三章⑤ 後悔
「……はあ、何でこうなるかな」
五人分の気配が、夜の闇に攫われたようで。辺りには静寂が戻ってきていた。
肌を撫でる風は、先程よりずっと鉄錆臭い。
「つまらん……三年もかかって、やっと探し出したと言うのにどうしてこんな腑抜けに……」
苛々と、ルカが零す。結局、彼女の剣が血に濡れることはなかった。
両手を骨折した者は舌を噛み切り、他の四人はそれぞれ腹や首を切って死んだ。自ら生を全うして見せた。
その場から動く気にはなれずに、シャナイアは丁度良く転がる大きな岩に腰を下ろしていた。ルカは傍を落ち着きなく歩きまわっている。怒りを鎮めようとしているのだろうか。
「あんたはさあ、悪魔を殺したことってある?」
「ああ?」
シャナイアの問い掛けに立ち止まり、ルカが睨む。
「……それが何だと言うんだ? 私にとっては弱者でしかない、悪魔だろうが聖霊だろうが関係ない」
「あ、そう……変わってるね」
思わぬ返答に、苦笑するしかない。だが、妙な安堵感を覚えた。
彼女なら、ルカなら、わかってくれるだろうか。
「俺は……あるんだよね。聖霊を、殺したこと。策の犠牲になったとかそういうことじゃなくて、この手でさ」
三年前のあの日、あの時。まだ、シャナイアがルイと呼ばれていた頃。セイロン王の策に嵌まり、シャナイアは刺された。無意識に擦ってしまう脇腹には、当時の傷跡が今も色濃く残っている。幸いにも数多の戦場を駆け抜けた英雄は、年老いた国王の刃などで致命傷を負うことはなかった。
それでも、当時はまだ少年だった彼を絶望させるには充分過ぎた。シャナイアは闇雲に王から逃げ、適当な窓から飛び降りた。怪我はしなかったが、他の聖霊達に見つかってしまった。
彼等はきっと、真摯に自分を心配してくれていたのだ。だが、シャナイアはその手を振り払った。
そして、手を伸ばしてくれた聖霊を、同志であった彼等を――
「この手で……殺したんだ。悪魔と同じように」
激情に任せた渾身の一撃は、大人の頭部を容易に粉砕した。頭蓋骨は粉々に砕け、眼球が潰れ柔らかな脳漿が飛び散って。瞬く間に、男は絶命した。
仲間の惨死。それを行なったのは、翠眼の英雄。周囲に居た兵士達は恐怖し、誰もが惨劇から逃げ出そうとした。
シャナイアは、許さなかった。戦場に吹き込む風が味方し、凶刃となり、彼等を無残な肉塊となるまで刻んだのだ。
「俺は……英雄なんかじゃない」
頭のどこかで、きっとずっと昔から知っていたことだった。シャナイアは神術と呪術が使える。絶対にわかり合うことのない両者の力が、自分の中では共存していた。
どちらが神聖か、邪悪かなんて無かった。二つとも、自分を助けてくれたかけがえの無いものだ。
だから、もっと早く気がつくべきだった。
「悪魔を殺せば英雄だと褒められたけど、聖霊を殺せば同族殺しだと罪を問われる。でもさ……どちらも同じなんだよ。聖霊も、悪魔も同じ。違いなんか、無い」
二つの種族は同じ。見た目以外に大した違いは無い。
それをもっと早くわかっていれば、主張し行動すれば、ここまで醜悪な『平和』になんかならなかった。
あの紅蓮の夕陽に世界が染まった日。シャナイアはやっと思い知った。辺りに誰も居なくなった場所で、無音だった瞬間、自分の中で何かに罅が入る音が聴こえた。
当時は十代半ば。幼い心が受け止めるには、それはとてつもなく重すぎる罪だった。
「一体、何が言いたいんだ。何のことを言っている? 貴様の話は、理解出来ん」
「あはは……わからないなら、それで良いと思うよ」
力無い笑みが零れ、肩を落とす。彼女ならわかってくれるかと思ったのだが。
「もう、疲れた。殺したいのなら……好きにすれば?」
抵抗する気力などなかった。左手で棍杖を握ったままではあるが、構えるどころか立ち上がることすらしない。
両腕を広げて、精一杯おどけてみる。
「あんたは、俺が殺し損ねたたった一人の悪魔だ。あんたに殺されるのが、お似合いの最後なのかもね」
「……馬鹿馬鹿しい」
結局、ルカがシャナイアに剣を振るうことは無かった。
三年前のあの日、大人しく死んでいれば楽になれたのに。シャナイアは死んだ七人の悪魔を見つめながら、もう何度目になるかわからない後悔を繰り返していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます