school love

源 三津樹

第0話 破壊されたのは恋だった

 何故、どうしてこんな事になったのか。


 男と言うにはまだ僅かに幼さを残している胸元に顔を押し付けながら、彼女はどうしてこんな事になったのかと憎しみと冷静に考える自分自身の間で揺れ動いていた。

 頭の上では泣きじゃくる自分自身の背中を撫でながら慰めようと努力している事は判っているけれど、正直なところを言えば望んだ手でも胸でもないのだから何の慰めにもならない。

 ただ、周囲から向けられる僅かな視線や遠くに聞こえる笑い声から少しでも守られている気がしているから大人しくしているだけであって、ここで本来ならば暴れてやりたいくらい憎しみがこみ上げているのだ。


「正式な発表は後日王宮から公布されるが、ここで知らせるのが最上だと思ったんだ」


 耳に届いた声を聴いて、ぎゅうっとしがみついた手に力が入るのを感じた。

 心にあるのは、あそこにいたのは自分の筈だったのに。つい先程までは周囲からの賞賛の声を浴びるのは自分だった筈なのだと言う気持ちでいっぱいだった。心を支配されていたし、許せないとも思っていた。


「どうして、こんな……酷すぎる……っ!」


 もう一つ入ってきた言葉は、目の前の人物のものだった。

 誰よりも、ずっと側で自分が幸せになる事を望んでいるのだと公言していてくれた。

 盲目的とまで噂される彼の言動は一種の病気ではないかと揶揄される事もあったのは確かだが、彼の存在があったお陰で自尊心が擽られて、ここまで来られたのも確かなのだ。

 ただし、つい先程までは光り輝く舞台の主人公だと信じて疑っていなかった自分自身には欠片も考える事はなかった事だろう……少しずつ、少しずつ彼の存在に感謝さえしていた心を忘れて行ったのだから仕方ないではないか、とさえ思う。


「君は悪くない、悪くないんだ……っ!」


 まるで、慟哭しているかの様な悲痛な叫び声に目を向けた者は。

 果たして、あったのだろうとは思う。

 ただ、きつく硬く抱きしめられた手は決して放そうとはしなかったから確かめる事は出来なかったけれど。


「こんなの、誰が許せるっていうんだ……!」


 本当は、ここで悔しいと言えば良いのか。それとも、ただ泣き叫べば良いのか判らなかった。

 ついさっき言われた時に、泣いて叫んで止めようとしたのに耳を傾ける存在は誰一人いなかったのだから。


「そもそも、貴方達を誰が許すと思ったんですか?」


 割り込んで来た、そう感じた声は自分のものでも彼のものでもなかった。

 ただ、その声はとても聞き覚えがあった。


「貴様っ!」


 ぎゅうっと締め付ける腕の力が強くなって、少し痛くて苦しいと感じた。

 けれど、ここで身じろぎの一つでもしようとすれば動揺激しい彼は余計に力を強めるかも知れないと思った……長い付き合いだ、それくらいならば動揺と冷静を同時に受けている今の精神でも想像がつく。


「どう言う意味だ、それは!」

「……で、……と言う……。だから……」

「……っ! ……、……限らな……っ!」


 腕の中に閉じ込められて、耳を塞がれたのだろうか。

 それと、頭がもう嫌になって何もかもを拒絶してしまったのだろうか。

 少なくとも、今の状態でそれに明確な答えは出すことはないだろう。


 ああ、と切り離されたかの様な状態で一人ごちる。

 これから先、どうなってしまうのだろうかと。

 美しく光を浴びて人々の注目を浴びた舞台の上では、本当につい先程まで立って当然な人々がそこにはあったのだ。そして、自分だってそこにいられると思った。当然だとさえ思った。

 そして、ようやく色々な「これから」に頭がめぐり始める。

 まず、家に帰るとどうなるだろう? 両親は家に入れてくれるだろうかと言う不安。

 彼らは始まりの時にはとても優しく手をかけてお金もかけて支度をしてくれたのだが、そこに下心が全くなかったかと言えば無理だろうと思われる。何故なら、ある意味で彼らは普通の人達なのだから現状に満足するなんて殊勝な心根は持っていないだろう。

 もしかしたら、家に帰る事は出来ないかも知れない。僅かな荷物だけを持って追い出されるかも知れない、それどころか荷物さえ持たせてくれないかもしれない。今着ている服も取り上げられるかも知れないが、それは逆に悪い事とも言い切れないかも知れない。幾ら何でも、平民と言うには無理のある衣装だからこの町でない場所をある国は不向きだろうし、着替えもない状態ではいずれぼろぼろになってしまうだろう。

 それなりに人に誇れるところはあるが、そんなの普通の人々には通用しない事も判っている。力づくで押し入れば話は別かも知れないが、だからと言って実行したら捕まってしまうだろう。

 こんな事になるのなら、忙しさなどにかまけていないで互助会にでも行って顔を広げておくべきだったと今更ながら後悔が胸に募る。


「それは……! 誰だって……あの……!」

「……それだけの……優しさ……」


 でも、一口に互助会と言っても種類は色々ある。

 商売系が顔を広げるには最も範囲が広いだろうが、今の状態だと顔が広がるのは悪手だ。ならば技能系と言う伝手もないわけではないが、逆にあの世界は狭くなってゆくだけで情報が手に入らなくなると言う欠点がある。結束力は異常と言われるまで高いのは、彼らだけでは互助会として成り立たない事を知っているからだろう。

 もっとも、技能系は良い商業系が味方に付けば売れっ子になれると言うのは知っているが。かと言って、そこまでの技術は残念ながら持ち合わせていないのが痛い。

 得意分野で言うのならば、魔法系か書類系だ。紹介状さえあれば貴族の家で住み込みの女教師になれるかも知れない。もしくは、学校の教師か……そんな打診がなかったわけではないが、これまでは想像すらしなかったから考えなくては。

 ただ、紹介状を書いて貰えるかは怪しい所だ。姿も名前も変えれば話は別としても、そうなった時には功績は一切使えないと言う宝の持ち腐れ状態になってしまう。そんな状態で、一体どうすれば生きて行くのに十分な収入が得られるだろうか……ましてや、こんな事になってしまった自分を受け入れてくれる場所や人がどれだけいるのだろうか?

 いっそ、娼婦にまで落ちれば良いのだろうか? それは最後の手段だとしても、出来れば贅沢と言われても避けたい手段だ。


「いいかげんにしたまえ、アイシス=フレイヤ=フリッグ」


 その言葉だけは突然、何故か明確に耳に届いた。

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