四章④ とんでもないお人好し


 ルカが呟く。小さな人影は、まだ幼い少女であった。尻餅を着いて、紅い瞳を大きく見開いている。


「ご、ごめんなさい! こ、これはその……」


 よく見れば軍手までしているその手には、満開に咲いた数本の花。

 少女はシャナイアを前に膝を突くと、深く深く頭を下げた。


「本当にごめんなさい……アタシ」

「あ、いや。大丈夫だよ、俺達はこの街の住人じゃないし。誰にも言ったりしないから」


 シャナイアがにっこりと笑えば、少女の表情が僅かに和らぐ。


「変だと思ってたんだよね。こんな小さな公園の花壇にしては、雑草も無いし花も綺麗に咲いてるからさ。きみが手入れしてるんだろ?」

「お手入れというほどでは……その、雑草を抜いたりお水を上げたりするだけで」

「偉いね。その花も、枯れかけたやつを取っただけだろ? 誰も怒らないよ」


 ルカにはよくわからないが、その花はあと何日もしない内にしおれてしまうものらしい。


「もちろん、ちゃんと秘密にするからさ」

「あ、ありがとうございます!」


 パッと笑う顔には、もう怯えの色は無い。ルカはふと、不思議に思う。

 少女は恐らく十代前半くらいだろう。自我もしっかりしている頃である割には、聖霊であるシャナイアに懐くのが早い。


「ところでさ、この辺りで安い宿屋って知らない? 出来れば、ご飯が美味しくて清潔感もあれば最高なんだけど」


 何やら親しげに話しているかと思えば、これである。流石英雄、抜け目の無い。しかも、なかなかに注文が多い。

 少女がしばらく考え込み、あっと声を上げる。


「この道を真っ直ぐ行くと大きな通りに出ます。すると近くに服屋さんがあって、その近くに大きな看板がある宿屋さんは結構評判良いみたいですよ? 行ったことはないのでお食事はどんな感じかわかりませんが、宿泊代はお安いです」

