感じられない。 明るい空の蒼さに清々しさが強調され、むしろ少し寒い方が、体には心地良いようだ。


( 気持ちの良い朝ね・・・! 都会では感じられない、透明な朝だわ・・・ )


 八代の家に1泊した、美緒。 朝7時半頃、自然に目が覚めた。

 母屋の一室ではなく、使っていない離れに泊まっていた為、生活音が全く聞こえず、ぐっすりと眠る事が出来たようである。

 最近、記憶に無いほどの、自然な目覚めだった。


 縁側のガラス戸を、開け放つ。


 幾分、寒さを感じる外気が、美緒の体を包み込んだ。 だが、先ほど感じた通り、寒さを覚える前に、体には、心地良さを感じる。

 茶畑の向うに続く山肌の山頂より、射し込む朝日が眩しい。

 都会では、ビルの壁や窓ガラスに反射し、滑るように見えた冬の朝の光も、ここでは大地に、木々に、家々の屋根に、沁み込んで行くようだ。

( 何だか、仕事先に滞在しているんじゃなくて・・ 休養に来たみたい・・・ )

 庭先から見える茶畑を眺めつつ、大きな伸びをする美緒。

 ふと縁側を見ると、大きな踏み石の上に、古ぼけた草履が置いてある。

 おもむろに美緒は、それを履き、庭先に降りてみた。


 手入れされた生垣越しに見える茶畑・・・

 緑の葉が、目にも眩しく映る。

 ゆっくりと廻っている霜除けの風車・・・


 庭先に、1本の柿の木があった。

 さほど大きくない、その柿の木に、ポツンと1つだけ、柿の実がぶら下がっている。

 濃いオレンジに熟れた実が、朝の青空に映え、まるで絵画のようだ。

「 ・・・・・ 」


 希望に燃える世界を、この蒼い空に例えるならば・・・

 そこに浮く熟した柿の実は、自分だろうか。

 仕事に満足し、生活に憂いを感じない世界。

 そこに、遣り甲斐がいっぱいに詰まった実・・・


 確かに美しい『 絵 』だ。

 だが、美し過ぎる。 一点の陰りも無い。


「 ・・・・・ 」

 

 この不安は、どうだ。


 まただ・・・

 いつも美しいモノを見た後に感じる、空しさ・虚空の心・・・

 なぜ、このような不安を感じるのだろう。

( 不安・・ じゃないかも。 疑問なのかもしれないわね )


 ・・・そう。 疑問かもしれない。


 いつまで、この美しい『 絵 』は保てるのだろうか。

 やがて熟れた実は、地上に落下してしまうのではないだろうか・・・?


 不安とも思える疑問。

( 他の人だって、将来に対する不安や疑問は、沢山あるはずよね・・・ あたしだけじゃないはずだわ。 でも・・ あたしは、凄く不安になる。 やれば、やるほど・・ 完璧を求めれば求めるほど、際限なく不安になり、その不安が更なる仕事を求めるのよ・・・! )


 彷徨う心が行き着く先は、終わり無き追求の日々か。


 世の中、何が起きるか、誰にも判らない。

 完璧という言葉すら、邪道なのかもしれない。

 だからこそ、更なる追求を求めるのだろうか?

( あたしには、その気持ちが強いのかな・・・ 終わりの無い努力が、空しさを覚えさせるのかしら )

 不安な気持ち・・・ 確かに、誰にでもあろう。

 だが、美緒の心に悶々と湧いて来る、焦りにも似たような心境・・・ その実態は、何なのか。

 それが見出せず、美緒は悩んでいた。


 『 いつか、実は、地に落ちる 』


 それは、避けられない未来でもある。

 努力とは、避けられない未来を、避ける為にする行為なのだろうか・・・?

 いや、それは違うだろう。

( では、予測出来る未来の不安を、最小限にする事が努力なの? )

 ある意味、正解なのかもしれない。 だが、もっと他の意味合いがあるような気がしてならないのだ。

 未来とは、美緒にとって、希望あふれるイメージである。 そんな、リアリティーを前面に押し出したような解釈では、納得がいかない。

( あたしって・・・ 意外と、妄想癖なのかな )

 小さなため息をつき、足元に視線を落とす美緒。

 生垣越しに、耕運機の軽いエンジン音が聞こえて来た。 やがて、八代の声。


「 お早う、美緒ちゃん! よく眠れたかい? 」


 弾かれたように顔を上げる、美緒。

 作業帽を被った八代の顔が、生垣越しに、美緒の目の前を移動して行く。 どうやら、耕運機に乗っているようだ。

「 あ・・ お早うございます! 草刈に出掛けられるのですか? 」

「 いや、もう終わったよ。 帰って来たトコさ 」

 ・・今は、8時少し前である。

 この時間で、もう八代は、一仕事終えて来たと言う。

( 昨晩、かなり遅くまで飲んでいたのに )

 朝が早いのは、八代にとって慣れた事であり、多少、就寝時間が遅くなっても早起きに慣れた体は、いつもの時間に、自然に目が覚めてしまうのだろう。

( 八代さん・・ )

