四章③ 悪魔の少女
傍らに居る青年が、死んだ筈の英雄だとは誰も思わないよう。
「なんか、人少ないよね」
シャナイアも、街の異変には気が付いていたらしい。不自然にならない程度に、辺りを見回している。
「さっきの兵士に訊いたんだけど。何日か前に、悪魔が反乱を起こしたらしいよ」
「反乱?」
「三日前の悪魔達の中でさ、夫婦が居たんだ。多分、この街で奴隷になってたんだと思う。俺、英雄の追悼式の日に子供にパンを買ってあげたって言っただろ?」
声を潜めて。そういえば、そんなことを言っていたような。ルカが暴れるアイリを担ぎ、彼に追いつくまでの間を簡単に訊いてはいたのだが。
先日の、死んだ悪魔達の様子を思い出してみる。確かに、隻眼狩りの集団に混じって夫婦らしき男女が居た。
まともな武器も持たず、無残な死様を晒していたことしか覚えていないが。
「なるほど……式典の後に隻眼狩りがこの街にやってきた。そして貴様があの村に居るとわかると、ヤツらは手を組んで街を出た。そいつらに感化された他の悪魔達が、報復に出たということか。結果的には、悪魔側の被害の方が甚大だったようだが」
先程の布に巻かれた塊は、悪魔の屍だろう。個別にされているだけマシだと、ルカは思う。
煉瓦造りの建物が並ぶ街並みは、殺伐とした装いで。人々は石畳に残る赤黒い染みを懸命にブラシで擦っている。
道行く人はルカを苦々しく睨み、足早に去っていく。
「…………」
シャナイアは何も言わなかった。ただ、それらを眺めて悲痛そうな表情をするだけ。閑散とした街から吹き込む、柔らかな風が髪を揺らす。
神術は術者の無意識な思いにも応えるというが、それが彼の神術だったのかは定かではない。それにしても、腑に落ちない。
「なぜ、貴様がそんな顔をする?」
悪魔は聖霊にとって敵。絶対に許してはならない邪悪な害獣であり、英雄の憂いとなるような存在ではない。
そういえば、彼は言っていた。聖霊と悪魔は同じである。ルカは、その言葉に憤りにも似た感情を抱いていた。彼に対してではなく、自分にである。
ルカは、悪魔を殺したことがない。痛めつけたことは数え切れないが、命を奪ったことなど一度もないことに気が付かされてしまった。
「貴様が考えていることが、私には理解できない。悪魔と聖霊には違いがないとは、どういう意味だ?」
彼を超えたい。でも、シャナイアが何を思っているのかがわからない。彼は同じ聖霊を殺したと言った。それはきっと嘘ではない。それにさえ劣等感を感じてしまう。
ルカは、彼とは違い呪術しか使えない。それでも、翠眼の英雄を倒す為に剣の腕を磨いてきた。三年前とは違う、彼よりも強くなった自信はある。
だが、問題はもっと根本的な場所にある気がしていた。悪魔と聖霊に違いはない。馬鹿げているが、卓越した思考。それが自分と彼は違うと物語っているようで。
自分は彼と同じ、価値のある『強者』である筈なのに。
「……あんた、自分でも言ってただろ? 聖霊か悪魔かなんて関係ない、強者か弱者かで分けられるって」
足を止め、シャナイアが苦笑する。ルカも数歩先で立ち止まり、銀髪を揺らしながら振り向く。
「私は立つ場所のことを言っただけだ。私にとって、弱ければ悪魔だろうと聖霊だろうと同じようにくだらない。私と貴様は、同じ強者。同じ場所に立っている筈なのに、どうして――」
「同じ場所になんか居ないよ。俺は、いつでも独りなんだ」
緩慢な足取りで、シャナイアが歩み寄る。目線は殆ど同じ。同じ場所に立ち、同じ地面を踏んでいる。
それなのに、彼は自分とは違う。
「不思議だね。こんなに近くに居るのに、俺とあんたが立つ場所は違う。俺は、あんたが羨ましいよ。皆と同じ高さで、このガーデンの景色を見たいと何度思ったかな」
「ッ、このガキが!!」
侮辱である。思わず、剣の柄に手を伸ばす。だが、そこまでだった。昂る思考に、理性が冷たく言い放つ。
彼は、明らかに自身より高みに居る。見下ろされているのだ。今ここで彼を切り捨てても、きっとそれはルカが切望する勝利などではない。
負け犬の遠吠えに等しい、酷く惨めなものでしかない。
