第7話、巡り逢い

 サッシ窓から入る、冬の日差し・・・

 穏やかな暖かさに、思わず眠気を誘う。

 お気に入りのマグカップに、淹れたてのアメリカンを注ぎ、軽いポップスでも聴きながら、まどろんでいたいものだ。

( さあ、めそめそしているヒマは無いわ・・・! アメリカンより、濃いブラックよ! )


 美緒の気持ちを引き締めたのは、目の前に出された新しい仕事の企画書だった。

 大きなサッシ窓のある、第1会議室・・・

 さほど広くはないが、南向きで大きな窓があり、日当たり良好。 昼食時には、数人の社員たちが弁当を広げている部屋である。


 その大きな窓を背に、肘掛付きの事務イスに座った営業1課の笹島が、会議用テーブルに着いている数人に向かって言った。

「 企画書と資料、廻りましたか? 」

 昨年、結婚したばかりの笹島。 現在、35歳。 他の広告代理店から中途入社して来た、やり手営業マンである。 最近、奥さんが懐妊し、笹島としては俄然、仕事にも力が入ると言うものであろう。 新規営業を、次々に受注している。 今日のファースト・ミーティングの案件も、彼が受注して来た新規の1つだ。


 参加している出席者は、総合企画部から美緒。 営業1課からは、笹島と、同僚の本宮。 あと、今回の制作を受け持つ、制作2課の川中課長と、チーフディレクターである市ノ瀬、の5人。

 笹島が、席から立ち上がり、手にした企画書をめくりながら言った。

「 では早速、始めさせて頂きます。 本日はファースト・ミーティングですので、まずは制作内容の確認・発注経緯などを、私共の営業サイドから説明させて頂き、今後のデザイン方向性を含めた大きな流れを、営業・制作の分野から互いに確認しつつ、ブレーン・ストーミングしていきたいと思っております 」

 慣れた進行だ。 プレゼンの要領も、熟知している事であろう。

 さらりと話を進めた笹島に、美緒は彼の営業手腕を、ある程度、推察する事が出来た。

 笹島が、立ったまま続けた。

「クライアントは、滋賀県 満川(みつかわ)市の産業振興課。 ウチの課の得意先である品川印刷さんからの紹介で、制作内容は企画書にも記載してある通り、満川市の特産である満川茶のプロデュースです 」

 各自、企画書を手に取り、目を通す。 美緒も表紙をめくり、デザインコンセプトなどを確認した。

 笹島は、企画書の2ページ目を皆の方に向け、そこに印刷してある写真を指差しながら言った。

「 ここに現在、JAで販売している満川茶のパッケージ写真を添付しておきました。 今回、このパッケージのデザインを一新。 パンフレットも新たに制作して、地元の小売店での販売を促進しようというものです。 満川市としては、この満川茶を市の特産として、大々的に売り出そうという構想があり、今回の制作は、その販売の鍵を握る、大変に重要な企画でもあります 」

 美緒が、ボールペンのノック先を、顎辺りに当てながら言った。

「 まずは、マーケティングからね。 満川市の人たちは、どのくらい満川茶の事を認知しているのかしら? 小売店としても、他の商品を売るより、何か満川茶を販売するメリットのようなものが無ければ、流通は促進出来ないわ。 特に、満川市は急速な過疎化が進み、 各商店は高齢者が中心・・・ いくら、市がバックアップすると言っても、年配の小売店主人にしてみれば、新しい商品をイキナリ店頭に並べるのは、結構、躊躇するものよ? 」

 笹島が言った。

「 さすが、企画長ですね。 満川市の人口統計まで事前調査されているとは恐れ入りました 」

 美緒は、笑って答えた。

「 この前、TVで、満川市にある半導体メーカーの特集をやっていたからよ。 工業は海外資本も参入して来て活発化して来たけど、商業は小売店を中心に、青息吐息。 まあ、近隣の市も、同じみたいだけどね。 ただ、日当たりの良い山の斜面を利用する事で、お茶の栽培には、意外と適しているらしいわ。 番組の中でも、少し紹介されていたの 」

