第487話 どヨシヲさんと黒歴史
【前回のあらすじ】
隊長は過去に見捨てた仲間を救うべく、死霊の群れと戦っていた。
襲い来る死人の兵を
力強く、半歩を退って、洞窟の出口を目指して進む。
彼はそう、鋼のような意志により、過去に自分が犯した過ちと違う未来を掴もうとしていた。そしてその未来は、彼の背中へと温かく降り注ぎ、彼を祝福しようと待ち構えている。
隊長の夜明けは近い。
「……あれ、まとも!?」
という所で、拍子抜けするくらいあっけなく、過去に打ち勝とうとしている隊長さん。
流石にヨシヲと共に国を救い、ふっきれた男は強かった。
運命に打ち勝ち、レベルアップするのは簡単だった。
そんな隊長さんの相棒。
今回はどヨシヲさんのお話です。
◇ ◇ ◇ ◇
「ブルック!! お前は本当に何をやらせてもダメだな!!」
「ブルック、こんな簡単な計算もできないのか!!」
「ブルック!! お前のような馬鹿者が身内だと思うと恥ずかしい!!」
「人の気持ちを考えろブルック!! お前には人に対する敬意がない!!」
「愚か者め!!」
「痴れ者め!!」
「恥を知れ!!」
「この人間の出来損ないめ!! お前の代わりなどいくらでもいるのだ!! 何者にもなる覚悟もないのなら、口を噤んで俯いて生きろ!! 真面目に生きている我が一族に失礼だ!!」
ヨシヲと同じ顔をした男たちが、次々に彼を非難していた。
その顔は加虐の愉悦に満ちている。罵る言葉には、彼らにとってすこぶる心地よい、揮えば飛び散るような匂い立つ酸鼻な毒が塗り込まれている。
それを鞭のようにしならせて、彼らは次々にヨシヲを罵倒する。
否定する。
拒絶する。
断定する。
ただただヨシヲの在り方を。
彼という人間の尊厳を踏みにじり、加虐の愉悦に浸る男たち。
彼らは何も言い返さぬ子供の姿のヨシヲに向かって、口々に汚らしい言葉を並べては、下らぬ嗜虐心を満たしていった。
人に向かって放たれた言葉に力は宿る。
往々にして、それは過ぎたる劇薬である。
人の心は脆く儚く、たった一つの言葉を選び間違えるだけで、ひびが入るようなものである。他者に向かい振るうのは、言葉よりも態度を伴わなくてはならない。
態度なくして振るわれる言葉は、所詮、人を傷つけるための暴力でしかない。
人の心の上面をなぞる様な冷たい言葉の刃に、しかしブルックと呼ばれた少年――まだヨシヲではなかった頃の彼は、ただ瞳を閉じて耐えていた。
「なんとか言え!! ブルック!!」
「まともに口も開けぬのかこの暗愚!!」
「どこまでも我が家の恥だ!! 死んでしまえ!!」
身内から浴びせかけられる非難の言葉ほど、人の身に沁みて苛むものはない。その身を内から焼かんとする激しいその罵詈雑言の言葉を彼は――。
「……おいたわしや、父上、兄上」
受け止めた。
ただ、その言葉を受け止めた。
おそらくそれが悔しくて、耐え難くて、彼は自分の人生から逃げ出した。
青い運命に導かれて――そう自分を欺瞞することにより、なんとか自我を保った。そして、根拠のない自信に寄りかかり、それを杖にして戦いを続け、ようやく彼は自分というものを確立した。
本当に自分の信じる己になることを果たした。
そんな誇れる自分になってみて、過去の自分と相対する。
しかし、それは身を裂くような辛いものでも何もない。
ただただ悲しいものであった。
成長し、何かを成し遂げたからこそ見える。また、多くの失敗と後悔を経て、それでも今、立っているからこそ見えるものがある。
幼きブルックは顔を上げる。
たちまちその姿は、青い外套を身に纏った魔法戦士へと変わった。
彼が望んだ姿。
ブルー・ディスティニー・ヨシヲとなっていた。
眉を顰める彼らの肉親たち。
