第5話、流漂
杉村が池袋支店へ移動し、数週間が過ぎた。
ほどなく、課長へ昇進した美緒。
他の部署の管理職社員から注目される中、社内初の女性管理職として、また、制作第1課の課長として、堂々たるリーダーシップを発揮していた。
「 頑張っているようだね、日高君 」
ある日、美緒は支店長に呼ばれ、彼のオフィスにいた。
「 有難うございます。 杉村課長の後釜として、無我夢中でやらせて頂いています 」
・・静かなオフィス。
小さなリトグラフが掛かった木目調の壁、黒いレザーソファー・・・
( 何か、緊張するなぁ・・・ 社長と話しているのと、同じだものね )
この部屋に来るのは、入社初日の挨拶以来である。 他の社員も、上級の管理職以外、そうそう入る事は無い。
美緒が勤務する新宿支店の支店長は、白髪の混じった髪をオールバック風にまとめた、紳士的な雰囲気の男性だ。
年齢は、50代後半。 グラフィックデザイナーからの叩き上げ社員、と杉村からは聞いていた。
名前は、糸川。 群馬の出身だそうである。
糸川が言った。
「 謙遜だね。 他の部署と比較しても、日高君の部署がトップの売り上げだよ? 」
「 先々週からです。 まだまだ、安心はしていられません 」
「 ははは。 それが謙遜だと言うんだよ。 君の統率力・牽引力には、注目すべき所が多々ある 」
窓から差し込む冬の日差しが、糸川が掛けているメタルフレームのメガネに反射した。
大きなガラス窓の前に置かれたカウンターテーブルの上に、洒落たシンプルなデザインの加湿器が設置してある。 ゆっくりと噴出される蒸気が、ガラス窓から差し込む初冬の陽に、白く光っている。
音も無く、ただ、静かに吹き上げられる蒸気・・・
静かな雰囲気が強調され、幾分、美緒は緊張が高まる心情を覚えた。
「 我が社、初の女性管理職だ。 ・・正直、私は心配をしていたんだが・・ どうやら杉村君の言う通り、要らぬ心配だったようだ 」
杉村は、課長の後任に、随分と美緒を押してくれたらしい。
( 杉村課長・・・ )
美緒は、推察出来る杉村の熱意に感謝した。
微かな笑顔と共に、糸川が続けた。
「 部署の者たちも、歳の差は気にしていないようだね。 ・・結果主義は、ある意味、管理においては、楽な部分があるな 」
美緒は言った。
「 私の部下は、皆、優秀ですから 」
糸川は、小さく、フッと笑った。
ソファーの背もたれに埋めていた背を起こすと、改めたような口調で、静かに話し始めた。
「 実は、総務とも相談したのだがね・・・ 社内に、新たな部署を設ける事にしたのだよ 」
「 新たな部署ですか? 」
「 うむ。 系統的には、営業部と制作部を束ねる部署だ。 総合企画部とした 」
「 総合企画部・・・ 」
糸川は、メガネを外すとハンカチを出し、レンズを拭きながら答えた。
「 部の形成社員は、少数精鋭。 営業・制作、両部の打ち合わせに立ち合い、基本コンセプトを明確にしつつ、クライアント別のデザイン方向性・質を監視する事を職務とするのだよ 」
・・言わば、デザインコンセプトの監査役のような部署らしい。
美緒は言った。
「 デザイナーというものは、とかく芸術家思考に奔りがちですからね。 クライアントの意向を無視したり、独りよがりなものを創作したり・・・ 時には、クライアントに講義宜しく、お説教じみた説明をする者もいますから。 『 商品 』としてのプロデュースを忘れる事無く、提案側を監視する機関も必要でしょう 」
糸川が答える。
「 まったくだ。 やはり日高君は、良く分かっているようだね。 その通りさ 」
再びメガネを掛け、糸川は続けた。
「 我々がプロデュースしているのは、デザインだ。 芸術じゃない。 だが、デザイナーたちには、芸術的感覚も必要・・・ ま、 その見極めが大切なのだ 」
美緒が追伸する。
「 売れるモノ、支持されるモノ、理解出来るモノが私たちの商品であり、無作為の10人中、8人以上が納得出来るモノがベストだと思っています。 尚且つ、その8人全員が『 面白い 』と、興味を持ってくれたなら、よりベターですね 」