 企画書をテーブルに置き、軽く腕を組んだ笹島が言った。

「 ・・それなんです。 お茶の栽培に適して、生産をしてはいるものの、その存在は、意外と市民にも知られていないんですよ。 今回は、市民への告知の意味も含まれています 」

 制作2課の川中が、マグカップを片手に言った。

「 満川茶の生産量は、どのくらいなんだ? 」

 笹島が答える。

「 生産農家は、現在のところ7~8軒です。 ほとんどが稲作との兼業で、生産量は、わずかです。 しかし、産業振興課が、市の補助をバックに満川茶の生産を奨励しておりまして、年々、生産量と生産農家の数は、徐々ですが、増加をしているのが現状です 」

 資料に目を通しながら、顎先に当てた右手の指先で、無精ヒゲを摩る川中。

 小さくため息をつきながら、笹島に尋ねた。

「 パッケージの色数なんかは、決まってるんかね? 」

 その問いに呼応したのか、制作チーフの市ノ瀬も、追伸をした。

「 パンフのボリュームも知りたいな。 表1・2を含めて8ページくらいが妥当だと思うけど? 」

 笹島が、組んでいた右手をほどき、人差指で頬の辺りを擦りながら答えた。

「 色数は、特色2色・・・ パンフについては、片観音( かたかんのん:3つ折の体裁の事 )でお願いします。 予算的な事で、冊子は少々、厳しいものがありますので・・・ 」

「 片観音か・・・ 」

 市ノ瀬は、不満のようだ。 川中も、唇を軽く噛むとカップをテーブルに置き、企画書の予算欄を見入る。

 美緒が、笹島を補佐するように言った。

「 まずは、先方の希望するように、それでいってみましょう。 納品後のプロモーションもノーギャラで協力して、徹底的に配布するの。 在庫がなくなるくらいにね・・・! 反応が良好であれば、必ずリピートが来るわ。 私たちのプロデュースは、そこからが本番よ? 」

 笹島が言った。

「 企画長。 営業の意図する事を、先に論じてもらっては困りますねぇ・・ 」

「 あら、失礼。 同じコト、考えてたのね? 」

 立っている笹島の隣に座っていた本宮が、議事録をまとめていた手を止め、美緒に言った。

「 さすが、企画長ですね・・・! そこまで見抜いていたとは、恐れ入りました 」

「 別に、見抜いていたワケじゃなくて、ふと思っただけよ? あまり、買い被らないでね 」


 ・・つまりは、今回の制作は『 叩き台 』と言う事なのだ。


 好評につき、次に依頼して来る制作こそが、クリエイトする側にとっての最高のプロデュースとなる。

 当然、デザインコンセプトにも、こちらサイドの提案が多数に盛り込まれる事となる訳だが、前回の制作結果が良ければ、クライアント側も、こちらの提案をすんなりと受け入れられる状況にある。

 仕様も然り。 多少の予算オーバーも、リピートの場合、見積もり段階では、制作進行に『 待った 』が掛かる事はない。 『 また今回も、良いものを作ってくれる 』と言う感覚が、予算を増幅修正する方向に向かわせるのだ。

( ある意味、営業冥利に尽きる案件ね・・・ 制作側としても、デザイナー魂を揺り起こすわ )

 美緒は、そう感じた。

 笹島が、そこまで考えて、この案件を受注して来たのかどうかは分からない。 だが、少ない予算の案件だからと言って敬遠していては、社の営業力は伸びないだろう。 強いては、会社の発展・後退を決する事にもなりかねない要因となって来る。

 ここは大いにクライアントの主張を擁護し、『 借り 』を作っておく事が賢明だろう。 次につながる営業をし、尚且つ、良い制作をすれば、自ずと、仕事の依頼は来るようになる。

 笹島が、川中や市ノ瀬に言った。

「 制作の皆さんにおかれましては、ボリュームが少ない今回の案件ではありますが、インパクトがあり、尚且つ、若年層にも支持されるような、気合の入ったデザインをお願い致します。 私共、営業サイドとしましても、必ず次の案件を受注して参りますから・・・! 」

