第5話 クスリを売る男

 ボンジー子爵は、タレシオス王国の中堅貴族である。

 そこそこの領地を持ち、そこそこの経営をしているが、正直言って財政は芳しくない。

 にも関わらず、子爵家はここのところ毎月、相当な金を使ってある薬を買っていた。


 <夜の薬>と、貴族の間では言われている。

 貴族にとって子供を作るための夜の生活は、多くの場合楽しみではなく義務だ。そこで頑張れないと奥方からの評価は下がり、その評価がそのまま妻の実家に行く。そして遠回しに嫌味を言われる。つらい。とてもつらい。

 そういうわけで、<夜の薬>は貴族の生活に欠かせない。古来たくさんの種類があるが、最近スターミン商会がひそかに売っているものが、抜群の効能だと評判だった。

 貴族の間でしか流通していないのに、巷で噂になるほどだ。

<超たくましくなるやつ><すげえ元気になるやつ>などという符牒で呼ばれているらしい。


 子爵がスターミン商会からその薬をかなりの量買い続けているのは、本人が使うためではない。他の貴族に配るためだ。


 タレシオス王国は議会君主制を採用しており、かなり前から、国王の意志を重んじる国王派と、議会の決定を重視する宰相派が、予算の配分をめぐって暗闘を続けている。

 ボンジー子爵は宰相派の一員で、派閥内の地位を上げようと必死だった。しかしこれといった特殊技能も領地の名産品もない。そこで、スターミン商会の新商品に目をつけたのだ。

 高価な秘薬を惜しげもなく配ることで、子爵の評判は劇的に上がったが、それにも限界が来ようとしていた。


「……もう少し、値は下がらんか?」


 子爵の側近ソルキャベル騎士爵は、椅子の上で反り返りながら、商会の営業担当、ソセージを睨みつけた。

 子爵の屋敷の一階、業者向けの粗末な応接室だ。


「申し訳ありません。ご存知のように、禁断の材料を使った秘薬でございますので、原価がたいへんかかりまして……」


「少しも下がらんか」


「は、申し訳ありません……」


「そうか。ならば今月は包み三つの注文になる」


「……ソルキャベル様。当商会は、ボンジー子爵様のみにこの商品をお売りするという約束を守ってまいりました。しかし包み三つとなると、原材料を製造している者たちとの取り引きが持続できません……。いつも通り、包み七つは注文をいただかないと……」


「ならば値を下げろ」


「申し訳ありません、それは」


「それなら注文を減らすしかないではないか。当家にも、金は無限にあるわけではない」


「は、しかしそうなると……」


「くどい。それはお前たちの都合だ。お前たちでなんとかしろ」


「…………」


「言っておくが、当家に断りなく他に販売するようなことがあれば、商会ごと叩き潰すぞ」


「……は」


「包み三つだ。それでよいな?」


「…………」


「…………」


 室内に嫌な感じの緊張が満ち、不穏な沈黙の時間が過ぎてゆく。

 ソセージはうつむいた姿勢のままだが、その瞳には怒りが見える。ソルキャベルは、内心冷や汗をかいている。スターミン商会には金と、裏社会とのコネがある。反撃に出られたら、こちらもそれなり以上のダメージをくらうだろう。


「……少々、よろしいでしょうか」


 ソセージの横に座っていた男が、突然口を開いた。先月の打ち合わせでソセージの補佐ということで紹介され、深々と頭を下げたきり、先月も今月も一言もしゃべらずにいた男だ。


「ゴル、黙れ!」


 ソセージが鋭く叱咤するが、補佐の男は話し続ける。


「ボンジー子爵様に特別にお許しをいただいたうえで、ボンジー子爵様の特別のご紹介ということで、特別な方だけに、私どもから限定数量だけ販売する、ということはできませんでしょうか?」