「あんたに殺されるなら、文句は無いよ。でも、俺と同じ場所に来るのは諦めた方が良いと思うよ。独りは、凄く寂しいからね」
目を細めて微笑むと、シャナイアがルカを追い越す。諦める気などない。
必ず彼と同じ場所に立ち、勝利を手にして見せる。その為には、彼が何者なのかを知らなければならない。
両手を握り締めると、彼の後をルカは足早に追った。
「さてと……どうしようかな」
とりあえず、人の居ないところを探すことになった。とは言っても、今の街にはそんな場所はいくらでもある。ルカとシャナイアが見つけたのは、近くにあった公園だ。
街の隙間に作られたような不格好な敷地に、ベンチや花壇が申し訳程度に置いてあるだけ。遊具は何もなく、子供が駆けまわるにはかなり狭い。
そんな寂れた空間に、王子が居るだなんて誰も思わないらしく。シャナイアは錆ついたベンチに腰掛け、ルカは傍らにある木に背を預けて立った。
「目立たないよう宿屋で明後日まで引き籠るか、それとも今すぐにでも街を出るか……。いや、今すぐにはもう無理か」
既に日は傾き始めている。これから準備をして出発する頃には、どう急いだところで日は沈むだろう。
「とりあえず今日は宿かな……えっと」
ルカに相談しようとも無駄だと思い知ったのか、シャナイアはほとんどのことを一人で決めてしまっていた。それでも、出来るだけルカにも選択肢を残そうとはしているらしい。
「……あんまりお金無いんだよなぁ」
今、この広大なガーデンで、英雄が金に困っていることを知ってしまったのは恐らくルカだけだろう。
まさかの新事実である。
「……あのさ」
「何だ」
「俺と相部屋……でも良い?」
その方が安上がりなんだよねー、だとか。悪魔が一人部屋を借りるのはちょっと目立つからさー、と何やら必死に捲し立てる。
ルカとしてはどちらでも良いことだし、むしろ同じ部屋の方が彼を監視するのに丁度良い。
「私は構わんが」
「そっかー、やっぱりなぁ……って、本当!? 良いの?」
蒼い隻眼が驚愕に見開かれる。ルカはそれを怪訝に見返す。
「何だ、その反応は」
「いや……あ、あんたは一応、女の人だし。その……」
しどろもどろに、何を今更。この街に着くまでに何回共に野宿をしたと思っているのか。
「何だ、まさか私が貴様の寝首をかくとでも思っているのか? 安心しろ、私は正々堂々貴様と勝負したいのだ」
「そういうことじゃなくて……うん、もういいや」
俯きながら、重々しい溜め息。しかしすぐに顔を上げると、なにやら嬉しそうに笑っていた。
「あー、久し振りの宿屋だ! 野宿だとどうもゆっくり休めないからさぁ」
ころころと変わる表情。ルカの記憶にある彼は今より幼く、冷たかった。しかし今、目の前に居る彼は更に幼いように見える。
あの日、一体何があったというのか。
――ルイ・セレナイトは既にこの世に居ない。それはどういう意味なのか。
それならば彼は一体『誰』なのか。
「……あれ?」
思考に耽っていると、不意にシャナイアが何かを見つけたらしい。同じ方向に視線を向けると、ルカもそれを見つけた。
頭巾を目深に被った、小さな人影。丈の長い青色のワンピースによれよれのカーディガン、雨など久しく降っていないというのに長靴という装いである。
それは、ルカ達が居ることに気が付いていないらしい。一杯に入った紙袋を両手に抱え、よたよたと覚束無い足取りで花壇に向かう。
右脚を引き摺る様子から、足が悪いのが容易にわかる。
「何やってんだろ……」
同意である。人影は花壇の前でしゃがみ込むと、紙袋を倒れないように地面に置いた。そして、花壇の花に向かって何かをし始める。
ルカとシャナイアは顔を見合わせると、足音を忍ばせ歩み寄った。二人して同じ行動を取るとは、妙なところで気が合う。
「……何してるの?」
「へ? ……きゃ、きゃあ!」
最初に声を掛けたのは、シャナイアだった。振り向いて、驚きの声と共に飛び上がった拍子に頭巾が脱げてしまう。
現れたのは、柔らかそうな銀髪の巻き毛と黒い肌。
「やはり、悪魔だったか」
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