 川中が、苦笑いしながら言った。

「 つまりは、リピートさせるくらいの制作物が要るってワケか・・・ ま、いつも仕事は、全力・最善の心意気でやっているけどな 」

 市ノ瀬が、企画書を閉じ、表紙を表にしてテーブルに置きながら言った。

「 ・・いずれにせよ、下準備が要るな。 先方が、載せたいと思っているイメージカラーなんかは、あるのか? まずは、メインビジュアルだ。 まさか、お茶のパッケージを、デ~ンと据えるワケにはいかないだろう 」

 本宮が、オフィスサーバー用のプラスチックカップに入れたコーヒーを飲みながら、冗談半分で言った。

「 それ、インパクトは、充分にありますね 」

「 やめてくれ 」

 掌を振り、苦笑いする市ノ瀬。

 笹島が言った。

「 実は、80年以上前から、この満川茶を栽培している農家の方がいらっしゃいます。 産業振興課からも紹介され、今回のプロジェクトにも協力して下さる事になっていますが、先方としては、この農家の茶畑の写真を使って欲しいそうです。 ・・本宮、出してくれ 」

 本宮が、手元のファイルの中から、1枚の写真を出した。

 正面に座っていた美緒に渡しながら、本宮が追伸する。

「 今朝、速達で届いたばかりなんです。 メールに画像添付して送ってくれ、と言ったんですが、先方さんには理解してもらえなくって・・・ 」

 川中が言った。

「 いくら田舎だと言っても、メールの添付くらい分かるだろう? お前さんの言い方が、おかしかったんじゃないのか? 」

「 そうですかねぇ~? アプリがどうのこうの、って言っていましたが・・・ 」

 写真を見た美緒は、言った。

「 ・・どちらにせよ、この写真じゃ使えないわ。 カメラマン連れて、一度、行かなくちゃね 」

 写真は、どことなくピンボケであった。

 おそらく、デジタルカメラでの撮影だろう。 プリントは、デポのものではない。 プリント全体にメリハリが無いのは、プリンターの解像度の問題であると推察される。

 美緒から渡された写真を見て、川中が言った。

「 アングルが素人だな・・・ でも、綺麗な茶畑じゃないか。 使えそうなロケーションだ 」

 川中が、隣の席の市ノ瀬に写真を渡す。

 写真を受け取った市ノ瀬が言った。

「 へええ~・・ イイんじゃないですか? 奥の方にある民家が、また古臭くてイイね。 藁葺きだよ 」

 笹島が補足する。

「 その民家が、茶畑の持ち主の、ご自宅だそうです。」

 川中が、再び、写真をのぞきこみながら言った。

「 気難しそうな、ガンコ爺さんだとか? 」

 一通りの説明を終え、笹島も一息つきたいのか、イスに座るとサーバーカップのコーヒーに手を伸ばし、答えた。

「 産業振興課からは、主は3代目、と聞いています。 まだ、若い方なんじゃないですか? 」

 美緒が尋ねる。

「 先々代から、満川茶を栽培していらっしゃるのね? 」

「 ええ。 そう聞いています。 企画書に、ご主人の名前が・・ あ、無いか。 データが無かったからな。 ・・本宮。 写真を送って来た封筒に、名前や住所、書いてないか? 」

 カップを片手に、企画書をめくっていた笹島が、隣に座っている本宮に聞いた。

 数冊のファイルを、どけながら探す本宮。

「 あ、確か書いてありましたよ? え~と、ドコ行った・・? あ、あった。 え~と・・ 」

 開封済みの封筒を取り出し、裏面を見る。

「 滋賀県 満川市 箕尾町 高桑 4501、八代 良幸 」


( 高桑・・? 八代・・・? )


 美緒は、ハッとした。

 字名の高桑・・・ 美緒が、幼い頃を過ごした村の名である。

 同じような地名は、他にもあるかもしれない。 だが、それより注目すべきは、八代 良幸なる人物の名である。

( さっき、来社した方・・! )

 自分で後悔するほど、雑な応対をしてしまった人物の名。


 ・・偶然とは、まさにこの事を言うのだろう。 何と、先程、来社していたのは、今回のプロジェクトの協力者である男性だったのだ・・!


 美緒は、先程の面会を、心から悔いた。

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