第10話、故郷にて
薄暗く、やや高い板張りの天井。 カサ付きの裸電球に混じり、蛍光灯が吊り下げられている。
剥き出しの配線、白い陶器製の絶縁器具。
歩くと軋む板敷きの床に、白い塗料がハゲかけた漆喰の壁。 防虫剤の匂い・・・
役場の中は、昭和初期にタイムスリップしたかのようだ。
美緒は以前、イベントの仕事で大正時代に建てられた建築物を取材した事があるが、ここはまさに、そんな雰囲気があった。
年季の入った木製のカウンターがあり、そこが受け付けのようである。
その向うには、事務机を並べた『 島 』が3つ。 書類を入れた本棚や、ブックエンドに挟まれたファイルなどが机上にあり、数人の職員が仕事をしていた。
奥に見えるカーテンで仕切られた所は、給湯室なのだろう。 所々に、コピー機やパソコンがあり、かろうじて文明の利器を確認出来る。
( 少しだけある近代機器を取り除けば、ココ・・ そのまま、昭和初期が時代設定の、映画のオープンセットに使えそうね )
美緒は、そう思った。 だが、嫌な気はしない。 むしろ逆に、妙に心が落ち着く・・・
古い病院の待合室にあるような、白い布が掛けられた脚付きの大きな長ソファーに案内された美緒。
見事な、猫足の木製テーブルがあり、そのテーブルに資料を置く坂井。 美緒を案内した長ソファーと対の、1人掛けソファーに座りながら、坂井は言った。
「 ま、掛けて下さい。 良幸さんもどうぞ、どうぞ 」
先程、玄関に迎えに出て来てくれた女性が、お茶を持って来てくれた。
坂井が紹介する。
「 あ、彼女、住民課の添田さんです。 この分舎は、産業振興課の他に、住民課も一部が入ってましてね。 ま、高桑役場も職員数が少ないし、仕事は手分けしてやっています。 全員が総務だったり、住民課だったり・・・ ざっくばらんですわ、はっはっは! 」
のんびりした所だ。
どうやらこの建物は、産業振興課専用らしい。 公民館的使用度もあるようだが、過疎の町なので、本舎まで足を運ぶのが不便な高齢者の為に、一部、住民課もあるのだろう。
「 添田と申します。 この度は遠い所、わざわざ有難うございます 」
もう1つ空いていたソファーに座り、持っていた盆を膝に置いて、深々とお辞儀をする添田。
坂井が追伸した。
「 三津子って言うんで、通称、みっちゃんで通ってます 」
20代前半くらいだろうか。 背中辺りまでありそうな髪をヘアーバンドで束ねており、色白で、古風な感じがする。 地元の学校を卒業し、そのまま役所に就職した、と言う感じの女性だ。和服を着たら似合いそうである。
「 日高です。 こちらこそ宜しくです 」
座ったまま挨拶をする、美緒。
「 あんまり田舎なんで、びっくりしませんでした? 」
添田の問いに、美緒は笑って答えた。
「 そんな事ないですよ。 静かな所でいいなぁ~、って思ってます 」
坂井が、ファイルを広げながら言った。
「 静かな所しか、取り柄がありませんからね。 ・・さて、早速ですが、お電話でお問い合わせを頂いている、撮影の日取りを決めておきましょうか? 良幸さんのご都合は? 」
湯飲みの茶を飲みながら、美緒の隣に座っていた八代が答えた。
「 ああ、茶畑の撮影か? コッチは、いつでもいいよ。 多少、雑草の手入れをしたいから、今からすぐってワケにゃ、イカンが 」
美緒は言った。
「 出来れば、快晴の日を選んで撮影したいのですが・・ 週間予報によると、ここ3~4日は良い天気のようです。 カメラマンの都合もありますので、先週のうちに勝手に、日取りの方は押さえておきました。 明日か・・ 明後日は、いかがでしょうか? 良ければ連絡して、カメラマンに、こちらへ向かわせます 」
八代が、湯飲みをテーブルに置いて答える。
「 雑草の手入れは、午前中の小1時間もあれば終わるから・・ そうだな、明日の午後からなら良いかな。 明後日は、あぜを作り直すのに機械( 小型掘削機の総称 )を入れる予定だから 」
坂井が、ファイルと手帳の予定を見比べながら言った。
「 了・・ 解・・ しました。 では、天気が良さそうな、明日にしましょうか。 午後イチ、って事で良いですか? 」
美緒は、スマートフォンを出しながら答えた。
