第932話 壁の魔法騎士と天国

【前回のあらすじ】


 壁の魔法騎士、アザトビームを喰らう。


 妄想は全然はずかしくない男なら誰でも抱く感情であるということを証明するべく、その身を投げ出した壁の魔法騎士。しかしながら、卑劣かな邪神の策略により、その妄想が白日の下にさらされることとなった。


 アザトビームを受けて倒れた壁の魔法騎士の身体から、もくもくとくゆりたつ煙。それは、壁の魔法騎士が抱いている妄想の思念体。彼の中にある妄想が具現化したものだった。


 はたして、徐々に輪郭がはっきりしていく煙が取ったのは――。


「全部!! 同じ顔!! けど、着ている服装や背丈が微妙に違う!!」


「同じ女を深く愛するのはたいしたものよ!! しかし、一人の女しか愛せないとは、男としては悲しいものよのう!!」


 彼が生涯唯一愛した女、ユリィこと男騎士の姉であった。

 夫としては正解なのかもしれないが、男としてはいささか情けない妄想。

 奥さんのこと大好きか。


 とにかく壁の魔法騎士の妄想は――別の意味で恥ずかしいのだった。


◇ ◇ ◇ ◇


「くっ!! いったいどうなったんんだ!! 俺の妄想は具現化されたのか!!」


「ぜ、ゼクスタンさん!!」


「ようやくお目覚めか……。くくっ、見るがいい、貴様の恥ずかしい妄想を。これはまた、人様に見せるのがとてつもなく躊躇われるひどいものだぞ」


「だ、ダメだゼクスタントさん!! 見ちゃいけない!!」


 魔性少年が咄嗟に壁の魔法騎士の前に出ようとする。だが、それを許すような邪神ではない。すぐさまデビちゃんが操っていた触手が魔性少年の身体を縛めたかと思うとその動きを封じた。


