第6話、訃報

「 杉村さんが、自殺・・・!? 」

 とある金曜の朝、出勤して来た美緒は、制作部の受付嬢、晴美からその知らせを聞いた。

「 睡眠薬で、だそうですよ・・・! 昨日の朝、起きて来ない杉村さんを不審に思って、杉村さんの部屋に見に行った奥さんが発見したそうです・・・ 」

「 ・・・・・ 」

 ショックが隠せない美緒。

 コートを着たまま、しばし呆然と立ち尽くしていた。


 売り上げ不振が続く池袋支社の営業部長に抜擢され、移動して行った杉村。

 美緒は、毎週末、各支社の掲示板に張り出される支社別の売り上げ成績表で、徐々にではあるが、杉村の手腕効果を確認していた。 慣れない環境の中、奮闘している杉村の心情を察し、同情していた矢先の事であった。


 杉村が長年在籍していた制作1課では、皆、朝から仕事が手につかない様子である。 あちこちで顔を寄せ合い、話し込んでいる。

「 遺書なんかは、無かったそうだけど・・・ 」

「 知り合いが池袋支社にいるんだけど、木曜も杉村さん、普通に仕事していたらしいわよ? 」

「 オレ、先週、営業の都会議の時に会ったけど、アッチは、早期効果主義らしくてさ・・・ じっくり派の杉村さんとしては、やり難そうだったよ? 実際、そう言ってたな 」


 売り上げ不振の支社を任された重圧。

 単身でやって来た事から由来する、極度の孤独感。

 慣れない環境・方針の相違・・・


 色んな事項が複雑に関係し、杉村を死に追いやったのだろうか。

 真相は、誰にも分からない・・・

 全ては憶測だが、仕事のプレッシャーが因果しての事であろうとの推察に、皆の話は合致していた。

 

 長年、一緒に仕事をしていた、杉村の自殺・・・

 入社以来、何かにつけて、目を掛けてもらっていた美緒のショックは大きかった。 新たに設けられた『 総合企画部 』の自室に篭り、しばらく、外線もシャットアウトしていた。


( どうして・・・ どうして、自殺なんか・・・! )


 デスクに両肘を突き、組み合わせた両手に額を当てながら、ぼんやりと机上の資料を眺めている美緒。 その視線の先は、資料の活字を見ながらも、美緒にも分からない胸中を彷徨っていた。


 不思議と、悲しくはなかった。


 元、上司とは言え、様々なプロデュースを、共にこなして来た仲の杉村・・・ 

 膨大な資料の完成を余儀なくされ、2人で徹夜して朝を迎えた事も、2度や3度ではない。

 部下のミス、自分のチェック不備でスポンサーにまで迷惑を掛けた時、先方の前で、土下座してまで詫びを入れてくれたのも、杉村であった。

 いわば『 戦友 』のような存在だった、杉村・・・ もう、この世にはいないのだ・・・


 だが、美緒の心に、悲しみの心情は湧いて来ない。

 単に、悲しいだけの心情では、表現出来ないほどのショックだったのだ。

 心が折れた・・・

 そんな表現が値に適する大きな虚脱感が、美緒の心を席巻していた。


「 ・・・・・ 」


 ふうう~~・・・ と、深いため息をついた美緒。

 おもむろに顔を上げ、右手でだるそうに髪をかき上げると、そのまま両腕に顔を埋めた。


 窓から差し込む、冬の日差し。 空調の微音が、静かに聞こえる・・・


 机上の電話機から、内線の着信を知らせるランプが付き、ブザーが鳴った。

『 受付です。 すみません、企画長。 ご来客の方が、お見えになっていらっしゃいますが・・ いかが致しましょうか 』


( ・・・来客? )


 今朝のアポは、何も無かったはずだ。

 両肘は机に突いたまま、机に突っ伏した格好で、気だるそうに右手を電話機に伸ばす美緒。 人差し指の先でボタンを押し、対応に出た。

「 アポは無かったはずよ・・・ 営業だったら、お取り引き願って 」

『 営業では無いご様子の方ですが? 』

 ・・・どういう来客なのだろうか?

 いずれにせよ、仕事に関係の無い人物の訪問だったら、今日は勘弁して欲しいところである。 とてもではないが、朗らかに対応出来る心境ではない。

 美緒は答えた。

「 クライアント関係の方ではないのね? 」

『 はい。 八代 良幸様とおっしゃる方です 』

「 やしろ・・・? 」

 以前、ふらりと来社して来た人物の名である。 制作部の受付嬢から、来社の事実を報告されただけで、美緒はまだ面会していない。

( 一体、何の用なのかしら。 それと、何者・・・? )

 気は進まないが、もしかしたら仕事関係の人間かもしれない。

( 会っておかなくちゃならないか・・・ )