「……ふむ?」


「私どもはボンジー様にたいへんな恩義を感じております。ボンジー様が私どもの特別商品をお買い上げいただいている経緯も、僭越ながら推察申し上げております。……宰相様、それからテーバー公爵様といった、ごく特別な方々だけに、ボンジー様の特別のお計らいでお売りすることになりました、と丁重にご挨拶申し上げて、販売させていただくとなれば……」


「……当家の評判は上がる、か」


「は、私どもとしましても、新しいつながりを作ってくださったボンジー様に、よりいっそうの恩義を感じることになりましょう」


 ソルキャベルは、生真面目な顔でこちらを見ている、切れ長の目をした男を観察する。こいつは、相当なキレ者だ。

 自分たちの目的が、結局のところ、派閥の有力者である二人の貴族、宰相シロコーロとテーバー公爵に取り入ることにあると見抜いている。夜の薬は、そのための手段にすぎない。


 宰相と公爵には十分な金がある。何も、大事な予算を使って薬をただで献上し続けなくてもいいのだ。薬の入手方法を提供したということで恩を売れれば十分だ。実際、テーバー公爵からは時々、薬の入手法を教えてほしいという探りが入っている。


 それをスターミン商会に言い出せなかったのは、彼らに足元を見られて、薬に関する優先権を失うのが怖かったからだ。あくまで子爵家を持ち上げる形でやる、今後も子爵家の顔を立ててくれる、と商会側から約束してくれるなら、何の問題もない。


「……子爵にお話ししてこよう。このまま待て」


 ソルキャベルは立ち上がり悠然と部屋を出たが、廊下に出ると早足になった。



☆★☆★☆



 テーバー公爵家のメイドの午後は、客の案内やお茶出しで大忙しだ。


「業者応接に二人来てるからね。ギューカさんが対応してるから、お茶三つ出して」


「あ、はい、かしこまりました」


 メイド長の命令を受けて、厨房に行き、業者用の茶壺から取った葉をティーポットに入れ、熱湯をそそぐ。業者用とはいえ、相当にいい茶葉だ。


「手慣れてるねえ……。たいしたもんだ」


 横で別のお茶を入れていたメイドが感心する。


「けっこうな数のお屋敷を、渡り歩きましたから」


 これは本当だ。


「さすらいのメイドってわけね」


「ほんとうは定着したいんですけど、親が病気で、短期の仕事しか受けられないので……」


 これは嘘だ。短期の仕事しか受けないのは本当だが。

 そもそも、ファルネの仕事はメイドではない。

 熱湯にくぐらせたカップを手早く拭き、ポットと一緒にトレイに乗せると、ファルネは業者用の応接室に向かった。


 「影の姉妹」が、ネギマール伯爵から、第三王子をめぐる秘密調査の依頼を受けて一ヶ月あまり。

 ファルネが宰相派を調べて全体の政治情勢を探り、妹のファーレが王城で王子の周辺を探ることにした。

 ファルネはどうにか、宰相派の領袖といっていいテーバー公爵の屋敷に潜り込むことができた。ファーレはかなり苦戦しているらしく、あまりはかばかしい報告が来ない。


 テーバー公爵は先代が先代国王の従兄弟にあたる人物で、豪傑として知られた。当代は、趣味のよさと金離れのよさで知られる典型的な貴族だ。神輿として宰相派に祀り上げられているが、おそらく本人は議会支持者でもなんでもない。ただ、持ち上げてくる者のほうへふらふらと寄っていってるだけだ。

 政治的には無能の一語に尽きる。それが、ファルネの見立てだった。

 しかし、無能であるぶん過激に偏ることもない。宰相派のトップでありながら、第三王子の妻候補として四女のエリンギーナを送り込んでいるのがその証拠だった。

 エリンギーナは第三王子ミノリルにベタ惚れで、かたときもそばを離れないという。そのおかげか、ミノリル本人も宰相派の考え方に近づきつつあり、国王派と宰相派の仲介に乗り出そうとしているらしい。


 しかしそんなに簡単に仲介などできるわけがない、とファルネは思う。国王派が予算を王室で独占しようとしている理由はただひとつ、外との戦争だ。大国と呼ばれる地位を手に入れるため、隣のウオシガス国に攻め込む準備をしたいのだ。