 美緒は、八代を羨ましく思った。


 耕運機に乗ったまま、八代が庭先に入って来た。

 母屋の玄関横にある農機具小屋に、そのまま入って行く。

 エンジンを切り、耕運機を降りると、八代は言った。

「 冬の時期は、雑草の生え方も遅い。 手入れは、一時間も掛からないから助かるよ 」

 八代の吐く息が、白く立ち昇って行く。

 朝日に照らされた、八代の顔・・・ 美緒には、その微笑が、たまらなく眩しく映った。 異性だけでなく、今まで、これほど他人の表情を美しく感じた事はない。

 無精ひげが、朝日に照らされている。 セットをしない、フリーな短い髪型。 軽やかに笑う口元から、棚引き流れる白い息・・・

( 八代さん・・ 時に溶け込んでいる・・・ )

 美緒は、そう思った。

 どういう意味合いなのか、自分でも分からないが、とにかく自然体なのである。 無理なく、『 今 』と言う時に馴染んでいるのだ。 周りの情景とも、違和感はない。

( あたしが都会にいても・・・ 八代さんのように、無理なく都会の風景に溶け込めるだろうか )

 溶け込み、馴染むと言うより、周りに埋もれないようにしている感がある。 そうしていなければ、都会では生き残れない。 馴染む必要など無いのだ。 むしろ、浮き出ていなければならない。 自分に、周りの方を合わせ、変えていかなくてはならないのが『 都会流 』、と言ったところか・・・

 つまるところ、自分を中心に周りが回っていなければ、大成しないのだ。


( 何か、空しいな・・・ )


 精一杯の虚勢を張りつつも、いつも自分を主張している自分と、自然体の八代・・・

 どちらが良いのかは、分からない。

 ただ、美緒は、羨ましく思った。 創られた物的世界に生きる自分より、太古の昔からある自然を、すんなりと従わせているかのような八代の姿に・・・

 じっと八代を見つめる美緒。

 八代が言った。

「 何か、僕の顔に付いてる? 」

「 ・・え・・? あ・・ な、何でもないです・・ 」

 思わず、美緒は顔を赤らめ、八代の顔から視線を落とした。

( やだ・・ いい歳して、顔を赤くするなんて・・・! )

 なぜ恥ずかしく思うのか、美緒には分からなかった。 強いて言うなれば、紅潮する理由も分からない。 鼓動は、自分の意思とは無関係に早くなっていく。 だが、恥ずかしいと思う感覚も、何だか久し振りである。

 美緒は、赤らめた顔を八代に察知されないように、咄嗟に話を切り出した。

「 あ、あの・・ 撮影の件なんですが・・ 」

「 もう仕事の話し? ホント美緒ちゃんは、仕事が好きなんだねぇ~ 」

「 ・・・・・ 」

 屈託の無い、八代の自然な笑顔が、朝日に輝いている。

 美緒は、何も言えなくなってしまった。

 ドキドキする胸の鼓動は、八代に聞こえてしまうくらい大きい。 実際に、そんな事は無いのだろうが、今の美緒は『 もしかしたら、聞こえるかもしれない 』という感覚が、自身の常識を、有り得ない状況へと変化させていた。 そして、それが更なる高潮を促す。

 おもむろに話題を変え、美緒は、八代に尋ねた。

「 あ、あ・・ あの・・ 柿が、1個だけあるのですが・・ 何か、意味があるのですか? 」

 美緒に尋ねられ、柿の木を見上げる、八代。

 優しい視線を美緒に落としながら、八代は答えた。

「 どんな名前なのか、分かんないけど・・ よく、実を食べに来る野鳥がいるんだ 」

「 ・・野鳥・・? 」

「 ああ。 全部、採ってしまったら、そいつが食う実が無くなるだろう? だから、残してあるのさ 」


 ・・何とも、優しい行動である。


 『 子供っぽい 』と評価してしまっては、それまでであるが、美緒は、そうは思わなかった。

( 優しい人なんだ・・・ )

 純粋なのだろう。

 心温まる優しさよりも、もっと大きな意味での清純さ・・・ 多少、突飛なところが、逆に、心をホッと和ませる。

 おそらく、都会では必要の無い考え方であり、行動であろう。

 野鳥を、寄り付かせない考え・・・

 美緒を含む、都会人全般の基本的考えは、概ね、そちらに順じている。 実際、フン害などもあるのだ。 野鳥を愛おしまない人の全てが、冷たい心の持ち主とは言い切れないが、野鳥の食い扶持の心配まで配慮されているのは、八代の純粋な性格ならでは、の事なのだろう。


 しばらく、2人の間に不思議な静寂が流れた。

 言葉は無くとも、満ち足りた時間・・・

 お互いに顔を見つめつつも、互いに、その心を見つめている。

 その瞳を・・ 瞳の奥を・・・


「 そんなトコで、立ち話かい? 」


 優しい沈黙を解き放つかのように、母屋の縁側のガラス戸を開けながら、キエが声を掛けた。

「 寒いだろうに、中へ入りな。 朝餉( あさげ )の用意が出来たぞえ? 」

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