「だってさ、ルカ。今日はとりあえずその宿屋で良い?」


 シャナイアがルカに訊ねる。特に意義はないので黙っておく。


「ありがとう、助かったよ」

「いえ、そんな滅相もない!」


 聖霊に礼を言われるなどとは、考えていなかったのだろう。困ったように手を振ると、少女は控え目に微笑する。


「では、わたしもこれで……」


 地面に手を着いて、立ち上がろうとする少女。しかし、いくら手を突っぱねても姿勢は変わらない。


「腰が……抜けました」


 今にも泣き出しそうな顔で、少女は言う。


「どうしましょう! は、早く帰らないと旦那さまに怒られてしまいます。それに、夕食の支度も……お洗濯ものも、まだ」


 まるでこの世の全てに絶望したかのように嘆く。シャナイアが一度ルカを振り向くと、少女と目線を合わせるように膝を折った。


「……きみの家って、ここから近い?」

「え? えっと、あの道の一つ目の曲がり角を左に行った一番奥にあるお邸です」


 指で示される先を、ルカとシャナイアが視線で追う。それほど距離は無さそうだ。

 同じことを思ったのか、それとも親切心か。シャナイアが笑う。


「じゃあ、俺がそのお邸まで送ってあげるよ。おんぶで良い?」

「え……えええええ!?」


 悲鳴のような声が、公園中に響く。周りに人気が無いことが幸いしたが、誰かが駆け付けてもおかしくない程だった。


「そ、そそそんな悪いですよ! せ、聖霊さまにそんなこと……だめです。絶対だめです!」

「でも、そもそも俺がいきなり声を掛けて驚かせちゃったのが悪いんだし」

「だめです!」

「……おい」


 ちょっと来い。自分でも思っていた以上の低い声で彼を呼び、形の良い耳を掴む。


「え? い、いたたたたた! 痛いって、ルカ! 千切れるー!!」


 情けない声を上げる英雄を、公園の奥までそのまま引き摺る。

 少女に聴こえないところまで来ると、苛立ちをぶつけるように乱暴に離してやる。耳が赤くなっている、良い気味だ。


「いったー……何だよ、いきなり」

「貴様は自分が聖霊であることを忘れているのか? それとも、この街に入る前に私に言ったことを忘れたか」

「何それ、どういうこと?」

「普通の聖霊は、たとえ目の前に立てなくなった悪魔を見つけても手を差し伸べたりしない」


 あ、とシャナイア。やはりこの青年は悪魔とも平等に接しようとしている。自分も呪術を使えるからなのか、それとも過去に行ってきたことへの償いか。

 何にせよ、ルカに目立つことは避けろ。などと言っておいて、自分が好き勝手やっているのは理不尽だ。


「で、でもさあ……俺が驚かせちゃったのが原因だし」

「それに、最近の聖霊は力仕事などほとんど悪魔任せなのだろう? 少しは聖霊らしくしていろ」

「いや、聖霊でも子供をおんぶすることくらいはするよ」

「私に大人しくしていろなどと指図しておいて、自分は好き勝手か……気に食わんな」

「それは、その……」


 ぐうの音も出ないのか、遂にシャナイアが言葉を詰まらせてしまう。明晰な頭脳を持っている彼に舌戦で勝ったことに、思わず顔がにやけそうになる。


「……それなら、あの子はどうするの? 流石にこのままにしておけないだろ。いくらこの辺りは人気がなくても、いつ聖霊が来てもおかしくないし」


 不服そうに口を尖らせる様子を見るに、何と言われても少女を送る気なのだろう。

 いまだに座り込んでいる彼女を見やる。ルカと眼が合うと、脅えた様子で目を逸らされてしまう。


「…………」

「あの……ルカさん?」

「……ちっ、面倒なやつだ」


 万が一にも彼の正体が知られ、騒ぎが起こるのは避けたい。シャナイアの肩を突き飛ばす様に退かすと、少女の元まで足早に戻る。


「おい、ガキ」

「は、はい!」


 びくんと肩を跳ねさせる少女を見下ろす。小さくて、弱々しい存在。子供はこの世界で二番目に嫌いな生き物だ。

 そんな少女の前で片膝を突くと、小柄な身体を軽々と抱きあげた。

 少女は呪術を使う必要がない程に軽い。


「きゃあああ!」


 今度こそ、悲鳴が上がった。横抱きにしたせいで眼下に近付いた顔面からは、なぜだか湯気が立ち昇っているようにも見える。


「お、おーい……ルカさん?」

「お、下ろしてください! 大丈夫ですから、大丈夫ですから下ろしてくださいいい!!」

「あー、うるさい。なんだ、このまま落としてやろうか?」

「ひいい、それだけはご勘弁をー!」

「それなら黙っていろ。……貴様はその荷物を持ってこい、非力な聖霊でもそれくらいは出来るだろう?」


 そう言って、未だにぎゃあぎゃあ喚く少女を抱えながら邸への道を行く。

 呆然と、残されたシャナイアが一人呟いた。


「……男前だねぇ」

 

 短い道中で知ったことが二つある。一つは、少女の名前はメグということ。

 もう一つは、メグが仕えているという邸にはとんでもない変わり者が住んでいるということ。


「うわー……なんていうか。随分、その……前衛的なお邸だね」


 決して褒めているとは受け取れない感嘆の念を上げて、シャナイアが見上げる。邸、というには少々こじんまりとしている気がするが、問題はそこではない。


「ああ、また新しい落書きが……すみません。昨日、一応キレイにしたのですが」

「汚い家だな。むしろ廃屋か?」


 ルカは自分の気持ちに正直である。メグを抱えたまま、改めて件の邸とやらを見やる。

 二階建てに三角の屋根と煙突が特徴的な邸は、街に多い煉瓦造りなのだろう。しかし、壁という壁が極彩色で塗り潰されておりよくわからない。芸術、とは思えない。

 よく見れば、それらは字であることがわかった。重ねて塗られている為に少々難解だが、いくつかの字はルカにも読みとれた。


『気持ち悪い』『街から出て行け』『金返せ』『早くくたばれ』等々。


「ひっどいことするな……」


 溜め息混じりに、シャナイアが言う。悪戯書きというには陰鬱なそれに苦笑すると、メグがペコリと頭を下げる。


「そう? じゃあ……」


 ルカはメグを下ろし、シャナイアが荷物を手渡す。もう腰はなんとも無いらしい。

 ありがとうございました。そう笑って深く頭をメグが下げる、その時だった。

 塗料塗れの扉が勢い良く開いた。蝶番が悲鳴を上げる。


「おっせぇぞメグ! 今までどこで道草食ってやがったんだ、ああ?」


 出てきたのは、年老いた聖霊の男だった。頭は禿げかけ、皺だらけの面立ち。げっそりと細い身体は痩せた木のようだとルカは思う。

 そんな老人でも、怒鳴る元気はあるらしく。メグがあわあわと頭を下げた。


「も、申し訳ありません! でも旦那さま、外に出られてはお身体に――」

「うるせぇ!! てめぇがどん臭いからだろうが! さっさと仕事に戻れ、バカが」


 主の怒号に子猫のように震えるメグ。足を引き摺りながら、急いで邸の中に戻ろうとする。しかし、不意に男の淀んだ視線がこちらに向いた。


「……なんだてめぇらは。聖霊と、悪魔?」

「あ、いや……俺達はその」


 どう説明すれば良いのやら。シャナイアが困惑しながらも、説明しようと試みている。だが、男は聞く耳というものを持たないらしい。

 壁に塗りたくられた落書きを見やる。一旦は外された視線が、再びルカ達に向く。


「……てめぇらか」

「え?」

「全く、飽きもしねぇで毎日毎日……だが、年貢の納め時だなぁ?」


 ぎょろりと、浮き上がる眼球が見据える。


「てめぇら、これちゃんとキレイにしろよ?」

「は?」

「てめぇでやったことだ、てめぇで片付けろ。逃げたら許さねぇからな」

「だ、旦那さま違うんです! この方達は旅人さんで――」


 再び、蝶番の悲鳴。弁明を聞くことなく邸の中に戻ってしまった男に、メグが申し訳なさそうに振り向く。


「ごめんなさい……旦那さまはいつもああいう風なんです」

「いや、大丈夫だよ」

「本当にごめんなさい。壁の掃除は後でわたしがやりますので、お二人は気にしないでください」


 詫びの言葉とともに何度も頭を下げる姿は、そういう人形なのかと思えてしまう程で。流石に同情の念を感じないわけではないが、だからといって何かをしてやる程ルカは親切ではない。

 しかし、問題は別にあった。それは、


「……きみも、苦労してるんだね」


 ルカの隣に居るかつての英雄殿が、とんでもないお人好しであることだった。

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