第9話、帰郷

 食堂で、昼食を八代と共にした美緒。

 どうやら同じ新幹線に乗って来たようである。 美緒の方が、乗り換え駅で慎重に行動していた為、八代の方が1本早い列車に乗り、先に、この葛川へ着いた事が、話の中で解明された。


 ・・あと、やはり満川茶の事については、詳しい話などは、まだ聞かされていないらしい。


「 いや~、去年の秋頃かな・・? 役場から電話があってさ。 満川茶のパンフレットを作るから協力して欲しい、って言って来たんだ。 茶畑を撮影したいから宜しく、って話でさ。 その時は繁忙期でさ、稲刈りやら脱穀やらで、そんな話、ちゃんと聞いてなかったんだ。 そのうち印刷所辺りから連絡があるから、とも言っていたけど・・ まさか、美緒ちゃんの会社が請けてたとはなぁ~・・! 」

 八代は、煙草をふかしながら、嬉しそうに続けた。

「 実は俺、小学校の同窓会の幹事をやっててね。 20歳の頃に出した同窓会の近況報告に、美緒ちゃん、広告会社でアルバイトしてるって、返信くれたろ? 大学卒業後も、この会社に内定が決まってるって。 それで美緒ちゃんの会社は、随分と前から知ってたのさ 」

 なぜ、美緒の勤務する会社を八代が知っていたのかが不思議だったが、これで解決した。 多分、返信ハガキは、その頃、健在だった母親が出したのだろう。 美緒には、同窓会の案内が届いた記憶自体が無かった。

 『 山菜天ぷら定食 』を食べ終わり、箸を膳に置きながら、美緒は言った。

「 そんな以前から、気を掛けて頂いていたとは・・・ 何も知らず、ずっとご無沙汰をしておりまして、申し訳ありませんでした 」

 お辞儀をする美緒に、八代は何も答えず、笑顔で返した。

 フチの欠けた湯のみを、そっと手に持ち、美緒は尋ねた。

「 あの・・ このお茶が、満川茶ですか? 」

「 ああ、そうだよ。 ・・・どう? 正直な感想を、率直にお願いしたいんだケド・・・ 」

「 美味しいですね・・! 私、あまり、お茶は飲まないんですけど、何て言うか・・ 和みますね 」

 灰皿で煙草をもみ消しながら、照れるように言う八代。

「 美緒ちゃんに誉められると、嬉しいなぁ~・・! 」

 女将が、膳を下げに、カウンターから出て来て、美緒に言った。

「 あたしゃ、生まれてこのかた、ず~っと満川茶さね。 いい具合の渋さが、旨いんだよ 」

 女将の言う事にも、納得出来る。

 玉露だの、一番茶だの、薬草だの・・・ 余計なモノや、無駄とも言える手間を掛けず、自然の風合いがそのまま生きているような味わいが、何とも心地良い。 加えて、軽い渋み。

 あまり緑茶を飲まない美緒だからこそ、純粋な感想を持つ事が出来たのかもしれない。

 実は、それに似たような話しは、結構多い。

 有名な美味しい蕎麦屋の主人が、実は、蕎麦があまり好きでは無かったとか、喫茶店のマスターが、コーヒーが苦手だったとか・・・

( 緑茶に関して、全く興味が無かった私が、美味しいと感じたんだから、この満川茶はホンモノよ・・! )

 美緒は、販売促進のキーワードを垣間見たような感覚を覚えた。

「 良かったらこれ、持って行きな 」

 女将が、カウンターの上にあった満川茶の箱を1つ取り、美緒に渡した。

「 と、とんでもない・・! お代金、払います。 おいくらですか? 」

 慌てて財布を出す美緒。

 女将は、シワくちゃの顔に、更にシワを寄せ、笑いながら言った。

「 はっはっは! いっから、いっから。 その代わり、人目を引くような図案、考えておくれよ? 」


 駐車場の片隅に、数台の車が駐車してある。

 山間の部落から、武儀篠の町に出掛ける際、この辺りの人たちは、この駐車場に車を止め、バスに乗って行くらしい。 八代の車もあり、美緒の役場行き送迎を、八代は買って出てくれた。


