第486話 ど隊長さんと愛しき日々
【前回のあらすじ】
ついに女エルフは養母の幻影と決別した。
彼女は自らの意志で己の人生を肯定し、男戦士と共に生きる未来を勝ち取った。
養母を救うためではない。
自分のために人生を選択した。
彼女は養母の幻影から解き放たれた。
それはつまり、越えなければいけない人生の影――過去を清算したことに他ならない。彼女は自分の人生を、この時はっきりと自分の意志で歩み出したのだった。
さて。
いい感じに女エルフの暗い過去編が終わった所で――。
同じく精神的な時の部屋に入った、野郎共のターンです。
「隊長はともかく、ヨシヲと店主はろくな感じがしないなぁ……」
モーラさんいけませんよ、誰しもそれなりの過去というものを人間は持っている物なのですから。隊長もヨシヲも店主も、この作品きっての変態には違いありませんが、変態には変態になるだけの、変態な過去があるものなのです。
そしてそれと、彼らは立ち向かわなくてはならないのです。
「……それって変態が治るってこと? それとも?」
それは本編を読んでのお楽しみ。
◇ ◇ ◇ ◇
迫りくる死霊の軍団を斬り伏せる。
まだ見える隊長の左目がそれを捉えている。
彼は得意のシャムシールではなく、諸刃の
洞窟――カタコンベの中に群居した死霊の軍団。
骨を動かし、鎧を着こみ、剣を振るって隊長たちに迫ってくる。
そんな者どもを、鍔迫り合いにて押し込め、押し留めて、隊長は斬り退いた。苦悶の表情と共に出口を求めてさまよった。
とにかく、この洞窟を脱出しなければならない。
握りしめた手の重みが増す。
襟首を掴んで引きずっていた、赤毛の女の瞳から光が消えていた。
艶のある茶色い髪の女だ。
男のように髪を短く切りそろえている。
睫は短く、鼻先にはあばたが浮いている。
着込んでいる鎧は民生品で、なんの変哲もない鎧だった。
死霊の兵に奪われた右脚から、おびただしい量の血が出ている。
彼女が死霊に憑りつかれて隊長に向かって襲い掛かるのは、そう遠くない未来の光景に思えた。
それは、冒険者が死霊系の魔物と出会ったときに覚悟しなくてはいけないこと。
この洞窟の中に潜った時から、そうなるかもしれないと思わなくてはならなかったこと。全て覚悟はできていた。
この依頼を受けた時から、こうなった際には、生きている者は仲間を見捨てて一人で洞窟を脱出すると、彼らは誓いを立てこの依頼に臨んでいた。
それでも彼女を離すわけにはいかなかった。
「……死ぬな、ジェシカ。大丈夫だ、大丈夫。足がなくなっても、腕がなくなっても。肉体があれば。教会の蘇生魔法で復活することができる」
彼女を勇気づけるためではない。
隊長は自分を勇気づけるためにその言葉を呟いていた。
だから声量は必要ない。
囀る様に口にするだけでいい。
噛み締めるように言うだけだ。
彼の手が掴んでいる、乙女からの返事はない。彼女は既に、斬られた脚の先から血も魂も流しつくしてこと切れている。
一縷の望みを抱いて洞窟を退く。
確かに通った、ここまでの道のりを思い出しながら彼は退歩する。
その時、死霊の兵の群れを突き破って、槍を持った兵が現れた。
胡乱というよりも、生気のないその目は、白目を剥いているが確かに隊長とその手が握りしめる女を睨んでいた。
男。
どこかその顔つきは、隊長に似ていた。
隊長の顔に青みが差す。
「……やはりお前なのかラガート」
槍の男は体をあり得ぬ方向に曲げて、それから死霊の兵たちと共に隊長に躍りかかった。変幻自在に槍は宙を舞い、その切っ先は夜空を走る流星群の如く、何度も何度も隊長の体へと降り注いだ。
それを全て、
鋭い突きも、肉を削ぐ死霊の兵の斬撃も、全ていなして隊長は、ただその目の前の死量の兵も、手の中の死んだ女も傷つけないよう、涙ぐましくなるほど愚直に立ち回った。
死人の兵の槍がしなる。
大ぶりの一撃。
狭い洞窟の天井を引き裂いて、繰り出されたその一撃は、抜刀術の理に従って、天井のひっかかりから解放された瞬間に神速の域に達する。
生前の調練が行き届いていたということだろう。
鋭きその槍の軌道は、無慈悲に隊長の顔へと降り注ぐ。
それを半歩退いて避けようとした彼だったが――くんと肘を伸ばした死霊の兵の技により、その左目に赤い三日月が鮮血と共に現れた。
ぐぅ、と、唸る。
思わず、離しそうになった手の中の女。
しかし、それでも――。
「違う!! 俺は見捨てない!! 絶対に今度こそ!! 彼女を無事に連れてこの洞窟を脱出する!! 逃げたりなどしない!! 運命から!!」
力を失った指先に再び血が通う。
力が通う。
それが隊長には分かった。
隻眼の戦士は、いつもならば諦観して、笑って誤魔化すだろうその状況に、歯を食いしばってとどまった。いわんや、彼の試練はまさしくこの場であった。
彼は過去、仲間を見捨てて逃げ帰った、その瞬間に立ち会っていた。
そしてその過去を変えるべく。
打ち勝つべく。
真に望んだ未来に向かうべく、その指先を強張らせて声を張り上げた。
悲痛なる男の絶叫が洞窟の中に木霊する。
死霊の兵たちは、隊長の上げた雄たけびにひるむことはない。
されども、半歩後ろへと進むその足は早まり、槍を持った死人の戦士から、彼はひと息に大きく離れた。
背後を振り返る暇はない。
深く入り込んだ洞窟を、人を一人引きずって進むことは難しい。
それでも隊長は諦めない。おそらく、過去の彼であったなら、諦めて背中を向けて逃げ出していただろう。
しかし、彼は真に友と頼む男と共に挑んだ戦で、運命を恐れない心を知った。
残酷な宿命に打ち勝つ経験をした。
だからその足が止まることはもうない。
もうないのだ。
「俺は打ち勝つ、絶対に打ち勝つ。たとえ手の中のジェシカがまやかしで、目の前のラガートがまやかしでも、俺は望んだ未来にたどり着く。自分が望んだ未来をつかみ取ってみせる」
彼の背中に微かに明るい光が差し込んでいた。
まるで彼の試練の終わりを告げるように。
輝かしい日の光が、隊長の背後には満ちていた――。
「もう俺は、俺を見限らない」
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