「 かしこまりました。 今から連絡をします。 ・・あ、これは私の提案なんですが、お茶畑だけではなく、栽培している人の作業姿も入れた方が良いと思うんです。 八代さん、お願い出来ますか? 」
八代は、頭をかきながら答えた。
「 ひゃ~、カンベンしてよぉ~・・・! オレ、写真写り悪いからさぁ~! どうせなら男じゃなくて、女の人の方がいいよ 」
「 それは良いですね。 どなたか、お願い出来る人、いません? 」
電話を掛けながら尋ねる、美緒。
「 ウチのオフクロじゃ、あまりにバーサンだしなぁ・・ 他に、テキトーな女の人って言ったら・・・ 」
そう言いながら八代は、坂井の横に座っていた添田を見た。
添田は、自分を指差して言った。
「 ・・え? え、ええ~っ? あ・・ あたし、ですかぁ~? 」
坂井が、ポンと膝を叩きながら言った。
「 おおっ! 丁度、良さそうなのがいたじゃないか! みっちゃん、行け! 」
「 だっ・・ だだだ、ダメですよぉ~、あたしなんか・・!」
スマートフォンを耳に当てたまま、美緒が笑いながら言った。
「 大丈夫ですよ。 作業着姿で、小さく写るだけですから 」
八代が追伸する。
「 たった1人、ってのもヘンじゃないのか? 美緒ちゃんも入れよ 」
「 ・・・・・ 」
美緒の笑顔が、すっと真顔に戻った。
抜けるような青空。
霜が降りるのを防ぐ為に風を送っている風車が、緩やかに廻っている。
山の斜面に、茶の緑の列が何重にも植えられ、冬の青空に映えている様は、まるで絵を見ているようだ。 パレットに置かれた絵の具のように、鮮やかに、快活に・・・
茶畑に案内された美緒は、大きく伸びをしながら言った。
「 うう~ん・・! 気持ちいい・・・! 空気が違うわぁ~・・・! 呼吸する度、体が浄化されていくみたい 」
傍らにいた添田が言った。
「 景色だけ見てると綺麗だけど、実際の作業は大変なんですよ? 」
「 そうでしょうね・・・ 綺麗って事は、手入れが大変な証拠ですものね。 添田さんのお宅でも、お茶、栽培されているのですか? 」
「 ええ。 1昨年前からですけど。 工場勤めと兼業農家だった父が、工場の方を、3年前に定年したので・・・ 八代さんの勧めで、満川茶の栽培を専門に始めました。 畑の広さは狭いんですが、父は、本腰を入れてやるみたいですよ? 体は、まだまだ丈夫ですので 」
伸びを戻し、ふうっと息を出しながら、美緒は言った。
「 それは何よりですね。 健康が第1ですよ 」
自分が一番、不健康な生活をしているのかもしれない。
不規則な食生活、睡眠時間の少なさ、ストレス・・・
大地を相手にする仕事の方が、体に掛ける負担は大きいかもしれないが、健康的である事には、違いない。
添田は言った。
「 地元の高校を卒業して・・ 友達たちは皆、都会へ出て行ってしまいました。 ココにいても、農業しか就職は無いんで・・・ 」
職を求めて都会へ出たのは、美緒の家庭も同じだった。
離婚した経緯・理由は、母親から聞かされた事は無かったが、美緒の記憶の限り、母親の性格に問題は無かったと記憶している。
離婚して実家に戻った母親・・・
生活して行くには、それなりの収入が必要だ。 美緒の、これからの学費の問題もある。
母親は、高桑を出る決意をし、東京へと向かったのだ・・・
美緒は尋ねた。
「 添田さんは、ここに残る選択を取ったのね 」
小さく頷きながら、添田は答えた。
「 車の修理工をしながら、兼業で農家をやっていた父ですが・・ 田や、畑で作業をしている時の父の方が、生き生きと見えて・・・ 」
美緒の方を見やり、凛とした眼差しで添田は続けた。
「 農業は、大変な職種です。 自然相手ですからね・・ でも、人間だって自然の中で生きています。 都会にいたって、極論的に見れば、自然の中にいます。 ・・じゃ、都会に行っても同じだ、って思うようになって・・ 」
添田の言わんとしている事は、美緒には、充分に理解出来た。
都会へは行かず、高桑に残った添田。
美緒は、微笑みながら答えた。
「 素敵な・・ 最高の選択でしたね 」
微笑み返す、添田。
「 中学の時の、学年主任の先生が、役場の税務課の課長さんと知り合いで・・ その方の紹介を受けて、そのまま役場に入りました 」
『 隣の芝は、青く見える 』
自分が知らない世界や、自分の事以外の領域に関しては、良い所だけが強調して感じられるものである。 今の自分と比べ、『 無いもの 』に対しての憧れみたいなものが、想像イメージを増幅させるのだ。
