第1話 卒業式の婚約宣言

01


 ソレは、ある意味で狙いすましたかの様に。

 否、狙いすましていたのだろう。

 この晴れの日……何故か、この学校の「卒業式」は雨が降らない事で評判だ。「入学式」の時は何年かに一度の割合で雨が降る事もあるそうだが、そのあたりは魔法省あたりの予知報で知る事が出来るらしい。


 その晴れの日、ある人物は長い長い溜息を我慢する事に労力を必要としていた。

 周囲の視線から、この場であくびの一つでもした日には何て言われるか判ったものではない。だが、とてつもなく疲れ果てていたのが事実なのだから勘弁して欲しいのが素直な意見だ。

 今なら、請われれば昔語りの悪魔に魂を売ってでも安らかな眠りを願うかも知れない……とまで想像してから、そんな事を許した日には永遠の眠りにされそうだとまで想像して眉根を寄せる事となった。


 派手なドレスと言うわけではないが、それはマントの上からに過ぎない。

 黒いマントは縁取りも黒で、頭に乗せた帽子も黒だ。

 黒は深淵に到達した者、つまり最優秀な生徒である証……近年は教師を買収して金で得る者もあるらしいが、そんな紛い物は世間に出れば即座に発覚するので意味はないとも言われている。また、買収行為は判明しているが積極的に権力者側から差し止められる事がないのは、「金と権力の使いどころ」と言う意味でも評価の一つだからだ。その為、本人に実力は無くても「黒」を身にまといながらも扱いが実力以上と言う事になる場合があるのも、また社会に出て立ちまわり方を評価されている、と言う事になる。

 しかし、彼女は自らの力で勝ち取った黒い帽子とマントを誇らしげに着こなしている……少なくとも、見た目には。とてもではないが徹夜明けでここ数日はろくに休んでいなかったとは思えぬ程に凛として背筋を伸ばしている。


「それでは、これより卒業式を開始する」


 学校長……彼は公爵家の者だが代々叩き上げだ。ちなみに、高い位にある者特有のトレードマークはない。頭が寂しいとか体型が幅広だとか言う事もなく、かと言ってこの役職が不人気かと言えば侯爵家以上の家では毎度争奪戦が繰り広げられていえるそうだ。理由は微妙に不明だが、恐らくはこれから成長する若人が将来の黒歴史認識をする情報を入手する事を建前で領主だったり爵位だったりするより楽な仕事だと思われているのだろう。

 もしくは、研究家気質が大量発生していると言う噂を採用させて貰いたい。

 毎年、学校には決まった固定の公式行事があって。学校長以下の役職持ちは公式行事以外は表立って動く強制力はない、と言う事になっているのである程度の役職持ちの教師の顔を拝むのは非常に困難な場合があるのは確かだ。


 どうして、こう……どこの国もそうかはともかくとして。最初に地位の高い人物の挨拶から始まり。結果として何人も続き、悉くが長いのかと言えば最初に挨拶をする学校長が短いからだと言われている。

「まずは言おう、諸君。

 卒業出来る者はおめでとうと」

 これだけで退場であるが、これは後に続くお歴々に気を使ったのではなく単純に本人が長い話を不得手と言うより面倒なだけだろうと言う事は、ある程度この学校に在籍している者の共通意見だ。

 しかしながら、他のお歴々は発言の長さが己の地位の高さと同一視している都市伝説があり、その為に長いとか自己アピールとして自分の為に役に立てと言う主張だと言う噂もある。

 学校長と言うのは、国全体から見れば地位としては決して高くはないと言うのも理由の一つだろう。


 それから、延々と権力者な皆さまからありがたい筈なのに子守歌にしか聞こえないお歴々の話を聞いて誰もが笑顔なのは、大多数が貴族かここ数年での貴族との渡り合いの仕方を学んだからだ。笑顔である事がポイントなので、ここに来て平然と顔をしかめたり欠伸をしたり、ましてやこくんこくんと舟を漕いでいる様な真似をすれば評価は著しく下がる……高い地位の貴族やら、ましてや国内外の著名人が現れる公式行事の場で幼子を微笑ましく見守る保護者の様な人々がどれだけある事か……。