 壁の魔法騎士がサングラスをこすって辺りを見回す。

 声のする方、先ほどまで気配のなかった方に視線を向ければ、そこには大小老若様々な彼の妻――その妄想が溢れかえっていた。


 絶句。思わず真顔で言葉を失う壁の魔法騎士。

 邪神がほくそ笑み、魔性少年が絶望に肩を落とす。あまりにも恥ずかしすぎるその光景。もはや恥ずか死まったなしかと思われた。


 だが、しかし――。


「ここは天国か?」


「なっ、なにぃいいいいっ!?」


「ゼクスタントさん!?」


 壁の魔法騎士。

 全肯定で自分の妄想を受け入れる。

 天国かとは流石に言い過ぎな気もするが、とにもかくにも壁の魔法騎士は全力で目の前の光景を受け入れていた。


 これには逆にそれを見ていた方が絶句する。


 いいのか、この妄想を認めてしまっていいのか。

 たしかに妻が大好きという気持ちは伝わってくるし、それは全然ダメな話ではないのだけれども、愛がいささか重すぎる気がする。

 右を向いても、左も向いても妻だなんて、それはそれで恥ずかしくはないのか。


 しかし壁の魔法騎士は真顔で目の前に広がる地獄のような光景を眺めていた。

 そんな彼の下に、一人の妄想――彼の妻が歩み寄る。


「おつかれなさいゼクスタント。今日も騎士団のおつとめごくろうさま」


「……あぁ、ユリィ。今日も疲れたよ。まったく俺がいないと騎士団はほんとダメでさ。まいってしまうよ、ははは」


「またそんなうぬぼれちゃって。師匠に調子に乗るなって怒られるわよ。けど、夜遅くまで頑張ってたのは本当だものね。えらいえらい」


 そう言って妄想の妻が壁の魔法騎士の頭を優しく撫でる。

 当然、影働きをしていたとは言っても騎士は騎士である。壁の魔法騎士は筋骨隆々、結構いい体格をしている。


 その頭を撫でるとなれば、当然普通の体勢では出来ない――。


「じ、自分から頭を下げている!!」


「こやつ、自分から撫でられに行っている!! しかもナチュラルに、流れるような所作で頭を下げよったぞ!!」


 壁の魔法騎士はまるでこの一連の流れを察したように自分から膝を折ると、自ら妻に向かってその頭を差し出したのだった。


 魔性少年と邪神が驚くのも無理もない。

 いい歳をしたおっさんが、恥も外聞もなく妻にデレデレと甘えに行くのだ。


 当人はニコニコ大満足の様子だが、見せられる方としてはとんだ地獄である。

 なにを見せられているんだ、自分たちはいったい何に巻き込まれたんだ。そんな感じで、邪神と魔性少年二人は、目の前のおっさんとその妻の夫婦の一幕を見せつけられることになったのだった。


 そんな所に――。


「ちょっと!! 今日は早く帰って来るって約束したじゃないの!! どうしてこんなに帰ってくるの遅くなっちゃったのよ!!」


「ゆ、ユリィ!!」


 さらにもう一人、妻が彼に絡んでくる。

 しかも話の流れ的に同じシチュエーション。仕事を終えてくたびれて帰ってきた壁の魔法騎士を、家で出迎えてくれる感じの奴だ。


 姿格好もほぼ同じ。

 違う所と言えば――ちょっと眉間に皺が寄っているだけだろう。


 そんな顔色に怒りを滲ませた壁の魔法騎士の妻は、出迎えにやって来たというのにぷくりと頬を膨らませて、壁の魔法騎士から顔を背けた。


「ご、ごめんよユリィ。カロッジの到着が予定より遅れてしまって、彼を待っていたらこんな時間になってしまったんだ」


「言い訳は聞きたくありません!! どうして約束を守ってくれないの!! 私と仕事、いったいどっちが大切なのよ!!」


「そんなの、ユリィに決まっているじゃないか。俺を困らせないでくれ」


 ほんと、何をしているんだ。

 仲の悪い夫婦とみせかけて熱々な奴じゃないかと魔性少年が固まる。これは下手なラブラブかっぷるよりも、よっぽどお熱い奴じゃないかと邪神も固まる。


 壁の魔法騎士の恥ずかしい妄想を見て酷評する立場にあったはずの二人は、彼らの想定したラインを越えて展開される物語に、もはや完全に放心していた。


 そんな戸惑う二人の前で、壁の魔法騎士はむくれる妻をそっと抱擁する。


「本当は、俺だってすぐにでも帰って来たかったさ。今日は二人の大切な結婚記念日じゃないか」


「……ゼクスタント。覚えていてくれたのね」


「ごめんな、大切な記念日に仕事なんかで遅れてしまって。こんなことなら、カロッジの奴なんてほったらかしてさっさと帰ってくるんだった」


「いいの、謝ってくれるなら。それよりもっと強く抱きしめて」


「……こうかい?」


「もっと」


「こうかい?」


「もっと、貴方を強く感じさせてゼクスタント」


 そして始まる濃厚な男女の逢瀬シーン。


 なるほど、これは確かにこっぱずかしい。

 こっぱずかしいが、見ている方もこっぱずかしくなる。しかも世代がちょっとずれているあたりが、余計に二人のやりとりを滑稽に瞳に映らせる。


 魔性少年、そして邪神も揃って顔を背ける。

 もはや正視不能。見せつけてやると繰り出した壁の魔法騎士の妄想は――恥ずかしいを通り過ぎて、もはや精神的なバッドステータスを引き起こすレベルのさんざんなものであった。


「ねぇ、キスしてゼクスタント」


「え、こんな所でかい?」


「お願い。貴方の愛を確かめたいの」


「しょうがないな、ユリィは……」


「「ヤメロォーッ!」」


 大人のキスをしようとする二人を、魔性少年と邪神が揃って真っ赤な顔で止めたのは仕方のない話の流れであった。

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