その顔つきは変わらない。
ただ、ヨシヲだけが、変わっていた。
男として、人間として、二つの足でその場に立ち、毅然としてその悪意の視線に立ち向かっていた。
「父上。貴方は名門のスカード家に産まれながら、才なく、芸なく、人に媚びるだけの器量もなく、ただ、威張り散らすだけであの家を衰えさせた。祖父の代には確かにあった、近隣貴族の信頼を裏切り、向けられる期待の言葉を裏切って、それを頑なに周りのせいにし続けた。自分だけが正しい、自分だけが真実である、自分の捉える事象のみが万物万里不変のものだと信じて疑わぬその高慢さに、貴方の下を母さえ離れた」
「……黙れ!! 黙れ!! 黙れブルック!! この愚息が!! そんなことはない!! そんなことはない!! そんなことがあってたまるか!!」
絶叫して、ヨシヲの父は頭を抱えた。
どす黒く染まった彼は、そのまま泥のように溶けると、水たまりのように彼の足元に広がった。そしてそのまま床に染み入る様にその姿を消す。
次にヨシヲは二人並ぶ、自分と同じ背丈をした男の一人――もっとも年上の兄と思しき男に視線を向けた。
「キルディス兄上。貴方は狂った父の姿から、何も学ぶことをしなかった。いいえ違う、ただ門地に引き籠り、自分の引き継ぐべき地盤の領民に対して、尊厳ではなく過剰なまでの嗜虐心を持って接するというそれだけを学んで成長した。私が去ったあと、あの領地がどうなったのか、風の噂に聞いている。古くからの領民たちは近隣の貴族を頼って移住し、畑を耕すことのできなくなった貴方は、得体のしれぬ流民を受け入れた挙句、彼らから手ひどい裏切りを受け、その首を門に飾られた」
「黙れ!! 黙れ!! 黙れブルック!! 私が正義なのだ!! 私が正義なのだ!! 天は見ておられる!! 私の為すことが全て正しいのだ!!」
彼もまた泥のように溶けると地面の中へと消えていく。
最後まで、彼の父と同じく、自分の正しさを虚しく叫びながら。
ヨシヲの瞳に涙が浮かぶ。
彼はそれを言いながら、続けて、最後に残った男に視線を受けた。
「イアン兄上。私の後に家を出た貴方が、どのような末路をたどったか、私はよく知っています。助けに行こうと動いた時には全てがもう遅かった。兄上、貴方はあろうことか邪教の神を奉り、多くの弱き人々を惑わして、そして信徒の娘をかどわかした。けれども彼女は劇毒をその懐に持っていた。我らのような貧乏貴族ではなく、公爵家の一族に連なるその娘は、貴方が紛い物の教祖であると知ると早かった。貴方を一族の力を借りて捕縛・監禁して口にするのも憚られるようなやり方で嬲り殺した。貴方の虚栄が招いたことだが――それでも私は貴方を救いたかった」
「黙れ!! 黙れ!! 黙れ!! 黙れ!! 私は神の御子なのだ!! 私こそが神なのだ!! 私こそ、私こそ、私が――!!」
「人は神にはなれぬのです。なれるのは人のみ。ただ、弱い自分の延長線上にしか、自分は存在しない。根拠のない自分を信じて、ただその弱い自分と共に、誰にも恥じることなく一歩を進めていくしかない」
「黙れ!!」
しかしその怨嗟の声は、どろり黒く塗炭のように溶けて、ヨシヲの前に消えた。
ヨシヲを取り巻いていた彼を呪うその声は、もはやどこからも聞こえなかった。
ヨシヲは打ち勝った。
いや、既にもう、打ち勝っていた。
「父上、兄上。私は成りました、自らの信じる己に。貴方たちに押さえつけられ、怯えるだけの私はもういません。そう、私は――俺は」
ブルー・ディスティニー・ヨシヲ。
家族の呪いも。
タナカの呪いも。
全て跳ねのけて。
男は毅然と言い切った。
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