「卒業生退場」


 恐らく……教職員を含む全ての参加者が今にも精神が落ちかけた時に、まるで天の福音のごときもたらされた声でどれだけの人々が心中でほっと溜息を洩らした事かと思った時だった。


「お待ち下さい」


 遮る声が出たのは、卒業する生徒の中からだった。

 それは、どこからどう見ても10人中8人は振り返る程に見目の良い造作の人物だった。

 男子生徒、立ち上がり壇上へと近づく一人に追随するのは数人の生徒達だ。誰もがこれから卒業するローブと帽子を身にまとっているあたりから上位成績者なのだろう、黒いものを身にまとっている者が一人もいないと言う事は最優秀ではない……もっとも、最優秀は常に一人と言う暗黙の了解があるので致し方ないと言えなくもないのだが。


「……卒業予定者のエンドヴェリクス=グランヌス、例え自国の王子と言えど貴方はまだ登校の学生。

 未だ卒業式を終えていない身分で、式を妨害する権利があるとでも思っているのですか?」


 遠足はおうちに帰るまでです、と似たような意味がある。

 学生と言うのは、卒業式を終えたら終わりなのではなく。

 幸か不幸か、次の予定……例えば、就職をするなり婚姻を結ぶなりして立場を変えた時点で学生終了となる。それでは、就職も決まらず婚姻も行わない場合はどうなるかと言えば、一定期間を以って晴れて「無職」の称号を得る事になる。

 確かに、学生として存在していた事実は事実として残るが。一定期間を経ても次の立場に立てぬ者が学校からの後押しがあったとしてもなれなかったのだから後押し……推薦は発行されなくなる。もっとも、最初から推薦の有無は関係ないと言い切る場所も存在するが、あるとないとでは決定的に一般的な扱いが異なるのだ。

 それでは、そう言うものはどうなるかと言えば職業斡旋系の互助会……通称ギルドと言うものが存在する。互助会は様々な分野に枝分かれしており、まずは斡旋所で紹介して貰ってから各互助会で登録をすると言うのが、この国での一般的なあり方だ。

 話がズレたが、その為に卒業式真っ只中で式の進行を妨げると言うのは不敬にあたるのである。

 それが、自国の王子であっても次の地位に着くまではあくまでも「予定者」にすぎない。


「校長先生には、父より話が行っていると思っていましたが……お騒がせする事をお詫び申し上げます」


 構内では「実家の立場」を使ってはならない、と言う決まりごとがある。

 ある程度の棲み分けや線引きは必要ではあるが、各々の力である程度の事は行わなければならないのが前提だ。

 だとしても、いきなり高位の甘やかされた坊ちゃん嬢ちゃんを一人で生きろと放り出すのは無理難題と言うものなので、実家から半年間に限り使用人を二人まで着ける事は可能だし。逆に、先輩後輩同級生であっても一定期間生徒同士で雇い主と使用人と言う立場を作る事は許可されている。

 ……流石に王子を雇おうとした人物は今の所聞いた事はないが、それでもこの国では地位の高さに限らず元も含めて通っている生徒達は基本的に己の服の脱ぎ着からお茶の用意くらいは自力で出来る人物ばかりだ。それでも金の力で生徒達を使用人として扱っていた者が出る事は出るが、その時には監査機関が存在するので理不尽な扱いについては罰則がかけられると言う、冷たいんだか愛が重いんだかいまいち不明、と言う微妙な評価だ。


「校長?」

「……ああ、そう言えばそんな話もあったな。忘れてた」


 おいおい


 出席者の心が一つにまとまった瞬間である……壇上での発言が短くて、有能なのは確かなのだが一般的な常識に欠けると言う意味で研究者気質なので、こう言う事はよくある。大変ある。日常的にある。

 側に控えている側近とか秘書とか呼ばれる立ち位置なのだろう人物が額に手を当ててうつむいているが、そんあ事をしょっちゅうしている為か前髪が薄くなってきたともっぱらの評判だ。