 美緒はボタンを押し、答えた。

「 今から行くわ。 第1応接室に、お通しして 」

『 かしこまりました 』


「 お待たせ致しました。 日高です 」

 気を正し、応接室のドアを開けて中に入ると、美緒と同じ年頃の男性がソファーに座っていた。

 この第1応接室は、上得意のクライアント専用である。 従って、簡易テーブルにパイプイスなどではなく、革張りの応接セットがしつらえてある。

 男性は、豪華なソファーに落ち着かない様子で、ちょこんと座っていた。

 美緒を見るなり、じっと美緒の顔を見入っている。


 ・・やや面長の顔つき。 短い髪はセットされることも無く、フリーのようだ。

 黒いトレーナーにジーンズ、肩掛けのブリーフケースを持ち、フード付きの薄いマースグリーンのダッフルコートを着ている。 フリーカメラマンのようでもあった。


「 あの・・ どういったご用件でしたでしょうか? 」

 美緒がそう尋ねると、男性は、ハッと我に返った様子で、言った。

「 えっ、あ・・ あの、オレ・・ いや、ぼ、僕・・ 八代です 」

 美緒には、やはり記憶の無い男性である。

「 ・・申し訳ありません。 どこで、お会い致しましたでしょうか? 」

「 え、あ、いや・・ 高桑の八代だけど・・・? 」

「 高桑・・・ 」

 幼い頃に住んでいた、母親の実家がある所だ。

 離婚した母親は、美緒を連れ、しばらく実家で暮らしていた。 その後、美緒と共に東京へ出て来たのである。

( 高桑の八代・・・ )

 美緒は、幼い頃の記憶を探った。


 ・・高桑にいたのは、小学校卒業まで。

 数人の幼馴染の記憶が、おぼろげながら想い起こされたが、この八代という男性が、その中に含まれているかどうかは定かではない。 もう、20年近く前の事である・・・


「 申し訳ありません。 随分と前の記憶で、よく覚えておりません・・・ 先日も、ご来社頂いていたご様子ですが、何か・・・? 」

 八代と言う男性は、美緒の事務的な返答に戸惑い、場を繕うようにして答えた。

「 い、いや・・ 久し振りに、顔を見たくてね・・・ どうしてるかなって・・・ 」

 例え、幼馴染で記憶にある人物だとしても、突然に訪ねて来られたら、美緒も対応に困ってしまう。 前もって、電話連絡でもしてくれれば、心の準備が出来たと言うものだ。

 強いて言うなれば、今の美緒に、追憶の記憶を懐かしんでいられる余裕は無かった。 杉村の訃報の件もあったが、この後の会議に出席し、すぐに外出をしなくてはならない。 撮影の立会いと、クライアントとの営業打ち合わせである。

 八代と名乗った男性が、続けて言った。

「 ・・久し振りだね、美緒ちゃん。 最初、見違えちゃったよ 」

 照れ臭そうに微笑んでいる八代だが、相変わらず記憶に出て来ない男性から、馴れ馴れしく『 ちゃん 』呼ばわりされた美緒は、ハッキリ言って不愉快だった。 後の仕事の事も頭をかすめ、早々に、この男性に帰って欲しくなった。

 美緒は言った。

「 申し訳ありませんが、やはり、私の記憶にはありません。 せっかくおいで頂いたのに残念ですが、またの機会にでも・・・ 実は、この後、取り急ぎ、出掛けなくてはなりませんので・・・ 」

 冷たくあしらっているのは、自分でも分かった。 だが、どうしても記憶に出て来ない人を相手していても仕方がない。 実際、今日の美緒は忙しいのだ。

 『 お引取り 』を促されているのは、男性にも感じ取れたようだ。 急かされたようにブリーフケースを手に取ると、腰を浮かせながら答えた。

「 ・・あ、ごめん。 忙しいのに、申し訳なかったね。 高桑に来たら、寄ってよ 」

「 有難うございます。 その際は、宜しくです 」


 何を、宜しく、なのか・・・?


 美緒は、例え咄嗟でも、無意識の内に口に出て来る社交辞令的な挨拶に、ある種の虚しさを覚えた。


 虚空の笑顔、虚偽の心・・・


「 じゃ・・・ 」

 軽く会釈をして応接室を出て行く、八代という男性。

 美緒も続いて応接室を出ると、受付カウンターまで見送った。

 来客が帰る際のマニュアル通り、受付の晴美嬢が立ち上がり、お辞儀をする。

「 有難うございました~ 」

 晴美嬢の明るい声が、似合わない場に来てしまった八代の背に響く。

 八代は、晴美嬢にも、何度もお辞儀を返し、開いたエレベーターの扉の向こうに消えて行った。


「 ・・・・・ 」

 ふう~っと、大きなため息をつく美緒。

 晴美が尋ねる。

「 どちら様でした? 」

「 知らない人 」

「 ? 」

 美緒は、くるっと踵を返し、制作課の方へ入って行った。


( イヤな思い・・ しただろうな、あの八代って人。 悪いコトしちゃった・・・ )

 反省点は、山ほどある。

 八代に対する面談の仕方は、2つの部署を束ねる最高責任者の接待とは、到底思えないほど粗雑な対応だった。

 仕事に関係の無い人物だったからかもしれない・・・ だが、だからと言って、それで良い訳ではない。 それは、美緒にも充分に分かっていた。 只々、日が悪かった・・・

『 全く持って、お粗末な応対だな。 日高君らしくもない。 どうしたんだ? 』

 美緒の脳裏に、杉村の声が蘇った。

( 杉村さん・・・ )

 

 心に、穴が開いた。

 

 まさに、そんな心境の美緒だった。

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