2.


「本当にそこが好きなんだね」

 ぼーっとしていると、少女が声をかけてきた。僕が人間なら「あなたこそ、ここがよほど好きなんですね」と、わざとよそよそしく返事してみせるのだが、あいにく人語を話せるように猫の声帯は出来ていない。

 少女……Lだったか、Mだったか――は最近よくここに姿を見せる。たぶん、夏休みというものだろう。決まった期間休む、という人間のお決まりは、はっきり言って意味が分からない。休みたいときに休むほうが、合理的じゃないだろうか。休みたいのに休めないのも、その逆も、いまいちだ。だから僕は真昼からこうして休んでいる。なぜなら、休みたいから。実に合理的だ。

 ちらりと少女に目をやると、白いワンピースが揺らめいて、その後ろにぽつぽつ咲いた黄色い花が見え隠れしている。ああ、これなんかも夏だ。暑くなければ、夏は目にいい。

「隣、いい?」

 彼女は僕の反応を待たず、隣に座る。話しかけられるのは面倒だが、ビビが帰ってくるまでは相手をしてやっても、まあ、いいか。何より僕は、ここを動きたくない。

 ――高架下だ。だが、あまりにも高いところに橋があるせいで、ここにいても大抵、斜めから日差しが入ってくる。唯一涼めるのは、この真昼近く、太陽がまったく真上にある時間帯くらいだ。

 僕は、というより猫なら誰しも、暑いのが嫌いだ。寒いのも嫌いだ。わがままだが、わがままも許されるのが、猫だ。家猫だった時代は、暑いです、という顔をすれば、冷房を入れてもらえた。適温に近づけば近づくほど、僕はぶすっとした表情を緩めていく。ちょうど良くなれば、にこにこしてみせればいい。僕は快適。可愛い僕を見て家族は幸せ。夫婦喧嘩も、兄弟喧嘩も、それでおしまい。猫がいれば、戦争だって無くせるんじゃないかと、本気で思う。


 ところで、これほど直射日光を必死で避けようとしている僕に、どうして「光合成」という名前を付けたのか、少女に聞いてみたいのだが、あいにく、だ。コミュニケーション、といって僕に出来るのは、「イエスだったら近寄って見つめる、または可愛らしく口先を使って『にゃー」と鳴く」「ノーだったら喉から『にゃっ!』と叫んだり、毛を逆立てる」とか、その程度になる。まあそれは十分に伝わっているらしい。古来から猫の感情表現がそうだったのか、人間の解釈できる表現を見つけた先人たちが作った習慣なのか、僕には分からない。が、とにかく現代の猫たちは、伝わるように大げさに演技をしている。人間というのは、言葉に頼り切っているせいで、それなくして相手の気持ちを汲み取るのが苦手らしく、すこし面倒だ。

「光合成はさ、彼女とかいないの」

 ちょっぴり、毛が逆立った。平静を装わないと。人間の言葉が分かるとばれたらそれも面倒だ。

「毛並みも整ってるから、もてそうだけど」

 僕はこんな田舎あたりの女たちとは釣り合わない。人間と暮らしたせいか、おかげか、無駄に博識になってしまった。言葉もそこらの野良猫よりは洗練されていると思う。たぶん、僕の軽妙なトークについてくる猫なんてこの辺りにはいない。

 じょわじょわじょわ、と、なんだか間抜けな蝉の声が高架下に響く。さすがに蝉語は分からない。少女は長い髪をかき上げて、僕の毛艶をじろじろ眺めたあと、小さな手のひらで、背を撫でてきた。ああ、最高。僕は背中が一番弱い。首が弱い猫も多いらしいが、僕は断然こっち派だ。

「お客様、かゆいところはございませんかー」

 ないからもっと続けたまえ。そのまま、そのまま。

「お客様、ここは――」

 少女の声が遠くなる。ああ、これはたぶん、寝てしまう……



 〇



「起きてってば」

 ビビの澄んだ声がする。その声というより、僕はきっと、暑さで起きたのだろう。見なくても分かる。日は水平線から六十度くらいか、僕の全身はひなたにあった。

 そういえば、昼寝をすればいつもこうなる。もしかして、この姿が光合成をしているように見えるのだろうか。

「起きてよ」

「起きたよ」

 口を必要以上に大きく開けて、あくびをした。この瞬間も最高だ。あくびの余韻が終わらないままに、ビビに聞いた。

「どうだった?」

「だめだったよ」

 だめか。

 ビビにはこの辺りでの「出会い」を探してもらっていた。つまり人間界で言う、合コンのようなものを開こうかな、なんて思っていた。まあ、田舎だから、大した女はいないにしても、まあ、まあ、なんて。

 こういうとき、ビビは役に立つ。少女は僕を褒めていたが、ビビのほうが僕の数倍恰好はついている。白く美しい毛並みに、透き通った青い瞳。きっと話し方や振る舞いも、ビビりなところも、母性本能とやらをくすぐったりするのだろう。同性を褒めすぎるのもなんだが、はっきり言って美少年だ。母子家庭だったせいで、ビビりのくせに女慣れしているのも、小憎らしい。

「お前が行って、だめって、じゃあもう完全にだめだな」

「うーん、ていうかなんか、猫がいないんだよね」

「いない?」

 いないと言えば、少女もいない。まあ僕が起きるまで待っていられても困ったが。

「うん。今日は何か、あるのかな」

 少女のように、猫に餌付け――じゃ、なかった、捧げものを納める人間が多いのなら、この辺りは野良猫が増えても減ることはないと思うのだが……

「気になるな」

「ね」

「今日は探検でもするか」

 僕のその言葉に、ビビは目をらんらんと輝かせて、しっぽをピンと上に立て、ぶんぶん振った。

 おいおい、それは人間相手にやるやつだろう。大げさだなあ。






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