「 8年前に、9年落ちで買ったポンコツだからね? 我慢してよ? 」

 キーで運転席のドアを開錠しながら、八代は言った。

 車内から助手席のドアを開錠してもらい、美緒も乗り込む。

「 とんでもない。 助かります。 お手数掛けて申し訳ありません。 お仕事、宜しかったのですか? 」

 ドアを閉め、美緒が言った。 キーを回し、エンジンをかけながら八代が答える。

「 ホントは明日、帰るつもりだったんだよ。 せっかくだから東京見物でもしようかな、と思ってさ 」

 長いスターター音の後、ようやくエンジンがかかり、ラジオが大音響で車内に響く。 八代は、慌ててボリュームのつまみを回し、音量を絞ると、言った。

「 でも、ヤメた 」

 美緒が尋ねる。

「 どうしてですか? せっかく来られたのに 」

 苦笑いを返す、八代。

 美緒は、推察をして言った。

「 ・・あまり、面白そうな所が無かったとか? 」

 八代は、ギヤをローに入れ、答える。

「 まあ、そんなところだね。 どこへ行っても、人が多くてさ・・・ 」

 車は、舗装されていない駐車場を、ガタゴトと走り出した。


 道は、幾重にも曲がりくねった細い林道である。 つづら折の急な上り坂が続き、ここをバスが上って行くのは、かなりの時間を要すると思われた。

 対向車は、ほとんど無い。 時折、農機具を荷台に積んだ軽トラックがすれ違う程度だ。

 林道に沿うように渓谷が流れている。 吹き付けコンクリートで固められた山側の斜面からは、幾重もの湧き水が筋を付けて流れ落ちていた。

( 田舎に来た、ってカンジだなぁ・・ 温泉に行く時みたい )

 窓の外の景色を眺めながら、美緒は思った。

 八代が、ハンドルを切りながら言った。

「 えらい田舎だろ? もうすぐ御坂峠だ。 そこを越えた所が高桑だよ 」


 ・・何年振りの帰郷になるのだろう。


 母親の実家は、今はもう無い。 祖父も祖母も、随分前に他界している。 一時、従兄弟が住んでいたが、美緒の母親が生きていた頃に、京都の方へ引越しており、その後に使っていた遠縁の親戚も、既に他界して久しい。

 母親自身が、亡くなる2年ほど前に、倒壊寸前の廃屋だった母屋と共に土地を売却して資産整理をしており、跡地は市が買い上げ、排水ポンプ場の施設となっているはずだ。

( 高桑には、もう住んでいた家も無いけど・・ 何だか、心が満たされていく感じ・・・ 故郷に帰るのって、こんな心境なのかな )

 俗っぽい例えかもしれないが、よく演歌などで歌われる歌詞を、頭に想い描いた美緒。


 ・・実際、そうなのかもしれない。


 『 故郷 』には、永遠に変わる事の無い、良き思い出と風景が存在するのだろう。

 誰しも、その思いに触れ、その景色を眺め、日常を忘れるのだ。


 揺れる車内で、美緒は、か細く、呟くように言った。

「 私・・・ あまり、高桑の事を覚えてないんです・・・ 」

 急坂に差し掛かり、ギヤをセカンドに入れ直して、アクセルを吹かす八代。 右に切ったハンドルを、左に戻し、つづら折りの坂を下って来る対向車をかわしながら、八代は言った。

「 小学生の頃だったからなぁ・・・ でも僕は、美緒ちゃんのコト、よく覚えているよ? 」

 チラリと美緒の方を見やる、八代。

 だが、美緒の記憶には、やはり八代は存在しない。 八代の視線が、心苦しく、申し訳無さそうに、美緒は答えた。

「 高桑に着いたら、思い出すかもしれませんね 」

 八代は、小さく笑って返した。


 峠を越えると、急に視界が開けた。

 無数に広がる段々畑。 山の斜面の、かなり上の方まで、曲がりくねったあぜ道がある。 数軒ごとに軒を寄せ合った民家が、あちこちに点在し、その間を田んぼが埋めていた。

 刈り取ったイネの穂を束ね、小屋のように積み重ねたものが農道脇に整然と、幾つも並んで立っている。 神社だろうか。 細長い白い幟を立て、木立に囲まれた社のような建物も見える。

 八代が、指を差しながら言った。

「 この峠から北の方が、箕尾町だよ。 下の方に見える、あの集落が高桑だ。 17~8年くらい前に、箕尾町に編入されてね。 村の名前が、そのまま字名になったんだ 」


 ・・・幼少の頃、美緒も住んでいたはずである。

 しかし、目に映る集落の佇まいには、どこを見ても、遥かなる記憶を思い起こさせるようなものは、何も無かった。

 ただ、何か・・ 心の端に、そっと優しく触れるような・・ 切なさを感じるような心情を、美緒は覚えた。

 それは、妙に懐かしく、心に迫るような感覚だった・・・


 美緒は、景色を指差しながら尋ねた。

「 あの山側に沿って流れている川が、満川ですか? 」

「 そうだよ。 旧 高桑村も、昭和の始め頃、満川と言う部落と合併して出来た村なんだ。 つまり、この辺りは昔、満川という地名だったんだよ 」

「 そうなんですか。 満川茶の、名の由来ですね 」

「 そう。 市役所のある辺りまで満川は流れていて、琵琶湖に注いでいるんだ。 偶然なんだけど、市役所の西にも満川と言う地名があってさ。 江戸時代には、宿場町で栄えていたらしい。 郷土史の研究家の話によれば、その時代から満川茶はあったんだってさ 」