どんな仕事にも、良い所・悪い所はある。 それを人生観のメリット・デメリットに分類し、冷静に、客観的に思案する事が必要だ。導かれて出た結果を材料にして、最適な判断を下すべきである。
( あたしには、まだ良く分からない・・・ 今の仕事には、確かに、遣り甲斐を感じてる。 でも、それ以上に何か・・ 何かが、あるような気がする。 それが・・ あたしの感じる『 欠けているモノ 』のヒントにつながるのかしら )
八代が、引き抜いた雑草の束を片手に、美緒の所へやって来た。
「 まあ、茶畑はこんなモンだ。 どっから撮る? 」
辺りを見渡しながら、美緒は答えた。
「 カメラマンとも相談してみてから、決めますが・・ 出来れば、送って頂いた写真のアングルが良かったので、その辺りからかな、と思っています 」
坂井が言った。
「 私が、テキトーに撮ったヤツですが・・ 確か、八代さんのご自宅が見える位置です。 ・・あの辺り、かな? 」
茶畑の、少し上辺りを指差す、坂井。
添田が、美緒の方を向いて言った。
「 あれが、八代さんのご自宅ですよ 」
茶畑の奥に、旧家の一部が見えている。
八代が言った。
「 古い家だけど、まずはどうぞ 」
踏み固められた土が白く乾き、緑の茶畑の間を縫うように小道が続いている。
ジャンバーを着込んだ坂井が、ファイルを小脇に抱え、八代の後を歩いた。 その後を、美緒が歩いている。
坂井は、美緒の方を少し振り返りながら言った。
「 ねえ、日高さん。 囲炉裏なんかをバックにパッケージの写真、撮りません? 」
美緒も、坂井の後に続きながら、答えた。
「 いいですね! いかにも、ってカンジで。 囲炉裏、あるんですか? 」
美緒の後ろを歩いていた添田が、言った。
「 勿論、ありますよ。 築、120年ですからね、八代さんのお宅。 風情、ありますよ? この辺は田舎なんで、古い民家はあちこちにあるんですけど、八代さんのお宅は茅葺のままだし、外観も、年季と風格があって、別格ですね 」
その、八代の自宅の全容が見えて来た。
綺麗に手入れがされた生垣の向うに、茅葺の家が建っている。
添田の言う通り、どっしりした風格だ。
雨風に晒され、年輪が浮き出た板壁・・・
軒に吊るされた干し柿のオレンジと大根の白が、黒茶けた板張りの壁に映えている。 自然の恵みを受けた色彩は、太陽の自然光を受け、その栄養素を、見事なまでの彩に変えているようだ。
綺麗に切り揃えられた茅の端部の造形が、妙に美しく感じる。
「 凄ぉ~い・・! 見事な茅葺の家ですね~・・・! 」
軒下から茅を見上げ、美緒は言った。
組み合わされた梁、軒下の格子、切り落とされた木材端部の造形・・・
美緒は、思わずその光景に見とれた。
「 入り口は、向こう側だよ 」
八代が、生垣の右の方を指差しながら案内した。
・・・八代と幼馴染だったと言う事は、この八代の家に、美緒は来ていたかもしれない。
だが、古い建築に見出せる日本古来の造形美に、その記憶の欠片は無い。
思い出されるのは、茜に染まる夕暮れの空に輝く、1番星・・・
( 1番星・・・? )
何気に思い起こされた、幼き日の記憶。
・・・そうだ! あの記憶は・・ この高桑での記憶だ・・・!
美緒は、歩みを止めたくなるくらいの衝撃を覚えた。
( そうよ・・・! どこか・・ どこか高台にある野原で、あたしは1番星を見ていた・・・ ここよ・・! この高桑よ・・・! )
歩みが不自然に遅くなった美緒に気付き、添田が言った。
「 疲れました? ちょっと上り坂だったから 」
「 ・・え? あ、いや・・ 何でもないです 」
再び、歩を進める美緒。
( 間違いない・・! ここよ・・・! )
突然に思い起こされた、遥か幼き頃の記憶。
それは、何の前触れも無く、まさに唐突だった。
記憶の扉が開かれたのではなく、扉そのものが2つあったような感覚である。 何気に片方の扉を開いた途端、もう1つの扉が開き、そこから飛び出して来た追憶の画像が、脳裏に映り込んで来たのだ。 全く、違和感もなく・・・
歩きながらも美緒は、呆然としていた。
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