 一方の宰相派は、貴族の生活向上をなにより重視している。もっと援助予算を寄こせ、本音はもうただこれだけだ。莫大な負担を強いられる戦争などに賛同するわけがない。

 両派の考え方に折り合う余地はほとんどなく、仲直りなど成立しようがない、とファルネは考えていた。当分は、顔は笑いながらテーブルの下でナイフを刺しあうような、陰険な争いが繰り広げられるだろう。

 そういった情勢の中で、宰相派に近づこうとしている第三王子が、政争の焦点になりつつあるのは確かだった。また、やや国王派ながら中立に近いと見られるネギマール伯爵の息子ツークが、王子の側近を離脱したことも、さまざまな憶測を生んでいた。

 依頼主ではあるけれど、ネギマール伯も政治的に有能とはいえないわね。そう考えながら、ファルネは応接室のドアをノックし、お茶をお持ちしましたと声をかけて中に入った。


「……はい、はい、私どもようやくボンジー子爵様に信用していただきまして、本格的に商品を提供できることに……」


「ほう……子爵様はなかなか教えてくれない、と旦那様はおっしゃってましたが……」


「それは大切な公爵様には完全に信頼できるものしか紹介できぬという子爵様の……はい……そうでございましょう……。いずれ公爵様に……はい、お目通りを……ええ……」


 整った顔立ちの中年の商人が身を乗り出して話しており、公爵家で薬に関することを取り仕切る中年の男、筆頭薬師のギューカが相槌を打っている。

 ファルネは失礼しますと小声でつぶやいて、テーブルにカップを並べた。ポットを傾けてお茶を慎重に注いでゆき……三人目のカップに注ぎ終えたところで、なんの気なしに目を上げた。

 そして、ポットを落としてテーブルに茶をぶちまけそうになった。

 一言も口をきかず、真面目な顔でうつむきがちに座っている男の顔に、見覚えがあったからだ。

 それも、嫌というほど。



☆★☆★☆



 その日の真夜中。ファルネは隠密用の黒い衣装に身を包み、公爵邸の庭の片隅の、真っ暗な場所でしゃがんでいた。

 公爵邸の周囲には十人以上の警備兵が配置されているし、邸内もつねに見回りがいるが、この地点だけは穴になっている。公爵屋敷の隠れた密会ポイントだった。とはいえ、灯りをつけたら一瞬で見つかる。夜目がきくものでなければ使えない場所だ。

 例の男が上司らしい男と帰ったあとの応接室。男の飲んだカップの底には、ファルネだけに意味がわかるメモが残されていて、この場所で待ち合わせしようと書いてあったのだ。


(はじめてこの屋敷に来たんだろうに、もうここを見抜いてるあたりが気に食わないのよね……。全く……! ていうか、書けばわたしが来るだろうと思ってるあたりがムカつくのよ……!)


 考えているとイライラしてきた。爪を噛みたかったが、黒手袋をつけているので噛むこともできない。

 仕方なく両手を広げて軽く振っていると、呆れたような声が、すぐそばでした。


「なにやってるんだ? 新手の体操か?」


「……ええ、手をきれいにする体操よ」


 どこから現れたのか、全くわからなかった。このわたしが。腕ききの密偵として、影の世界に名を轟かせるわたしが。

 動揺を見せないよう、声を作って言い返す。


「ゴロツキを待つなんてくだらない用事、美容体操でもやりながらじゃないとやってられないわ」


「クックック……。相変わらず、冗談は下手だな」


 低い、皮肉っぽい声が近づいてきて、すっと自分の横に腰をおろす気配がする。かすかに漂う男臭い匂い。

 ファルネの心臓が、緊張からなのか何なのか、理由もわからないまま鼓動を速くする。

 いまさらながら、ファルネは実感する。


 この男……正体不明のゴロツキは、本当に、本当に危険な奴だ。

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