 本人的には不本意だろうが。


「まあ良い、それなら今から許可を出す。

 この時間のこの時に、わざわざ式を邪魔してまでやるんだ……余程、大事な問題なのだろう」


 好意的な人達からは、一体どんな一大事が一国の王子の口から発言されるのかと戦慄いており。

 校長の性格をよく知っている人達からは、内心で校長が滅茶苦茶腹立ててフザケタ事を口にしたらえらい目に合う。

 なんて、周囲に思われているが当の本人はどこ吹く風と言った感じだ。

 実際問題、これで王子の発言が阿呆らしい内容だったりした日には式をぶち壊した事を含めて近隣の貴族や国内でも立場を問わぬ人々から白い目で済めば良いと言う扱いを受ける事になるのだから度胸があると言う見方もある。


「ありがとうございます。

 この場に集いていただいた皆には、少しばかり時間を取らせてしまうが申し訳ない……。

 私は、この国の王子として宣言したい事がある」


 何でわざわざこんな所で?

 そう思った人は、数多かった。


「声を遮る事をお許しください、エンドヴェリクス様」


 壇上、ではなく下から上がったのは高く澄んだ声だった。

 そこには、一人の女子生徒が高々と手を上げて発言していた。

 帽子とマントの色は……黒。


「何かな、アルテミシア=ディアーナ=モーント公爵令嬢」


 生徒ではなく、王子として発言している以上はこの場に置いて生半な立場の者が軽々しく声をかけるわけにはいかなかった。

 先ほどの「卒業生退場」を声にした人物……副校長も、相手を王子ではなく生徒としての枠組みに当てはめていたからこそ声をかける事が許されたのであり。もし、お互いが教職員と生徒と言う立場を取り払った場合は副校長の立場では敬語を使わない時点で罪人と扱われたとしても、文句を言う権利もなかっただろう。


「お許しいただき、ありがとうございます。

 今は私達卒業生の栄えある餞の場でございます、確かにエンドヴェリクス様もそこには含まれておりますが。その卒業生が退場をすると言う、それだけの時を待てぬほどに急がなければならないのでしょうか?」

「確かに、この後には卒業を祝う餞の会も予定はされているし有力者のみを相手にするのであれば構わないだろう……しかしね、アルテミシア」


 ふと、エンドヴェリクスは壇上を歩き始めた。

 どういった装置が備え付けられているのか、壇上と副校長の位置には声を増幅する機能があるので周囲はともかく距離がある者からアルテミシアの声は届いていない。

 やれやれ、これで長い儀式が終わりだ……と思っていた者達にしてみれば、いきなりこの国の王子がやらかした様にしか見えないだろうし、何があったのか判らないままで始まって終わるだろう。

 いかに王子が始めたのだと言えど、誰も望んでもいないサプライズなスーパー小芝居劇場など。気持ち的に「さあ、これで終わりだ!」と思い始めていた人々にとっては「望んでないんですけど!」と涙を流しながら絶叫したくてたまらないだろう。

 身分の高さを、ある程度は忘れる事を許された予餞会と言う立食式飲食会は自分達の顔見世を望む者には格好の披露会場だろうし。その必要がない者であっても普段は目にする事も出来ぬ高級食材をふんだんに使用した料理の数々を楽しみにする人々も多い。

 だと言うのに、アルテミシアは説明を求めた。

 それに伴い、エンドヴェリクスは声を増幅する装置から移動してしまい近距離で見聞きする者以外には再び何が起きたのか訳が分からなくなってしまった。

 狙っていたのか、そうではないのかは判らない。


「この場に置いて宣言をすれば、それは『どんなもの』であろうと『王子として』発言した以上は実行をしなければならない事だと思っている。内々に進めた場合、時に覆される事があると言う事を私は知ってしまった……ならば、絶対強固に事をなすことも謀の一つではないかと思う」

「エンドヴェリクス様、物事には順序と言うものがございます。

 また、それに相応しい時と場合もございます。わたくしには、それが今である事の必要性を感じる事はできかねます。

 貴方お一人の我儘で皆さまにご迷惑をおかけする、それほどの価値がおありになる発言なのでしょうか?」


 近くで、二人をよく知る者ならば「あれ?」と思ったのかも知れない。

 一国の王子であるエンドヴェリクスは、それなりに優秀な頭と美しい造作を持った人物だ。本人的には穏やかな人柄で百戦錬磨の集う王族の一人としては如何せん頼りないと言う印象がある……常に笑顔で、人に裏切られた事などないとでも言いたげな風貌から判断される事だ。