「 へええ~、歴史があるんですね~・・! 」

「 うん。 栽培していたのは、この辺りの山の斜面だ。 一説によれば、満川をイカダで下って満川宿場まで運んでいたお茶だから、満川茶と呼ばれるようになった、とも言われてるらしいよ 」

「 ・・あ、なるほど。 それ、面白いですね ! 」

 『 高桑、右 』とペイントされた道路標識が現れた。 眼下に見える集落へと下る道がある。

 八代はウインカーを出すとハンドルを切り、下り坂へと車を走らせた。

 八代が言った。

「 オレは、そっちの説の方が正しいと思う。 イカダや川舟を係留していたらしい船着場の跡も、高桑にはあるんだ。 その後、明治の頃に道が整備されて、川より陸上に運搬手段が取って代わった・・ て訳さ 」

「 へええ・・ やっぱり、歴史があるんですね 」

 小さな十字路で一旦停止し、左右を見ながら、八代は続けた。

「 うん。 ・・だけど、時代が昭和に入った頃には、宿場町は廃れちゃっててね・・ 」

 車を発進させる。

 十字路の凸凹にタイヤが入り込み、車体が揺れる。

 八代は、田んぼに挟まれた農道を走らせながら、続けた。

「 宿場町が廃れちまったら、当然、人がいなくなる。 茶を飲むヤツも、いなくなる・・ やがて、栽培もされなくなっちまったんだ 」

「 じゃあ、一時は・・ 存在すらも忘れ去られた、幻のお茶って事なんですね・・・! 」

 八代が、美緒の方を振り返り、笑いながら言った。

「 大げさだなぁ~・・ でも、そうなるかな・・・? 復活させたのは、ウチのジイちゃんだ。 畑に残っていた茶を栽培してね。 最初は細々と、稲作のついでに、道楽でやってたんだ。 ・・ま、今でも零細企業だけどね 」

「 私が、メジャー企業にしますっ! 良いデザインをして、プロモーションも市に提案して・・・! 」

 思わず、八代を見やり、力を込めて言ってしまった美緒。

 だが、そのつもりである。 売れなくては、次の仕事にはつながらない。

 ビジネス戦略としての意味合いもあるが、美緒は、この満川茶に興味を持った。


 忘れ去られてしまっていた特産を、世に知らしめる・・・!


 何とも、痛快ではないか。

 美緒は、その一端を担ったのだ。

 売るべき商品は、既にある。 クオリティーは、美緒が『 試飲 』した通り、価値ある逸品だ。


 八代が言った。

「 頼もしいねぇ~! 宜しく頼むよ。 ・・あ、役場が見えて来たよ? 」

 2階建ての古い鉄筋構造の建物である。 規模はかなり小さく、どこかの中小企業の社屋のようだ。 すぐ裏手まで迫った山をバックに、敷地の周りは全て、田んぼと畑・・・ 少し離れた所に民家が点在しているが、行政の中心となる役場がある環境としては、甚だ寂しい感じだ。

 駐車場入り口の石柱には『 箕尾町役場 高桑分舎 』とあった。 何とも、ノスタルジックな響きである。


 アーチ形をした造形の玄関に、観音開きの木製のガラス扉がはまっており、片方の扉は、やや開いたままだ。 取っ手部分は真鍮のような金属で出来ており、メッキが全てハゲて、黄土色をしている。

 八代は、その玄関の横に車を止めた。


 エンジン音を聞きつけたのか、半開きの扉を開け、建物の中から1人の男性が出て来た。

「 やあ、良幸さん。 どうも、どうも 」

 日焼け顔をした30歳前後の男性で、髪は短め、タワシのように逆立っている。 白いカッターシャツに、エンジ色のネクタイ。 ベージュのチノパンに、ベランダ・サンダルを履いていた。

 八代が車から降りながら、彼に言った。

「 満川茶の、夢先案内人を連れて来たぞ。 東京のデザイン会社の、日高 美緒さんだ。 葛川の乗り合い所で、偶然、一緒になったんだ 」

「 あ、そうなんですか。 いやぁ~、初めまして。 産業振興課の坂井と申します。 お待ちしてました 」

 青い事務服を着た、若い女性職員も1人出て来て、坂井と共にお辞儀をする。

 美緒も車から降り、挨拶をした。

「 初めまして、日高です。 お忙しいところ、お時間を頂きます 」

「 いやぁ~、全然ヒマですから、お気遣いなく。 はっはっはっは! 」

 

 坂井は、頭に手をやり、笑って美緒を出迎えた。

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