四章② 奇妙な旅
「……おーい、ルカ。ちゃんと俺の話、聞いてる?」
不意に名前を呼ばれて、意識が現実に戻る。ルカを呼んだのは、対面に座る聖霊の青年だ。
記憶の中よりも随分背は伸びて、ルカと目線はほぼ同じになった。体格も男っぽくはなったが、筋骨隆々とは程遠い。
一番変わったのは、表情だろうか。ころころと変わる表情はあの頃よりも子供っぽい。改めて見ると、随分整った顔立ちをしていることに気が付いた。
左眼は眼帯で隠してしまっている。あの村から出た後、一度も外していない。
「何だ?」
「はあ、やっぱり聞いてなかったか。だからー、俺のことを翠眼の英雄だとか、ルイ・セレナイトって呼ばないでくれって言ってるの」
村を出てから三日目。最初は塞ぎ込んでいたものの、半日も経たない内に調子を取り戻した青年は繰り返しルカに訴えていた。
「……それなら私は貴様を何と呼べばいいんだ?」
「俺の名前はシャナイアだから。シャナイアって呼んでよ」
「偽名にしてはご大層な名前だな。偉そうに」
堂々巡りなやり取りに、青年がこれ見よがしな溜め息を吐く。わざわざ整備された山道ではなく、未開の獣道を大きく遠回りしているからかずっと野宿続きだった。
この辺りは暖かく、小川も近くを流れている上に木の実なども豊富で。更に幸運なことに天候に恵まれ、野犬などに襲われることはなかった。残念なことは、青年と死闘を繰り広げることもなかったことか。
何回か戯れに石を投げてみたのだが。人並み外れた実力のお陰で、眼帯による障害は殆ど無いことがわかった。だが、そもそも彼に戦う意思がないのだ。
そんな状況では、ルカが望む戦いは出来ない。彼女が望むのは単純に英雄の命などではなく、勝利である。自分の目的の為には、彼が本気を出すまで待つしかない。
よって、今までは平凡そのものだった。
「偉そうって……本名なんだから仕方ないだろ」
不服そうに言って。今は昨晩使った焚火のカスを、棍杖でがしゃがしゃと掻き回している。幾千の命を屠ってきたであろう棍杖をそんなことに使うとは、中々に衝撃的な光景である。
純白に金の飾りがなんとも派手な棍杖は、護身の為に夜中だけその姿を晒すことにしているらしい。頑なに外さない眼帯と、出発する前に棍杖に布を巻く様子を見ていれば、理由は聞かなくてもわかる。
彼は正体を隠して、逃走しているのだ。
「……本名とはどういうことだ。貴様はルイ・セレナイト、この国の王子だろう?」
青年は、頑なに『シャナイアが自分の本名だ』と訴えているのだ。シャナイアと呼べ、なら理解できる。しかし改めて考えれば、彼には不自然な点が多すぎる。
英雄である彼が、どうしてガーデン中を逃げ回る破目になったのか。聖霊王はなぜ彼を刺したのか、英雄が死ななければいけない理由とは何なのか。
「そ、それは……言えない」
気まずそうに、俯く。都合が悪くなれば、黙り込んでしまう。いい加減、このやり取りにも飽きてきた。
ルカは、はっきりしないことが何よりも嫌いだ。
「いい加減にしろ。言いたいことがあるなら、はっきり言え。簡潔に」
「言えない……言ってしまったら最後、ガーデンの深い深い迷宮に眠らせた巨大な鬼が目を醒まし、七日間で大陸から生き物が消えることになるからね」
「それは興味深いな。ぜひともこの目で拝見し、その鬼と戦いたい。だから私はこれからも変わらずに貴様のことを英雄殿と呼ばせて貰う」
「……ああ、もうわかったよ。話せば良いんだろ、話せば!」
鮮やかな金髪を粗く掻いて、青年が言う。やけくそに吐き捨てられた答えは痛々しい妄想などではなく。
本当に簡潔で、非常にはっきりしたものだった。
「ルイ・セレナイト様は、十八年前に既に亡くなっている。俺は、ルイ様の名前を借りていただけの、偽物なんだよ」
ブーゲンボーゲンに着いたのはその日の昼過ぎ頃。街の雰囲気は明らかに不穏で、何十人もの兵士が戦地に赴くかのような武装で歩き回っている。
