二章

二章① 偽りの存在


 太陽が地平線の彼方へと沈んで。新たに獲得した陣営に灯りをと、兵士達が松明やランプを用意し始めた頃。既にこの砦での戦いは終わり、戦果である大量の屍を聖霊が適当に端に寄せながら積み上げていた時だった。 

 

 夕焼けの朱が空一面に広がり、景色は更に紅蓮となる。そんな気だるく紅の世界に、彼は堕ちた。


「る、ルイ様!?」 


 少年は屍の山の上に落ち、体勢を立て直せないまま兵士達の前に倒れこんだ。圧し掛かるような疲労と、思考を支配する知らない感情が、彼から的確な判断力を奪っていたのだ。 

 兵士の一人が、慌てて駆け寄り少年の上半身を起こす。顔面を歪め、悲痛に呻く少年に周りの兵士達も集う。

 少年の左脇腹から、止め処なく流れ出る鮮血。一文字に裂かれた傷は、紛れもなく刃によるもの。  

 浅い呼吸を繰り返す彼に、周囲の表情は一変した。


「ルイ様、怪我を!?」

「衛生兵! 誰か、早く!!」

「くそっ、悪魔め! 手の空いている者はすぐに策敵を開始しろ!!」 


 穏やかだった空気が、刹那の内に緊張に変わる。ルイ・セレナイトが戦争に参加してから約一年程、彼が怪我を負ったことなど殆ど無い。 

 つまり、彼と同等か、それ以上の実力を持つ悪魔がまだ砦の中に居ると彼等は思ったのだろう。しかし、彼等は無知だった。 

 その傷を負わせた者は、悪魔ではない。


「……る、な」

「ルイ様、大丈夫ですよ。すぐに手当てをすれば」

「俺に、触るな!!」 


 自身を支える兵士を突き飛ばす。同時に、腹部に激痛が走る。体験したことも、想像したことすらなかった強烈な痛みに少年が蹲る。


「――――ッ!!」 


 額に汗が噴き出す。胃酸が喉を焼き、呼吸さえも難しい。


 ――何だ、これは。


「ルイ様……落ち着いてください。ここに生きた悪魔は居ません、大丈夫ですよ」


 英雄と呼ばれる存在であろうと、まだ十代半ばの少年なのだ。怪我を負い、錯乱状態に陥っているとでも思ったのだろう。実際、その通りだった。

 だが、落ち着く気などない。手元に転がる棍杖を掴み、地面に突き立て何とか立ち上がろうとする。


 脈打つ脇腹の痛みに悲鳴を上げそうだったが、歯を食いしばり耐える。


「う、動いてはいけません!」

「うるさい……うるさいうるさい!!」


 この傷が誰にやられたか、叫んでやろうかと思った。しかし、そんな時間さえも今は惜しい。

 得体の知れない何かが、自分の首に絡んでいるようで。


「俺に触るな……近寄るな、殺すぞ」


 色違いの瞳に、狂気が漲る。だが、きっと彼等には確信があったのだろう。同じ聖霊である彼が、自分達と同じ英雄が、そんなことする筈がない。

 そんな、愚かな自負が。


「大丈夫ですよ、ルイ様」


 大丈夫ですから。手を伸ばしてくるのは、壮年の男である。戦闘が終わってしばらく経っているからか、兜を外して素顔を晒している。垂れ目で人の良さそうな顔だ。

 少年くらいの子供が居ても、おかしくはない年頃だ。


「……うるさい」

「ここが嫌なら、肩をお貸しします。陣営まで戻りましょう」

「……触るな、近寄るな」

「貴方の怪我を手当てするまで、悪魔には指一本触れさせませんから。ご安心ください」

「……呼ぶ、な」

「大丈夫ですよ、ルイ様――」

「呼ぶな!!」


 差しだされるのは大きく逞しい、大人の手。白く弾ける思考の隅で、指先が小さく軋む音が聴こえた。


「俺を……その名前で呼ぶなああ!!」

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