「 はっはっは! その通りだ。 杉村君が課長に推薦してくれただけの事はある。 さすがだね。 制作1課が、トップ成績を独走するワケだ 」
満足気な糸川。 ソファーに体を沈め、両腕を腹の上で組むと、美緒に言った。
「 ついては、その総合企画部の企画長を、日高君にお願いしたい 」
「 ・・・え? 」
笑顔で、糸川が補足した。
「 本当は、企画部 部長に就任してもらいたいところだが、課長に昇進したばかりの者に更なる昇進は、さすがに社内に波風を起こさないとも限らない。 部長には常務の竹林君を兼任で充てるが、知っての通り、彼は総務出身だ。 デザインの事は分からないし、渉外も得意な方じゃない・・・ 実際に企画部を切り盛りするのは、企画長である君だと言う事を、前もって認識していて欲しいんだ。 竹林君にも、同意は取ってある 」
美緒は、耳を疑った。
管理職の兼任と言う形を取ってはいるようだが、実質上、更なる昇進だ。
若干、28歳にして、上級管理職である。
デザイン会社において、制作と営業の両部を束ねる部署の最高責任者という事は、この会社のデザインを、美緒のセンスで代表すると言う事である。 それだけ支社長の糸川は、美緒を信頼しているという事なのだろう。
営業に関しては、クライアントへのアプローチ法・新規開拓の方向性。 デザインに関しては、その方向性・質・プレゼン方法など、全てに美緒の意思決定がなされ、また、美緒のコンセプト・未来的指標が盛り込まれる事になる。
( じ・・ 冗談じゃないわ・・・! そんな大それた役職、あたしには、荷が重過ぎる・・・! )
唖然とした表情の美緒。 声も無く、糸川を凝視し続けた。
糸川が言った。
「 そんな顔、すると思ったよ。 初々しくて良いね 」
美緒は言った。
「 ・・・冗談じゃなく、本気でビックリしています。 私には・・・ 」
「 適任だと思うがね? 業務的には、今までと何ら変わりはない。 何だったら、制作1課の課長職は、適任者に任せてもいい 」
糸川は、美緒を見つめながら、静かに続けた。
「 営業に同行したり、他の部署のディレクション会議くらいは同席してもらわなくてはならないから、業務は増えるだろうね。 アシスタントを2名ほど付ける予定だから、今、求人誌に募集を掛けている。 応募者の面接には、顔を出してくれ 」
美緒には、デザインのセンスは多少あった。
学生時代から、絵を書く事が好きだったし、PCを駆使し、パーティーのハガキやクリスマスカード、バースデーカードなどを作って友人にあげていた。
大学は経済を専攻し、情報学などを勉強している。 事業経営の何たるかは理解しているつもりだ。
それらの知識を加え、デザイナーではなく、ディレクター・・ しかも、コピーライターやカメラマン・印刷会社の選択業務までも視野に入るアートディレクターに、その才能を開花させた美緒。 今度、与えられたフィールドは、更にその上を行く『 プロデューサー 』だった。
( だけど、ホントにこれでいいのかしら・・・ )
傍から見れば、絵に描いたような出世話である。
だが、美緒の心の奥底には、釈然としない心境が存在した。
うまくいっているようで、いっていない・・ いや、そんなはずはないのだが、どこか不安なのだ。 自分が目指している未来に、着実に向かっているはずなのに、自分が知らない世界へ導かれているような気がする・・・
( どこか、あたしの知らない所をいつの間にか彷徨って・・ 意思も無く、漂っているみたい )
美緒は、そう思った。
「 ちょっと、荷が重過ぎるのよねぇ~・・・ やり甲斐度は、120%なんだケド 」
会社の1階にある、お好み焼き屋『 七福 』のカウンターで、美緒はボヤいた。
焼き鉄板の前で、タオルを頭に巻いた若い男性店員が、アルミ製のボウルに入れた刻みキャベツと、水を加えた小麦粉をまぶしながら言った。
「 美緒さん、支店長に気に入れられてるみたいっスよね~ イイこった 」
水の入ったコップを持ち、美緒が言う。
「 それよぉ~・・・! 買い被りだって 」
若い店員が、笑いながら言った。
「 んなコタぁ~、ないっしょ。 能力を買われたって事、っしょ? 人徳ってヤツかもね 」
ボウルで混ぜた具を、鉄板に乗せる。 湯気と共に、食欲をそそる音が耳をくすぐる。
美緒は、鉄板上で焼き上がる『 イカ玉子入りお好み焼き 』を眺めながら、コップの水を、ひと口飲むと言った。
「 ・・・店長ってさ・・・ 何で、お好み焼き屋、始めたの? 」
鉄板上で焼き上がる具の形を、ヘラで整えながら、店員が答えた。
「 え・・? 何スか、それ? 突然に 」
「 いいから。 答えてよ 」
「 ん~~~・・・ お好み焼き、好きだから。 ・・かな? 」
「 随分と安直なのね~ 」
「 だって、そうだもん。 仕方ないっしょ 」
ヘラで具を押さえながら、店長と呼ばれた男は笑った。
美緒は、傍らにあったおしぼりを、指先でいじりながら尋ねる。
「 でもさ、学校を卒業してすぐ、お好み焼き屋さんになったワケじゃないでしょう? 」
「 そうっスねぇ~・・ 工業系の高校だったスから、お決まり通り、企業系列の大工場へ就職したっスよ。 車の生産ライン。 ・・でも、1年で辞めましたわ。 あと、配管工、土方、スタンド店員・・ ええっと、何だっけ? あ、トラッカーもやりましたわ。 み~んな、続かなかったっスねぇ~ 」
「 若いのに、結~構ぉ、やってるのね 」
触っていたおしぼりを、カウンターテーブルの上で広げ、綺麗に、たたみ直しながら美緒は言った。
店長が続ける。
「 やっぱ自分は、1人でやってた方が気楽なんスよ。 将来の夢は、デ~ンと、2店舗目を出す事っス! 」
「 イイわね 」
美緒は、笑った。
「 はい、イカ玉子、アガリ~! 」
美緒の目の前に、美味しそうなお好み焼きが置かれた。
「 おいしそう! う~ん・・ イイ香り・・・! 」
彼は、このお好み焼き屋を、1人で切り盛りしている。
大きな焼き鉄板を囲うように、カウンター席があり、テーブル席は無い。 店内の広さは、約25㎡。 昼時の時間帯を過ぎれば、後はポツポツと客がいる程度だ。 今日の美緒のように、商談で昼食時間をずらしたサラリーマンなどがよく来る。
出されたお好み焼きに箸を付けながら、美緒は聞いた。
「 店長って、25・・だっけ? 」
「 24っス 」
「 若いわね~ あたしが24の頃っていえば・・ まだまだ、駆け出しのデザイナーだったなぁ・・・ その頃、代々木の方に、ウチの会社はあってね。 よく公園でお弁当、食べてたわ。 自分の店を持つのって、イイでしょ? 」
タバコに火を付けると、右手の人差指と中指に挟み、その指先で、おでこの辺りをかきながら彼は言った。
「 ま、開業には、随分と借金したっスけどね。 今、必死に返してますわ。 で、未だ独身。 美緒さん、誰かイイ人、いませんかねぇ~ 」
「 それは、縁次第ね。 あたしと違って、まだ若いんだから、アセらなくても良いでしょ? 」
お好み焼きを口に運びながら、美緒は言った。
タバコをふかしながら、遠くを見るような目で呟く店長。
「 工場で働いていた頃、結構、マジで付き合っていた彼女がいたんっスよ・・・ 」
「 へええぇ~・・ 初耳だわ、そんなん 」
「 仕事ヤメて、フラフラとフリーターしてたら、どっか行っちゃいましたわ 」
箸を休め、コップの水を飲むと、美緒は言った。
「 女ってね・・ 経済的には、かなりシビアよ? 」
「 ですよね。 そん時、つくづく思いましたわ 」
タバコの灰を、傍らにあった灰皿代わりの、業務用缶詰の空き缶に落とす。
鼻から煙を出しながら、彼は続けた。
「 理想と現実は、違うもんっスよね・・・ 」
「 どういうコト? 」
「 口じゃ、色んな甘いコト言ってても、現実は現実、って事っスよ 」
彼は、付き合っていた彼女とやらに、将来の『 夢物語 』を語っていたのだろう。
だが彼女は、彼の将来を自分なりに推察し、見定めたのだ。 そして、去って行った・・・
美緒は言った。
「 彼女を逃した事、後悔してる? 」
右手をヒラヒラさせ、笑いながら彼は答えた。
「 そんなん、してないっスよ! 見切られたんだから、仕方ないっしょ 」
「 ・・・へえぇ~、悟ってんのねぇ~ ホントに25? 」
「 24っス 」
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