「……何か、血生臭いね」
青年、シャナイアが言う。微かに香る鉄錆の臭いは、栄えた街には不似合いなものだ。
不意に兵士が一人、ルカ達に気がついたらしい。腰元の剣に手を沿えながら、二人を制止する。傍らでは、蒼色の隻眼が目配せしてくる。
「ちょっと、良いかね」
「はい、何でしょう?」
「現在この街では、素性の知れない悪魔が街に入ることを許可出来ない。その悪魔……ただの奴隷ではないようだが?」
じろじろと、兵士がルカを見る。斬り捨てたいところだが、何とか堪える。予め決めていたことだった。
どうにもルカはうっかりシャナイアのことを翠眼の英雄だとか、ルイ・セレナイトと呼んでしまう。こればかりは仕方がない。彼に『シャナイア』という名前が似合っていないのだから。
そんなことを考えるルカが喋ると色々と面倒なことになりそうなので、街に居る間は極力喋らないように決めた。
「この人は俺の護衛さん。俺、幼い頃からずっと目が不自由なので」
ここぞとばかりに左眼の眼帯を見せびらかすシャナイア。下僕か奴隷の方が自然な気がするのだが、彼はルカを卑下することを断固として拒絶していた。
「護衛、か。身なりを見る限りは旅人のようだが」
「しがない浮浪人ですよ」
「悪魔の剣を預からせて頂きたいのだが」
「それでは護衛の意味がないと思うので、拒否します」
無言を貫きながらも、ルカは驚いた。剣はそれほど高価なものではないが、長年愛用していることもあり、聖霊などに預けたくない。しかし、シャナイアがそう答えるとは思わなかった。
仮にも命を狙われているというのに。剣を向けられても勝てると思っているのか、それともまだ「殺したいなら殺せば良い」と言い張る気か。
「この人、見た目は怖いけど。そんなやたらに剣を抜いたりはしませんよ。どうしても、と言うのならこの街に立ち寄ることは諦めます」
「いや、それは……」
兵士が躊躇う。この街で何が起こったのかは知らないが、剣を携える悪魔を街に入れたくはないことは明白だ。だが、片目を不自由している聖霊を追い出すこともしたくないのだろう。
ただ翠色をしているだけで、視力は問題無いことを教えてやりたい。
「……街中では悪さをしないよう、ちゃんと見張っていただけますか? それが確約出来るなら、許可します」
「もちろん、ありがとうございます」
作り笑い。その後は名前と、何日滞在予定かを記録させて。終わるまでの間、ルカは改めて彼方に見える街の様子を眺める。
よく見れば、窓硝子が割られた家屋がいくつか見られる。道の敷石などには、焦げたような黒い痕。視界の端にある家は、骨組が露わとなるまで焼け焦げている。
視線を落とせば、結構な数の布の塊が無残に転がっていることに気が付いた。大きさがルカの背丈に達するものも、少なくない。
「ルカ、行こう」
シャナイアがルカを呼ぶ。突き刺さるような視線を幾つも浴びながら、二人は街に入る。
主にルカに向けられたものだったが、そんなもので怯む程脆弱な精神は持ち合わせていなかった。
「この街には明後日まで滞在する予定だから。二日後に船が出るんだって、それに乗るつもり。でも、この街の様子次第ではもっと早く出発するかも」
ホルン村で正体を晒してから、三日が過ぎた。あんな田舎とはいえ、翠眼の英雄が生きているという事実は大人しくしていることなど出来ないだろう。すぐに噂になるに決まっている。
それならば、出来るだけ早く移動することが必要になる。船ならば遠くまで行けるが、二日という時間が長いかどうか。兵士達に少しでも不審な動きがあれば、すぐに街を出るつもりらしい。
下っ端の兵士などは、王子の顔など見たこともないのだろう。視界に入る兵士は皆、ルカの方しか見ていない。
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