津市の心温まる親孝行の話

@miyasan

第1話「あこぎさん」

津市には阿漕浦海岸という所があります。その海岸から西へ近鉄道路をはさみ少し

行った所に小さな塚があります。その塚の名前は阿漕塚といいます。

昔から「あこぎさん」の名称で地元では親しまれてきました。

僕が小学生だった頃から四十数年の時が経った今何かに導かれるようにふと訪れたくなったのです。

行ってみると昔の生家は駐車場へと移り変わり、昔の趣はないものの塚に向かう細い道だけはその当時のままでした。ゆっくりその道を歩いていくと昔はもっと距離があった気がしましたが大人になって歩くその道のりはととても短く感じました。

行って見ると塚には誰もいませんでしたが、きれいな花が祀られていました。

手を合わし目を閉じると、タイムスリップしたかのように、「もういいかい」「まだだよ」とどこからともなく懐かしいかくれんぼの声が聞こえてきました。

そして「ちょっとあこぎさんに行ってくる」とランドセルをほおり投げは走っていく半ズボンとシャツの少年それはまさしく幼い頃の自分でした。昭和の時代の母が「宿題したんか」と叫んでいました。

「あこぎさん」とはそんな身近な存在でした。


その塚に祭られているのは阿漕平治というとても親想いの漁師です。

病のかかった母親に「やがら」と言う魚を食べさせるといいと聞いた平治が禁漁区である

阿漕が浦に行きそれが見つかり罰せられました。

平治は真っ暗な海へと一人舟を出し網で「やがら」という薬になる魚を捕りに行きました。

母親に少しでも良くなって欲しいと一心に願う気持ちは、いけない事とは知りながら海へと

向かわせたのだろうと思います。

平治は「やがら」が捕れた時には「これで母が助かる」と喜んだことでしょう

そして一刻も早く母に食するために家へと駆けていったことは容易に想像できます。

無常にも平治は決して忘れてはいけないものを置いてきてしまいます。

しかし母親に少しでも早く「やがら」を食べさせたいはやる気持ちから笠を舟に忘れます。

それが見つかり平治は罰せられます。

そんないわれが伝わる塚なのです。

子供の頃何度となくこの話を聞きましたが、その時は「ふんそうなんだ」くらいにしか

思っていませんでしたが、今になって親を思いやる気持ちが分かるようになった気がします。

昔からこの平治の笠をかたどったせんべいや最中は津の名物として平治の想いが引き継がれています。

目を開けたときそこには誰もいませんでした。

なぜ僕が「あこぎさん」に行ったかは今もよく分かりません

津にもこういった心温まる歴史の場所があります。






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