第4話 「広瀬川プロムナードと、125CCのスクーター」

前橋市千代田町をながれる広瀬川沿いに、「前橋文学館」が建っている。

「萩原朔太郎記念、水と緑と詩のまち前橋文学館」というすこぶる長い名称がついている。

多くの詩人を輩出した、前橋市の風土と文化を象徴する建物だ。


 入口に、不安定な形で台座にもたれかかり、顎に右手を置き、

ひたすら思索にふける萩原朔太郎の銅像が建っている。

川に架かる「朔太郎橋」には、交友の深かった北原白秋や室生犀星、草野心平の

詩が書かれた銘板がはめ込まれている。


 「ねぇ。1時間くらいでかならず迎えに来て。

 今日は広瀬川の場所を覚えただけで、充分だもの。

 どちらかといえばわたしは、康平が作る夏野菜の料理へすっかり、

 関心が移っています」



 麦わら帽子を胸に抱いた貞園が、無邪気な笑顔を見せる。

解放された長い髪が、川面の風にさわやかに揺れる。

前髪が、白く輝いている額の上で、軽やかに舞う。


 「解った。君にはすっかりお手上げだ。

 この辺りの農家を回ってくるから、戻って来るのは丁度その頃だ。

 食べたい野菜の希望があるかい?。

 君のために、有ればついでに、それも調達してこよう」



 「路地で完熟したトマトが、好物です。

 カボチャや、トウモロコシ、ナスも好きです。

 このあたりで採れる小ぶりのスイカは、とても美味しいときいています」



 「なるほど。食べる方の下調べは、完璧に出来ているようだ。

 任せろ、全部まとめて探してこよう。

 群馬は、畜産と野菜の両方で、関東の胃袋を満腹にさせている農業県だ。

 夏には日本中で取れる野菜の、全ての種類が育つんだぜ」


 「あら。大きく出たわねぇ。

 南で育つ野菜は取れるでしょうが、寒冷地や高地のものは無理でしょう?」


 「残念。さすがにそこまでは、学習してこなかったようだ。

 群馬県は標高が、40~50mの穀倉地帯からはじまる。

 だが県の北部や西部に、標高が1000mを越える地域がたくさんある。

 高原野菜や、果実を育てる特産地が揃っている。

 ナシやモモをはじめ、寒冷地で育つリンゴも、高地で大量に採れる。

 嬬恋(つまごい)高原の夏キャベツは、全国的にも有名だ。

 君も嬬恋という名前は、聞いたことが有るだろう」



 「あら。嬬恋というのは、群馬県なの?

 山だと聞いていたから、てっきり長野とばかり思っていました」



 貞園が川沿いにおかれたベンチの上へ、スケッチの道具を拡げはじめる。

駅前のけやき並木の通りから、10分ほど歩けば広瀬川へ着く。

貞園は常に康平の、数歩前をあるき続けた。

時々、曲がり角で康平を振りかえる。

「右だよ」と言うと、「私もそう思った」と貞園が右へ曲がっていく。


 貞園の顏は、大きな麦わら帽子に隠れている。

台湾のメロディなのか、なじみの無いテンポの良い鼻歌が聞こえてくる。

ほのかな甘い香りと、軽快な足音が、康平の前を歩いて行く。



 (さっきまで気がつかなかったが・・・・

 台湾からやって来た18歳の、小悪魔みたいな雰囲気がある)



 正面から見た貞園の容姿に、思わず康平が心の中でつぶやく。

すらりと伸びた長い手足。胸に息づく乙女のふくらみ。

切れ長の目と黒い瞳。良く動く赤い唇。

少女の時代を飛び越えて、大人を思わせる妖艶な雰囲気が漂っている。


 「嬬恋は、長野と群馬の県境にある村だ。

 県の中央にそびえる赤城山を境にして、南には低地の平野が広がっている。

 北と西は、長野と新潟、福島と繋がる高地と山脈が始まる。

 群馬の農地の標高差は、最大で1500mを越えることになる。

 こんな特徴を持っている農業県は、全国的にもめずらしい。

 だから、日本国内で育つ農産物なら、何でも育つということになる」



 「個性的な土地柄ですねぇ。群馬って。

 ますます、康平の夏野菜が楽しみになってきました。

 はりきって絵を書きますから、康平くんも、それなりにはりきって、

 食材を調達してきてくださいね」



 「おう。自慢のスクーターでひとっ走りしてくる。

 10分で町中を駆け抜けて、長いすそ野を引く赤城山の山麓に着く。

 町中だろうが、狭い田舎道だろうが、スクーターは苦もなく快適に走り抜ける。

 じゃあな。また後で逢おうぜ」



 「ちょっと待った。康平。

 いま確か、乗り物は、スクーターって言ったわよねぇ」



 「おう、あおのスクーターだ。

 そのあたりを走り回るのに便利だし、今の時期は走っていても爽快だ。

 気持ちが良い乗り物だぜ、スクーターは」



 「決めた。面白そう。私もそっちへ乗り換えます。

 ねぇそれって、2人乗りが出来るサイズなの?」



 「ビッグスクーターじゃない。

 でも、125CCの小型自動二輪だから、2人乗りはOKだ。

 しかし買出し専用に使っているから、後部座席は荷物専用だ」



 「荷物スペースに、美女を乗せるのも乙なものでしょう。

 そう決まれば、善は急げだ。

 で、どこにあるの。康平のそのスクーターは?」



 「愛車はそこの2輪ショップへ、いつも置きっぱなしだ。

 いいのか。広瀬川のスケッチするため、わざわざ前橋まで来たはずだろう?」



 「このお天気です。

 スクーターに乗ったツーリングの方が、よほど楽しいのに決まっています。

 広瀬川は、放っておいても逃げないでしょう。

 またスケッチにやって来ればいいだけの話だもの。そうしましょう。

 乗せてよ康平。あなたのスクーターの後部座席へ」



 「俺は構わないが・・・・

 君は簡単に、行き当たりばったりで、路線を変更をするタイプだな。

 いいのかよ、そんな簡単に見ず知らずの男のスクーターの後ろに乗っても」



 「それを言うなら、決断が早いと言ってほしいわ。

 それに台湾生まれはもともと、大陸的な発想で、鷹揚な部分が取り柄なの。

 こまかいことには、こだわりません。

 康平は礼節を重んじる日本男子に見えるもの。安心して着いて行けます」


 

 ベンチに広げたスケッチ用具を、貞園があわててカバンへ回収していく。

次から次へバッグの中へ用具を放り込むと、麦わら帽子をちょこんと頭に乗せる。

「さあ行きましょう」と康平の右腕を、くるりと抱え込む。



 「いつか見た、『ローマの休日』の群馬版だわ。

 一度でいいから、してみたかったの。

 男性を後ろから抱え込んで、スクーターの後部座席へ座るやつ。

 うわ~、夢みたい!。今日は楽しいことが次から次へと実現するわねぇ。

 やっぱり素敵な街だ。前橋という街は!」


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