 もしかしたら、人生で本気になった事などないのかも知れない。

 そう言われる事も、一度や二度では無かった。ただし、ここ暫くの彼の評判はあまりにも駄々下がりで一国の王子であるが故にはっきりと直接言われる事は無かったが王子として人として男として、侮蔑の視線に晒される事もあったくらいだ。

 しかし、その王子の目には今。

 とてつもなく、熱い感情がちらちらと見えている。

 もちろん、この空間は声を遠くまで聞かせる魔術装置が備えてあるくらいなので。その王子の様子を見て取れるのは近くにある人達に限定されるが、遠くからでもある程度は想像が付く様に見えなくもない。

 後で、より近くで見ていた人達に伝言リレーよろしく背びれ尾びれついて色々と想像をいかにも事実であるかの様に口にして行く事になるのだろう。ただでさえ、こんな仰々しい式で「やらかした」のだから悪意を以て振りまく事を虎視眈々と狙う者や、そうで無くても悪意の塊の様な存在には格好の材料となるだろう。


 対して、アルテミシアは常に冷静沈着な筆頭公爵家のご令嬢と言うに相応しい人物である。ある程度は貴族であるが故に万人に寄り添った考えをする事は立場的にも許されないが、彼女の持つ人を見る目と使い方には一定以上の評価があり大多数の無関係な人々からの評価は高くはないが低くもない。関係ないからと言うのもあるが、一般的な性質の人々からすれば己に与えられた課題に懸命に取り組む人物の姿に悪意を感じる事は少ないのだ……まあ、それで評価が低い場合には何らかの事情があったりなかったりするのかも知れない。

 少なくとも、悪人だったり自分達に悪影響が無かったりすれば、それだけで十分に高評価ではあるのだが。

 年にたった一人だけに与えらえる、黒い帽子とマントを身に着けた姿は、その顔だちと髪の色がよく映えている。ただし、その表情は何かに怯えるかの様に狼狽えているのが見て取れたかも知れない。


「これまで、私には婚約者『候補』と言われる者はいた。しかし、成人を控えた身の上である為に自国他国の有力者が集う今、この時に私の覚悟を示す良い機会と判断する」


 就学期間中、王子に婚約者が出来たと言う話は瞬く間に走った。

 しかし、どこの誰と言う話には至らなかった。

 エンドヴェリクス本人はしっかりと「候補者だから」と言っていたのだが、周りがそうとは取らなかったと言うのが事実だ。故に、生徒達と生徒と話をする機会のある親達からは今更何を? と言う感じがあった。

 彼らにしてみれば「王子はとっくに婚約している」と言うものにしか見えなかったのだが、それでも大事にならなかったのは彼が王太子ではなく王太子である上はすでに結婚して子供もいる……エンドヴェリクスは年の離れた子供だったからだ。


「エンドヴェリクス様、それは……!」


 アルテミシアの手を取り舞台上に引き上げたエンドヴェリクスは、そのまま元の位置……音声を広く届ける魔術の範囲に戻る。

 当然、アルテミシアの声も広い空間の隅々へと届けられる事となる。


「アルテミシア、君の気持を蔑ろにして済まないと思う。

 君は、今この場で私が発言する事によって起こるだろう利点と不利点を考え進言してくれているのだろう……しかし、私は今。この時が最上の時であると判断したのだ」

「エンドヴェリクス様……」


 晴れやかな、それは純粋とまで言いたくなるほどの晴れやかな笑顔をするエンドヴェリクスと対照的に。

 アルテミシアは、それはそれは青白い顔を更に青白くさせていた……可愛らしいピンクの唇が目立ち、うっすらとつけているだろう化粧でも覆いきれない程の。もしかしたら、すでに貧血一歩手前にまで行っているのではないかと思われる程の顔の色だ。


「私はここに、婚約を希う」

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