4.


 異様だ。

 周囲の高い建物に挟まれて、その路地裏に光はない。暗がりに猫が七、八匹ほど群れていて、その誰もが座っている。視線は壁際にいる一匹の猫に注がれていた。言葉を発するものはいない。壁際の青っぽい猫は、僕と同じくらいの年頃に見えるが、えらく落ち着いていて、丁寧に、丁寧に右前足を舐めている。もう一度ほかの猫たちを見ても、それをただただじっと見ているだけ。暑さに頭がやられたのかと思うほどに、みんな、ぼーっとしていた。

「なんか、こわくない?」

 ビビが後ろから僕にささやく。

「じゃあ帰るか」

 振り返ってそう言うと、ビビは首を横に揺らした。もうすこし様子を見ようと言いたいのだろう。だが、その腰は引けていた。

 前へ向き直ると、青猫がこちらを向いていた。その目も青く輝いている。驚きはしなかったが、心に突き刺さるようなそいつの視線に、僕はたじろいだ。横でビビがへたりと座り込んだ。

「きみたち、初めて見る顔だな」

 青猫が無表情のまま喋る。結構な距離が開いているのに、その声は耳元から聞こえた。

「なんか、やばいやつだ、きっと」

 ビビの言葉は、僕の心の声とまったく一致した。僕は見たくもないそいつの目を見つめ続けた。警戒している、という気持ちを表すためには、目を逸らしてはいけない。

 けれども、青猫のほうはあっさり目を逸らし、それから、地面と僕らのほうを交互に見ながらゆっくりこちらへ近づいてきた。周りの猫たちは、青猫を見つめたまま、首だけをそいつの歩みに合わせて傾けている。

「怖がらないでくれよ。ぼくだって、これ、不本意なんだ」

 青猫は、何度も瞬きをして、敵意がないことを表明しながら僕らのそばまで来た。声もなるべく優しいものを作ろうとしているのが分かるが、表情はずっとニヒルなまま。僕は目を離すまいとした。そんな僕を見て、青猫はひとつため息をついた。

「警戒されてるみたいだね……場所を変えて話さない?」

 その提案に乗っかってもいいかもな、と僕は思った。青猫自体というより、この空間こそ、気味が悪かった。

「後ろの奇妙な集団がついてこないのなら」

「え、こいつと話すの?」

 驚いた口調でそういうビビに、「ここから離れたくないのか」とささやいた。ビビは納得したらしく、黙り込んだ。

「もちろん、ぼく一人で行くよ」

 青猫がそう言って、歩き出そうとすると、

「教祖様、どこかへ行かれるのですか?」

とその後ろから声がした。声の主は集団の一匹、メスの三毛猫だった。

「ちょっとね、すぐ戻るよ」

 集団に声をかけたあと、こちらを向いた青猫は苦笑いをしていた。僕はその苦笑いひとつで、こいつへの警戒を解いてしまった。



 〇



 青猫とともに、なわばりまで戻ってきた。やっぱり、この風景が一番落ち着く。

「珍しいだろ、この体」

 青猫が口を開いた。

「色のことか」

「そう、だから、いつの間にか崇められてた」

 青みがかった灰色の猫はごくまれに見かけるが、ここまで青いものは見たことがない。ほとんど真っ青で、美しい。ちらりとビビのほうを見ると、真っ白で、これまた美しい。いやになる。

「でさ、ぼくはきみを見たとき、ぴんときたんだよ」

 青猫は神妙な顔で話す。

「きみは、オスの三毛猫、だろ」

 胸が強く痛んだ。その言葉だけで、僕には青猫の言いたいことが分かった。ビビも分かったらしく、一歩、青猫のほうに寄った。

「ああ、そうだ。良く知ってるな」

「ぼくは昔、人間に飼われてたから。、いい友達になれるんじゃないかなって思って」

「傷の舐め合いなんか、まっぴらごめんだ」

 いやな記憶を払拭するように、わざと強い口調で返した。僕はそんなこと、気にしていない。一緒にするな。

「ごめん、そうだよな。言葉に気を付けるべきだった」

 ああ、そういうのが余計にいやだ。べつにお前が悪いわけじゃないだろ。

 悪いのは、人間だ。


 オスの三毛猫は、遺伝子学的にとても珍しく、非常に価値が高い、らしい。人間にとって。

 そんなくだらないことのせいで、僕にはいやな思い出がたくさんある。


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